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最新情報

20034・12・26 クリスマスの25日から制作した新作は夜になり日付が変わり今日のUPになった。
「修道女のお招き クリスマス茶会 N小学校創立50周年」は、長年のお付き合いがあるシスターCと私の
これまでの思い出につながる記録でもある。もう一つ既に公開している「ベルリンの壁蓋置き物語」の続編と
思っていただければ解りやすいと思う。シスターは数年間私の貧しいけいこ場へ足を運ばれた方であった。水屋のことや
道具の見方、茶の文献についてさまざまな話をしながらご一緒に楽しく過ごしたのを思い出す。もちろん友人としての
お付き合いであり、私もまた多くのものを学んだのである。カトリックは禅の心と通じるように思う。
ウイーン・ノートルダム修道女会マザーハウスでの写真を併せて掲載した。小学校の本来の質実な感じが
日本全国の進学校化したありようと余りにも離れ、国情の違いも痛感したのも事実であった。
 



12・21 年の瀬という言葉になんとなく切なさを感じる日々だ。
瀬戸際に立つ、崖っぷちに立つ、そういった感触を覚えるのは私だけではないと思うが、
12月は1年の総決算、反省の月でもあろう。ルンルン気分で迎えていたのは遠い日の記憶である。
けれども、ネットで知り合った友人と対面し楽しい時間を過ごすことができたこの1年であったことを感謝したい。
プロ写真家の関健一さん、鈴木ねこさんは旧くからお付き合いがある方だし、カナダで医療研究に精進されていたちびさん。
京都大学で集会があったため、会いたいという連絡があり、やはり数年ぶりにわがちびさんと対面することになった。
写真も撮っているので折を見てUPするかもしれない。こうした心合う方々との交流はネットの恩恵というべきものである。

もう12月11日のことになるが、10年以上お付き合いのあるカトリック修道女のシスターCからお招きを受けた。
N学院小学校創立50周年記念茶会は、修道女のT校長のもとに宗教心と規律ある学校の教職員とで茶道を教育に生かされていた。
公立学校で日本の伝統文化をこれほど熱心に教えている処があるだろうか?連日、表紙にその日の写真をUPしているが読者の反応も
好意的なものが多い。かつて排他的といわれてきたカトリックがこのように寛容なを教育をされることは時代の趨勢であろうか。
写真撮影も行ったが、きわめて協力的な雰囲気で、私も気持ちよく正客の座につきながら写真も撮りよい一日であった。
このレポートはクリスマス前日にUPしようと考えている。



12・7 新作「 漱石忌 鎌倉漱石の会 帰源院 2004年」の転送を終えると8日に日付けが変わっていた。
2002年の春から鎌倉・漱石の会へ参加するようになってから、年2回の行事がたいへん楽しみになっている。
ことし4月は、中宮寺におけるお家元の献茶式の添え釜をさせて頂く光栄に浴したので、出席を取りやめたが冬の漱石忌だけは
どうしても参加したいと思っていた。汽車のキップの手配など主人にすべてしてもらった。勿体ないことだと思う。
日差しが強く写真の出来はよくなかったが、記録としてなら見ていただけるのではなかろうか。



11・27 26日〜27日の制作になったが「京のあきんど 思文閣 田中周二」をUPした。
古美術のなかでも古書画にかけては日本でも有数の大店だが、古書籍も善本で多くの顧客をもっている会社である。
出版部は採算が苦しい学術出版を専門にしその実績は高い評価を受けている。何よりオ−ナーの人柄あってのものであろう。
 私が20代のころからお付き合いがある方であって、有名な会社オーナーと駆け出しの未熟な茶道師匠との交流は率直な発言ができる
空気があったこと、その自由は貴重だった。オーナーよりははるかに年下の私に「先生は言いたいことをよく言う人だ。」と返された
ことも記憶にある。かなりオーナーには忍耐を要するお付き合いであったかもしれない。

京都のあきんどは、ものを売るだけの商売だけではない、そんなとろころがあるのではなかろうか。
千年の都の矜持を心の中で持ち続けているのである。文化のなんたるかを顧客に伝え満足を与えなければならない。
田中周二さんはある意味でドラマ「おしん」にも似た立志伝中の人であり、私は彼に真の京都のあきんどの姿を見るのだ。
実業家という言葉にはどうもにんげんが感じられないのであえて私はこの作品にあきんどという表現を用いた。
宗教という訳ではないが夫人も信仰心ある女性であり夫人によれば「主人は手を合わせる人です。」と。
読者から書き込みとメールで好意的な反響が寄せられ、私にはご理解をいただけたことが何よりだった。



11・24 今日は志倶会の稽古日で宗家に出席する予定を変更して家の中の整理をはじめた。
このところ、noteブックを閲覧される読者が多く、アクセス解析によればここ一週間で最も多いのは、「noteブック ランデエヴウ」だった。
日記は漱石という声をよく聞くが、漱石先生は日記の名人と言ってもいい程よい日記を遺されている。漱石の心を学ぼうとする
私は生来のなまくらである上に悲しいかな、遅筆と来ている。そんな私の折々の記をわざわざ見に来てくださる方々はどのようなタイプ
の方か?と思う。大分前に書いたことがあったが、プリントしたものを人に送りつけ「あなたの悪口を言われてますよ!」と
作者を貶めようとする悪意ある読者は例外であろう。日々の自分の思いを述べるネットの日記は星の数ほどあり、
作者によって夫々人気を得ている。普遍妥当性のある書き物でありたいと凡人の自分もねがう。

最近tsubakiwabisukeのネームを詐称していかがわしい勧誘メールを送りつける人がいることを知った。早速しかるべき機関にご相談。
以下はその対策のために開かれている苦情受付窓口である。不審なメールを受け取ったならばどなたもここにメールを!

総務省:迷惑メール対策のページ
http://www.soumu.go.jp/joho_tsusin/d_syohi/m_mail.html
 ↓
迷惑メールに関するご相談、お問合せ、情報提供は、特定電子メール
送信適正化業務を行う指定法人である日本データ通信協会において受
け付けています。
http://www.dekyo.or.jp/soudan/top.htm



11・14 昨日光悦会にいった折に撮影したものを表紙に差し替えた。
11月2日の桐蔭会例会は阿部宗正業躰の担当された席であったので茶の後の点心席で2、3枚撮影した画像を
ここしばらくの間掲載していた。更新を心待ちにされている方々にはあまり同じ画像をおみせするのも申し訳ないので
今日はとりあえず光悦寺の境内・しぐれのなかの紅葉を出してみた。他の画像は後日まとめてUPする予定である。
ただし道具類は撮影していないことをお断りしておく。京都、大阪、名古屋、東京の名だたる道具商の方々が
相協力して開催する日本における最高度の大茶会が、光悦会と大師会とされているのはご承知のとおり。
会記等もUPしたいと考えている。その前に談話室で書き込んでいた更新があったのを書き忘れていた。

BBSの常連さんであるぞうべ健一さんが投稿された過去ログの一部を「
ご訪問者との語らい ぞうべ 大亀香合」
として11日にUPしている。よい読者に支えられていることは何にもまして有り難いことと思う。



11・3 昨夜から制作したページは10月30日の天龍寺献茶式における茶席のリポートである。
嵯峨は京都市の観光スポットの最たるところ、嵐山方面はタレントが経営するショップが林立し
ているけれど
京都の歴史もなんのその、商業主義オンリーの世相を反映しているのが情けない。もっと行政が強く規制をする必要があると
識者の声は出ているがそれが大きい声にはならないのだ。建築にしろ今のうちに手を打たねば古都の景観は破壊されるばかりだ。
こうした中で茶道のせかいは祖先と先達を大切にしなければならない教えがあり、それが連綿と実践されていることを
お伝えしたいと思うのである。「名残おしく 坐忘斎家元のもてなし 2004年天龍寺献茶式」をupした。




10・26 一昨日の知恩院での京都東支部青年部の茶会はフレッシュで楽しい茶会であった。  
その思いを「和親棚 & 三角形 知恩院にて 青年部茶会」というタイトルでアップした。
茶にたずさわる方にはわかる内容だと思うけれども、果たして一般の読者に共感してもらえるだろうか。
茶道といえば利休さんが「直心(じきしん)の交わり」と説かれているように、昔は個人対個人の傾向があった。
しかし、昨今は組織の拡張にともない茶人の意識自体が非常に変化してきている。つまり政治化しているといってもよい。
こうしたことは規模こそ違っているものの、政治家の世界とどうも似ているような気がしてならない。浮世の常といえようか。

青年部というどこか革新的なひと達の存在が期待される。現状をよりよくし明日の茶道界をになう若いパワーをもつ人々に
自由な活動をしていただきたい。本源に帰るという意識を大切にして若々しい活力を再生していただきたい。
 



10・22 昨日は午前中に宗家へ淡敬会の稽古日。指導は寺西業躰。
寺西先生のお話は心がしゃんとする。先輩と昼食を済ませ午後から南禅寺ちかくの国際交流会館へ。
今は消滅しているが以前さかんだった拙サイトBBS、「ご訪問者との語らい」に、度々投稿されていた方の中に
「和の学校」編集長の吉田りえこさんがいらした。こちらもあちらも創設当初からのお付き合いということになる。
そうしたご縁から私は陰ながら応援させて頂いているので、初の総会へ出席しカメラを取り出しいつものようにパチリ。
何しろ遠距離ではあり着席の場所からとっさに1枚づつ違うシーンを5回ばかり撮影したので雰囲気だけの写真である。
コメントなしで、ともかく「特定非営利活動法人 和の学校 初総会」をUPした。いかがであろうか?
ウェブサイト&インターネットマガジン「和の学校」は、故伊住政和氏が創設されたものだが、
若い女性編集長の吉田りえこさんの真摯な制作ぶりは高い評価を受けている。



10・6 3日に、鳥取県境港市へはじめて旅をした。
女優の司葉子さんの実家である庄司家は江戸時代の建造物で貴重な文化遺産と聞いている。
。山陰沿線からみる昔風の家々にも郷愁を感じてすっかり気に入ってしまった。時間がゆったりとして
山陽沿線とはこうも違うのかと驚いた。庄司家のご当主である男性は50台になられたばかり。
裏千家淡交会山陰地方の支部長をなさっている。茶会には感慨ふかいものがあった。
そのレポートをまとめてみたのが「境港の旧家 庄司家知新茶会」だ。
拙文をお読みいただいて率直な感想をお聞かせ願えればと願っている。



10・5 アフェリアサイトという広告を知ったのは最近のことである。
 
【Affiliate】加盟する、提携する
インターネットを通して行われる広告体で、私が申し込んだのは三井物産が募集していた
LinkShareだ。表紙の下のほうへ小さく一行掲載しているのがそれである。企業主の説明はこうだ。

アフィリエイトプログラムとは、あなたのサイトを経由してアクセスしてきた 顧客がECサイトにて
ショッピングや会員登録などをすると、その成果に応じて コミッションが支払われるというしくみです。

三井物産、住友商事、楽天旅の窓口、タカシマヤ、イーエスブック。私が提携したのが現在4サイト。
とにかくいくらかのネット運営費が捻出できればいいという気になったのがおかしい(笑)。

さて成約ゼロがいつまで続くか、お笑いぐさになるのだろうか?



9・23 今日は彼岸の中日、敬老の日。
「老を敬います 茶室の洞庫」を制作しUPした。
この21日の宗家・淡敬会での稽古で寺西業躰先生が指導された「置き洞庫の点前」
スナップ写真と文献等も交えて家猫もいっしょに敬老の意味を考えてみたのがこの作品だ。
 談話室での読者の質問にお答えする気持ちで作成したものである。



9・20 サイトのアクセスに拘るのは自分ながらいかがかとも思うが、
  それでもそのことを素直に喜び感謝したい。こうしたことは持ちつ持たれつの意味合いがあるので

ご縁ある方々と共にこれまで費やした時間とそれなりの労苦をねぎらい、今後の励みとさせて頂く。
解析は専門の会社がやってくれるのだけれど、世の中のニーズに合っているか、一過性の人気であるのか
こうしたデータはさまざまな反省材料となって私にはいい刺激になっているように思う。テレビの視聴率
が行きすぎた競争となって社会によくない風潮をもたらしているのは、周知のことだが、そんなことには
無関係に生きてきた私にとって何が人々の心をとらえるのかを教えてもらえるのが有り難い。

漱石を訪ねるカメラさんぽのヒットは、少なからず力を与えて貰ったのである。
くどいようだが最近の詳しいデーターを別ページに出してみよう。 




9・15 旧暦の8月15日は仲秋の明月であるが、新暦の今夜は2日月だという。
暦では先負という日があり先ず負けるという日と言い伝えられているが、あながちそうとばかり
いえないのではなかろうか。というのも拙サイトの訪問者数がサイト開設以来の新記録となったからだ。
午後9時半現在までの今日一日ののアクセス数を解析によってみれば次ぎのようになる。
トータルアクセス数 3641
重複を除いたユニークアクセス数 1994


これにはちゃんとした訳がある。10日〜11日にかけてUPした鈴木ねこさんの『こんな猫の話』を
見に来られる訪問者が殺到したからである。今日のYahoo JAPANには新着情報としてnizukineko
サイトの紹介があり、まことに好意的なコメントが掲載されていた。ことはそれだけではない。
鈴木ねこさんがご自分のサイトトップに「椿わびすけの家別館に作品掲載 みましょう!」と
リンクして下さったこっとが何よりの誘引になった。まことに持つべきものはよき友である。
感謝!



9・11 UPしたばかりの「こんな猫の話」は、ネットの友人である写真家鈴木さんが
約半年間、構想をあたため、写真を撮り、私の度々のいちゃもんにも音をあげず、完成された
作品である。前編と後編とに分かれており、ボリュームいっぱいの力作になっているのは嬉しい。
知性も充分そなえていらっしゃるが正直という今はあまりみられなくなった人徳をお持ちの若い男性
ある。
漱石の『我輩は猫である』を熟読されながら、漱石との関連を考えて丁寧に制作してくださった。
文字が小さいので多少読みにくいのではないだろうか。写真に添えられた文章がたいへん面白い。
できるだけ多くの方々に味読していただきたい作品と思う。




8・28 この欄の更新を1ヶ月以上もしていなかったことに気付くとは我ながら情けない。
8月は宗家恒例の夏期講習会が行われる月。直門の稽古は休みでになっており、出張稽古のほか
私は休暇のような感じで身心を休めていた。ただネットを通して内外の方々と交流することは続けていた。
しかし読者の反応というものにもさまざまあって今日は茶会の水屋で思いもかけない声を聞かされた。

「坐忘斎家元とヤブレガサ」というタイトルの拙作について、同じ席に居たという或る読者がページをプリントして
作品中の長老に「こんなことを書いている者を許していいのか!」とご注進してきたというのである。
それを聞き及んだ人たちが「長老の悪口を書いているのはどうしたものか。」と私に言い出したのだ。
まあ、人の口に戸は立たないというけれども、作者の意図をまともに読み取らず曲解をしてあれこれ
いう人々もご苦労なことと思う。私はすべて前もって当の長老に名を出していいかどうかも相談して
制作したのであり、何よりご当人が「なんにも思ってない。」といわれているのである。
今日の席で坐忘斎家元はその長老に「今日はヤブレガサは出ないのだね」と微笑まれた。
お家元のそのひとことが私には何よりうれしかった。


 

7・18 暑いさかりだけれど、お茶のせかいに生きる人々は元気そのものである。
夏の涼を感じさせる席をもって客をもてなす、その心配りは日本ならではのものであろう。
今月これまで出席した茶会が、1日の北野神社明月舎、 4日の大阪・淀川21世紀ビューローの曙会。
5日は裏千家宗家主催の精中忌での手伝い。9日には坐忘斎家元が設計された小間席の記念茶会である
大阪生魂(いくたま)神社の玉秀会。 さらに13日は茶会ではないけれども中宮寺奉賛会。これは都ホテル大阪で
行われ、会員が年一度集う総会であるが中国琵琶の名手による演奏もありよい会合であった。
この中の三つをまとめて昨夜UPしたものが、「七月の縁(えにし)は浪花にて」である。
精中忌は後日まとめてみるつもり。ネットをすると家の中が片付かず困ったものだ。



7・7 最近は多忙ということもあってこの欄の更新が遅くなっている。
じつはこの4日はお付き合いのある「淀川21世紀ビューロー」さんからご案内をいただき、
大阪は鶴屋八幡のビルで開催される茶会に寄せてもらった。その席中で撮影したスナップを表紙に掲載。
 
 岡社長が脳の血管に夏風邪をひかれたようで、ただ今治療のため不自由な別荘暮らしを余儀なくされている。
しかし、岡さんの目指す男の茶会は、社員の方々の熱意によって見事に表現されていた。


翌5日は裏千家宗家の三大忌である精中忌の手伝いで早朝から出かけた。
このことはnoteブックに触れているので、興味のある方はお読みいただきたい。
当日の写真も後日UPする予定である。



7・1 、endo-rxさんはゲストギャラリーで既にお馴染みの常連の方である。
この度、「『こころ』を覗く」という作品を投稿され、それを「漱石を訪ねるカメラさんぽ9」としてUPした。
苦しかった鬱病の過去、そしてそれを乗り越えて病を克服された今日。世界的な傾向としてのメンタルヘルス。
私共はもっとこうした現代人の切実な声を聞き、正しい理解を共有しなければならないのではなかろうか。
漱石が生涯苦しんだ鬱病は、現代の医学では治癒可能なのである。endo-rxさんの素晴らしい写真と
書き下ろしの文章とを漱石文学に照らして、どうか味読していただきたいと思う。
花の写真は私の一存でendo-rxさんのギャラリーから選び、編集に加えたが
作者からは感謝のメールが寄せられたことを付記する。



6・26 建仁寺献茶式については3度目のページになるものをUP。
「坐忘斎家元とヤブレガサ」
は、今月5日に建仁寺で私の所属している淡敬会担当の懸け釜で
撮影したものである。もちろん本分は茶席の手伝いであって点前にも出れば水屋で茶筅を振ってもいた。
 カメラは家元が大中院の茶席に入られてから取り出し、お家元の前で「撮らせていただきます」と挨拶した。
考えればこれはじつに一方的な強制といっていいかもしれない。慇懃無礼なものである。
けれども、目標とされるそのお方は、「私より床の花を撮ったほうがいいよ。」とにこやか。
角度も変えて撮影させて頂いたがいつもながら引き寄せられるものをお持ちだ。

なお、ヤブレガサの画像は、相互リンクの「花300」の山本さんから拝借した。
解説も含め植物についていつもお世話になっている



6・18 中宮寺の日野西光尊門跡から写真と原稿がメールで送られてきた。
去る4月21日、22日に開催された山吹茶会のスナップである。シャッターは誰かに押して貰われた
かもしれないが、ご自分で撮られた画像も多い。なんといってもカメラ好き、PC好きという方だから

こうしてご自分で原稿を作られ送ってこられるのだ。尼僧さんでは珍しい方ではなかろうか。
斑鳩便りもはや6回を数え、いつものように私が適当にアレンジしてをUPした。

あとは自分のページ山吹茶会その三が残っている。



6・11 産経新聞社のウェブはなかなか充実しており、「今日庵の四季」は特にお勧めである。
ひろくご紹介したいということで、表紙の下のほうへリンクさせていただいた。
大阪・サンケイの担当者の方から次のようなご親切なメールも頂戴して有り難かった。

拝啓 いつも産経新聞をご愛読いただきまして誠にありがとうございます。
産経新聞大阪本社のホームページ「Osakanews.com」の「裏千家の四季」とのリンクの件で
先ほど電話をさせていただいた横山と申します。

 立派なホームページをご自身で運営されているとのこと、素晴らしいですね。
あらためて感銘いたしました。 リンクの件は先ほど申しましたように、「OK」です。

 今度とも産経新聞、Osakanews.comともどもご愛読いただきますようお願い申し上げます。
ますますのご発展、ご健勝を祈念いたしましてご返事とさせていただきます。
                                                                  敬具                                        

                     産経新聞大阪本社
                     総合企画室
                     デジタルメディア局大阪分室
              
                     横山教生

6月になってから表紙だけの更新になっていたが、昨10日に作品をUP。
桐蔭会例会6月2日、席主は芸術院会員の陶芸家・大樋長左衛門さん。「加賀の土 炎のひと」と
形容したが、それが私のうけた率直な印象であった。百聞は一見に如かずというがお会いしてよかったと思う。
迫力ある道具組みは大樋さんの一期一会を見事に表現されていた。夫人の内助の功も感じられた。



5・26 これまでも裏千家・名誉師範を拝受された方々から披露茶会のご招待を
幾たびか頂戴してきた
いずれも立派な茶会であり、写真にもおさめて来たけれども
表にだす事はなかった。ただ、最近訃報を受けた谷口宗絹さんの場合は濃茶席で私が正客をつとめた
こともあり、そのお人柄に親しみを感じていたので特に取り上げさせていただいた。
一部、会記等の画像がぼけていて残念に思う。判読されることを願う。

炭屋さんは既にご承知の通り、今日庵に非常に貢献されたお方。
お二人の笑顔が今も浮かんでくるようである。



5・21 アクセスがこのところ増加しているのは山吹茶会によるものと思われる。
一週間のアクセスの推移をみるとこのようになっている。もっとも昨夜(20日)は
23時ころの解析だったから正確とは言えないかもしれないが大体の目安にはなろう。
しかしなんといっても忘れてならないのはわざわざ茶会に参会された方々である。
時間と旅費等をついやして来られた客人の方々と水屋を守って下さった人々。
ご都合で出席が叶わなかった方々からはお手紙を頂いた。
やはり席主冥利というべき日々であったと思う。



5・20 「山吹茶会その二 カメラマンいろいろ」をUPした。
自分がカメラを持つ暇もなく動き回っていた当日だったが、茶会に参加された
お手伝い要員の方々がそれぞれ撮影された写真があったのは幸いなことであった。
fujitaさんはアメリカからやって来たtokotokoさんの親友。以前米国留学の時に知り合ったそうだ。
写真を正規に勉強されたようで、しっかりとものを見、よいスナップをものにされている。
michiyoさんは掲示板でも活躍中の楽しいマダム

番外ではプロカメラマン関健一氏の山吹の画像を大分前に頂戴していた。
心からお礼申し上げます。



5・12 中宮寺・山吹茶会の第一回は、
淡交社のカメラマン坪倉さん、小笠原さんの撮影されたものをまとめてUPした。
自分では撮る時間もなかったけれども、こうした他からのご厚意をいただけることを
何よりも嬉しく思う。第2回は茶会に参加された方々の中から画像を選ばせていただく。

今回は若いながらもプロカメラマンの作品であり、それぞれ見ごたえのある写真である。
「お家元はアーチストでいらっしゃる!」とは、漱石先生の孫であるマックレイン松岡陽子さんが
言われた言葉であった。写真家としても非凡な力量をお持ちの坐忘斎家元が常に厳しく接しておられる
これら身内のカメラマンの方々だ。やはり育てていらっしゃるというべきかも知れない。



4・29 今月21日22日と二日間、奈良はいかるが中宮寺での茶会を終え
あとの整理や何かで体の調子もいま一つといったところ。主人の言葉によれば
歳と共に充分しょたれきっている、ということであって、まあいたしかたないと思う。
サイト運営もなおざりになっているが、アクセス解析を一つ出してみる。
検索でわびすけのワードが多いことに驚くのである。



4・12 この最新情報のページを見て驚いた。
ずいぶん更新していないことに気付いて、これでは最新情報とはいえないし
恥ずかしくなった。来る中宮寺の山吹茶会の懸け釜のことでサイトの運営もなおざり
になっていたようだ。昨夜思い立って一つだけUPしたものがある。
「思い出の 鎌倉・漱石の会 春と冬」
漱石会は今月の29日にも開催される。


3月の或る週のアクセス記録が打ち込んだままになっていた。土日が減少するのが解る

bar トータルアクセス数 10941
bar 重複を除いたユニークアクセス数 5064

日付 ユニーク トータル
2004年 3月12日(金) 677 1698
2004年 3月13日(土) 476 1074
2004年 3月14日(日) 539 1172
2004年 3月15日(月) 678 1389
2004年 3月16日(火) 672 1413
2004年 3月17日(水) 744 1536
2004年 3月18日(木) 697 1380
2004年 3月19日(金) 581 1279

3・19  雛祭りは3月3日で新暦ではまだまだ寒い季節である。
けれども旧暦でいえば(2001年でいえば新暦3/27ころ)今はまだ節句の期間といえようか。
お彼岸の入りのころは、桃の花が咲き菜の花が咲き、そして家々では牡丹の餅を作ったものだ。
それらをこの季節の行事として見直してみたいとおもい、ひいなの写真で「彼岸とひいな人形」を作成した。
いま、世間では桜の開花情報がもっぱらであるけれども、どうも先を急ぎすぎるような気がする。
今という日々をゆったりと
過ごすことができればと願うのである。



3・16 アクセス解析でここ1ヶ月のものを(3/16:12)出してみた。
トータルでなく、ユニークカウントに絞って一応掲載すると
次のような結果になった。
これををみると季節や日本の伝統行事の時期ががかなり大きい位置を占めているのがわかる。
解析を設置していないページはメインページに収録されるが、ここでは200以上のアクセスカウントだけを
掲載することにする。読者の反応というものを、少しでも読むことができるのではなかろうか。


 尼門跡と茶会と猫668 彼岸の入り561 やよいは きさらぎから496 noteブック ランデエヴウ679
私の日記であるnoteブックも、ニュース性のあるものをとり上げているので
そうしたことに要因になっているのかもしれない。




3・15 Cul-Netとは日本文化サーチェンジ。
日本文化の普及と継承を目的とする(財)日本文化生涯学習振興会21
が母体である。
拙サイトもカテゴリ登録して頂いてているが、今日メールをいただき、その迅速な対応に
感心したのだった。用件はイベント情報、中宮寺山吹茶会のお知らせについである。
その内容をさっそく、表紙の上、京都・最終更新日 の近くにLinkして更新した。

トピックス 奈良・いかるが中宮寺の山吹茶会のお知らせ

私どものイベント情報で紹介させていただきましたので、
http://www.cul-net.com/event/eventinfo.htmlからご確認下さい。
訂正等につきましてはなるべく速やかに対処いたします。
 取り急ぎ用件のみで失礼致します。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
(学)中央工学校 生涯学習室
(財)日本文化生涯学習振興会21
tel.03-3906-9542 fax.03-3906-9297
中央工学校創立85周年記念館STEP内




3・7 雛祭りの画像が皆さまから画像掲示板へ送られてくるので
こちらもうかうかしてはおれない。遅ればせながら雛の写真と先月28日の大徳寺利休忌
に撮影していたものを合わせて「やよいはきさらぎから ひいなとおちゃ」と題してUPした。
転送にトラブルがあったようで、画像が乱れて表示され、ようようのことで何とか収まった。
弥生と如月としていいのだけれども、平かなの語感をなつかしく思う私のこだわりである。
まだ、どなたからも感想がないのは、平凡過ぎるのかもしれない、と思う。
昨日今日と急に寒波が戻ってきた。



3・4 BBS談話室で話題になっているわびすけのハンドルネームのことで、
あちこちに誤解が生じているらしい。まったく無関係のことでも証拠がなければこちらの
言い分は通らないのが世の常である。そこで、
2002年9月の「ご訪問者との語らい」の過去ログ
を出してUPしてみた。このレンタル掲示板はサーバーの不都合で消滅してしまったが、
控えが残っていたのは不幸中の幸いだったかもしれない。丁度この頃はYahooに漱石トピ
を私は持っており、無法な掲示板荒らしが暴れまくった頃であった。私のなりすましもいた。
それによりYahoo掲示板から離れ、自サイトに漱石別館を立ち上げ、
今日に至っているのである。

今日庵主 千宗室家元の写真集の英文翻訳ができあがった。
Thomasさんの奉仕であるが、私はそれを英語版サイトに組み入れUPした。
さすがに見ごたえある作品である。更新履歴参照



2・28 中宮寺の如意輪観音菩薩像をトップに飾らせていただいてから
アクセスは増加している。観音さまのごりやくを考えるのは不謹慎だけれども
あのご本尊様のご加護を頂いているということは確かだと私は思っている。
如意輪観世音の意味合いについても掲示板で内外の読者の書き込みがあり、このところ
斑鳩・中宮寺がクローズアップされているのは嬉しいことである。茶会と関連しているが
4月22日には、中宮寺御流のお席がかかり、日野西門跡が席主をつとめられる。
そのこともあって当日の参加を希望される方々が増えているのも頷ける。
この1週間のアクセス数を出してみよう。23日の740は最高記録であった。


日付 ユニーク トータル
2004年 2月21日(土) 510 1051
2004年 2月22日(日) 587 1393
2004年 2月23日(月) 740 1789
2004年 2月24日(火) 698 1632
2004年 2月25日(水) 670 1806
2004年 2月26日(木) 630 1423
2004年 2月27日(金) 625 1405




2・23 常にトップに掲載しているところの「尼門跡と茶会と猫」を再アップ。
モナリザの微笑と並べられる中宮寺の半跏菩薩像は、飛鳥時代の傑作であるが
これまでは弥勒菩薩だとする見方が強かったのである。この度ご門跡日野西光尊さんから
「寺伝には聖徳太子さまがおん母のお姿をうつされてこの観音像をお作り遊ばされたとございます。
したがって来世にあらわれて救済される弥勒菩薩ではなく、現世の苦悩をお救いくださる如意輪観音さま
でございます。」というはっきりとしたお言葉を頂戴した。4月21、22日と中宮寺山吹茶会でお家元の献茶式
があり、その添え釜をかけさせていただくご縁をかたじけなく感謝している私としては、このご本尊の表記は
ぜひとも訂正しなければならないことであった。つつしんで、中宮寺・如意輪観音菩薩像と訂正いたします。



2・19 英語版に「さつきの雨 茶会」と「鎌倉かけこみ寺 東慶寺井上禅定師と」
これら二つの英訳ページをUPした。ネットを通じて友人の協力を得られたのが幸運であった。
、海外の未知の読者に日本のよき情報を伝えることができれば、このサイト開設の意味もあったことになろう。
今日、知人というより先達というべき方が「自分の所は偏っているがあなたのサイトは多士済々の方々が登場
されますね。」と言って下さった。こうした言葉にも単純な私は励まされ晴れ晴れとした気持ちにるのである。
朝夕はまだまだ肌寒いが、日中はやはり春が近いのを感じる。



2・11 プロ写真家の関健一さんは、拙サイト「ゲストギャラリーあなたの撮った茶のある風景」
30回目に登場されている方であり、作品を閲覧されてご記憶になっている方々も多いことと思う。
その後もメールのお付き合いをさせて頂いていたが、漱石と関さんは旧制と新制の違いはあっても
東京大学出身といういわば同窓の方ある。そうした観点から私は関さんにカメラさんぽに参加をお願いした。
それぞれ個性の違う方々がカメラをもって漱石文学を探求されていく、「カメラさんぽ 漱石を訪ねる」。
現在、東大写真部を指導していらっしゃる関さんは、文学にも深い見識がおありの方である。
私がお話をもちかけたのが昨年の夏過ぎだったからその間アイデアを練られ撮影、文章を書かれた。
さっそくこのページを覧になった漱石の孫マックレイン陽子さんから喜びのメールが寄せられた
ことも嬉しかった。それは掲示板「夏目漱石が好きなかたへ」に掲載している。



2・8 夏目漱石は玉露をこよなく愛した文人であった。
先日、一周忌があったばかりの伊住正和氏は今日庵家元の弟君に当たる方だが
玉露について、漱石について、また煎茶道の茶人についても珠玉の文章を遺しておられる。
そのことを「noteブックランデエヴウ」に、玉露の一しずくとして書き、一昨日アップした。
家元との無類の兄弟愛で知られた擔泉斎伊住宗晃宗匠のお人柄がしみじみと伝わってくる。
そのご文章の中にある一節をここに失礼ながら抜粋させていただきたい。
同じ茶の木から生まれたとはいえ、これまで、煎茶と抹茶はあまり仲の良い兄弟では
なかったのだ。だからといって、人間同士が仲良くできないというわけではない。」

茶の道につながる人間として私たちが心しなければならない事柄である。



2・6 本館英語版 Tsubakiwabisuke'Essay&Photo に久々の更新を。
カナダのThomasさんから「カメラさんぽ6 漱石を訪ねる」の翻訳が送られてきたので
新たに『カナダへの技術移住者』のページをアップできたのである。聞くところによると
若い世代の2世の読者には、日本語がなかなか読めないとのこと。それでは是非翻訳したものを
ウェブサイトに公表して海外の読者の便宜をはかりたいと私とトーマスさんとの意見が
一致したのであった。日本語版の上部左側に小さく
「EnglishVersion英語版はここ」と
あるのにお気づきだろうか。ご自分で翻訳をなさるのであれば
今後こうしたページを増やしていきたいと思う。



1・31 29日にUPした「追加 にほんの男」の画像は点前風景である。
リポートするのは常に私のしろうと写真であって、自分の姿を写す訳にいかない。
昨年11月28日の大徳寺利休忌における淡敬会添え釜、たまたま点前の順番に当たり
私が点前しているその様子を写真に撮ってくださっていたご親切なカメラマンがおられた。
うら若い女性であれば花を添えることになろうが、残念なことに相手が違う。
被写体への慈悲心はカメラマンの条件なのかもしれない。
茶会とはすべて協働の賜物であって先輩の方々のご指導に感謝する。



1・28 土日は訪問者のアクセスが減少することは前に述べたけれども、
ひとりの訪問者のページを見る回数の平均値もおおよそ見ることができよう。
中には中傷のネタ探し暇つぶしに来られる向きがあるのもご苦労なことである。
平穏に生活し且つ人々と楽しそうにやっているのが癪に触るのだろうか。
もちろん殆どの方々はそうでないことを信じている。  

日付 ユニーク トータル
2004年 1月19日(月) 698 1442
2004年 1月20日(火) 725 1594
2004年 1月21日(水) 612 1391
2004年 1月22日(木) 666 1514
2004年 1月23日(金) 585 1265
2004年 1月24日(土) 463 961
2004年 1月25日(日) 453 1073
2004年 1月26日(月) 582 1268
2004年 1月27日(火) 646 1457


1・21 漱石を訪ねるカメラさんぽ6 はカナダ・オンタリオ在住のthomasさん。
カナダから送られる画像であり容易とはいかなかったがともかくUPできた。
1月、更新らしい更新が一つだけでもできたことにほっとしている。

 *


1・19 今月はこれという更新がないのでアクセスが落ちると思ったけれど
そうでもないようで、検索から訪問される方も後を絶たない。アクセスカウンターに
すぐさま結びつく訳ではないが、まだまだ関心をもたれるていることは有り難い。
ここ1週間の解析を出してみよう。ユニークは重複ではない一人のアクセスを言う。
土日と休日のアクセスが減少しているのを見ると、なるほど理解できる。
せっかくの休日にこんなサイトを覗くのは…といったところかも(笑)。 

日付 ユニーク トータル
2004年 1月12日(月) 603 1488
2004年 1月13日(火) 685 1675
2004年 1月14日(水) 617 1299
2004年 1月15日(木) 662 1451
2004年 1月16日(金) 644 1479
2004年 1月17日(土) 520 1161
2004年 1月18日(日) 596 1246




1・15 検索で訪問される方々の解析結果は、意外なことを教えてくれる。
ここ3ヶ月間の検索による訪問者はどのような興味を持ったのか?
調査対象アクセス数:123923 1パーセント未満のものは省いて15番までの結果を
お目にかけるとこのようになる。植物・夏目漱石・ベルリンの壁・日本猫 etc.
サイト管理人であるわびすけなる者は一体何者ならん?と検査の対象になったのか、
カメリアジャポニカ、可憐なわびすけ椿に関心があっただけのことだったのか。
しょせん自意識過剰であろうが、ナゾである。
今年の更新は少なくなるが、皆様のご協力によって充実したサイトにと願っている。



1・14 テレビで歌会始のようすを映していた。古式にのっとって皇室の方々や
召人
全国から選ばれた歌が披露され、今年のお題「幸」を心して拝聴させて頂いた。
  毎年のこと乍らこうした伝統は世界に誇りうる立派な行事だとあらためて感動する。
 
裏千家今日庵の初釜にも例年の如く参加させていただき幸多い正月であった。
ここ2年ほど拙サイトでご披露してきたので大方の様子はお伝えできたと思う。
招待を受けた客の一人としてこれからはカメラを持たずにゆっくりと雰囲気を味わいたい。
「漱石を訪ねるカメラさんぽ」に既にお二人の方が作品に取り組み推敲を重ねておられる。
UPはもう時間の問題である。こちらのほうをご期待いただきたいと思う。



1・5 中宮寺の山吹茶会の話題で談話室がもりあがっている。
これもひとえに拙サイトをご支援くださる皆さまのご理解と友情の賜物だ。
そこで、昨年中宮寺門跡・日野西光尊さんからお預かりしていたたまちゃんの画像を
表紙に掲載させていただいた。国宝ご本尊の弥勒菩薩の膝に自らあがりこんで眠る
猫を撮影したのは、申すまでもなくたまちゃんのお母さんを自認されるご門跡である。
よくまあこうした写真が撮れたものだと思う。貴重な画像であるとともに
動物に向き合う人間の在り方というものを静かに教えられる。

年末から松の内にかけてアクセス数が面白い動きを見せている。

日付 ユニーク トータル
2003年12月30日(火) 289 652
2003年12月31日(水) 293 686
2004年 1月 1日(木) 357 863
2004年 1月 2日(金) 475 1189
2004年 1月 3日(土) 399 977
2004年 1月 4日(日) 458 972
2004年 1月 5日(月) 652 1490


年末と三が日は誰しもネットをかまう余裕はなく、4日あたりからぼつぼつといったところ。
それにつけても「わびすけの家」をご訪問いただいていることに感謝あるのみ!

 


1・4 技術的にすぐれたサイトが多いなかで、小さな拙サイトにご理解を
いただく方々に感謝の意味もあって「拙サイトへ寄せられたご紹介文」をUP。
面映い表現もかなりあるが、これも世間の社交辞令であろう。潤滑油かもしれない。
暮れから正月にかけて談話室が活発な話し合いの場になっているのが有り難い。
ネットのよさをことしもしみじみと感じるのどかなひと時である。



2004.1.1 新年の表紙は漱石の孫・マックレイン陽子さん。
ご本人の写真でなくお送りいただいた山茶花のグリーンカードを掲載。

3日の今日は居間のテレビの上にのせているピンクのワビスケを出してみた。
茶花とは茶席の花の謂いであるが、床の間と限らず生活の場にしっくりと
溶け合う。たった一輪で部屋が明るくなる椿はまことに経済的と思う。
わが家の庭に、幾種類かまだまだこれから咲いてくれそうだ。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


2003・12・31表紙の画像は時期というものがあって相当気を遣うものだ。
2、3日前まではわが家のリフォームしたばかりの洗面所にサザンカの花を
香水の空き瓶に挿したところを出してみた。紅白のサザンカは
なかなか可憐で椿とはまた違った趣がある。

ところで今日はことしの最後の日おおつごもりである。

京都美術倶楽部松庵茶会12月例会で待合掛け物の「師走画賛」があった。
師走といえば昔は借金取りが次から次へとやって来る月であったらしい。
そうした世相をえん魔と鬼に例えて遊び心で描いたのが熊谷直彦筆の
自画賛である。席主は光悦会で名高かった土橋さんの跡継ぎ。
感じのいい若手の茶道具屋さんであった。



12・24 風邪を引いたのが運のつき、ずっと寝込んでしまった。
病院ではカルテを見られ、数年間来てませんな、といわれ「医者知らずでした」
と思わず答えたが、そういえば病院とはなじみが薄かったのは幸いであった。
けれども抗生物質入りの点滴と安静が功を奏したのか、昨日今日と元気になった。
やはり、ドクターに心の中では感謝している。

べるりんねっとのホームページをクリックしたところ、クリスマス特集として執筆者の
カードが並んでいて、最初を試しに開けてみるとなんと私のカードが!
べるりんねっと編集部はいちかさんを含めてみんな若く美しいレデイである。
私のつたない原稿をじつにきれいにまとめて下さっているのに感激。
すばらしい方々の他のカードもぜひご照覧頂きたいと思う。

 *

12・14 追加という文字で再アップしたページがだいぶあるようだ。
今回の精中忌のページも前々から考えてはいたが気恥ずかしかった。
ことしも終わりなったのでようやく手を加えることにした。まあ読む身になったら
ただの2番煎じで面白くもなんともないかもしれない。お許しを乞う。
人様が撮影された画像では自分の欠点がよくわかり反省することが多々ある。
茶碗を回し飲みにする手のあり方、どうにも情けない感じだった。
  



12・6 表紙の更新は日常的になっていてわざわざ書くこともないと
思っていたが、小旅行をする前なのでお詫びのつもりでひとこと残すことにする。
漱石は「白菊と黄菊ありて日本かな」と俳句にしたというけれども、紅い糸菊をみたら
なんと詠むだろうか。先日宗家で侘びた風情ある花を見た。
漱石忌(12・9)を前にして鎌倉漱石の会へ出かけます。



11・30 「おとこのきもの 日本の男」をアップした。
11月28日の大徳寺利休忌の際に淡敬会でお手伝いをさせて頂いた。
その時のお家元のきもの姿の写真からBBSで読者の反応が寄せられた。
不遜なタイトルになったけれども、今一度日本の着物、ことに男性のきものという
ことで男性女性ともに広く世の人々に考えていただきたいものと思う。



11・22 昨日から宗旦忌で撮影した画像処理をし一応まとめてみた。
「2003年宗旦忌 そうたん狐がきたような」というタイトルでアップした。
思えば2000年から2001、2002と続き、ウェブ上で今年が4度目の宗旦忌だ。
  こうして記録を残すことがなんらかのお役にたっているとしたら幸いである。
サイトを作り運営することはやはりエネルギーを要することで生活のある部分を
大きく犠牲にしていることを実感する。家の中の整理もままならない。

今後は自分のウェブに要する時間を減らすことが必要だと思う。
 



11・9 今年の前半まではご訪問者との語らいという名のBBSを
拙サイトでは設置していた。これは2000年開設の年から或る方のご紹介でレンタル
していたのだが、嫌がらせの書き込みがあるごとに不安定になり何度も開かなかったりで、
結局過去ログ全部が消えてしまった。レンタル先のJPネットは責任を取らず返事すら
寄こさない。けれども過去ログを少々保存していたので、アップしてみた。
「過去ログ ご訪問者との語らい」3件のみである。
  



11・3 土日月と連休で家の工事も小休止といったところ。
文化の日といえば昔は明治節といったようだ。明治天皇は特に菊の花を好まれ
たというが今の世では仏事用の花になった感がある。コチョウランが全盛なのも
季節を選ばない都会の好みだといわれるかも知れない。
昨日「嵐山 天龍寺献茶式」をアップした
 


10・29 木造住宅に長年住んでいて感じるのは木のもつ安らぎだ。
木材は常に呼吸しているといわれるが、ただ水まわりだけは傷みが早い。
拙宅では目下水まわりの修復のために、避難民のような生活をしていが、
工事の息抜きに小さな庭をまわると、本阿弥椿はもう咲いていた。
例年なら年が明けてから咲くのだったが気候不順のせいだろう。

その一枚をトップに差し替える。



10・26 政界は波乱続きであるが、日本が自由国家の平和を維持しているのは
まぎれもない事実であり、この点は何よりも有り難い。小泉首相の健闘を祈りたい。
さて、旧作の「2001年宗旦忌」は表紙に出していなかったので多少手を入れ
 「2001・2002年宗旦忌」として再アップした。
宗旦さんの忌日は本来なら10月19日であるが、裏千家では11月に行っている。
茶道の枠組みを離れ日本人の先達としても、このお方の生きかたは現代の私たちを
歴史のなかに呼び戻し振り返らせる強い魅力をもっているようだ。


 

10・23 拙サイト英語版http://tubakiwabisuke.cool.ne.jp/indexE.html
に、これまでなかった3作品をUPした。或る方のご好意により見事な英訳を頂いた。
画像は最初のままのわが家の椿の木とドラの写真である。この1枚はかつて小学館
岩合さんの「ねこらんど」で掲載されたこともあって私には懐かしい画像である。



10・16 「竹ひとすじ 千家十職 黒田正玄さん」を昨夜UPした。
竹は日本という国の文化を考える上で最も重要なものだと思う。
竹を割ったような人、という形容は褒め言葉の最上のものである。美術工芸に於いて
また、和風建築に於いてそれは伝統美をあますところなく伝えている。
今回は千家十職という立場ですぐれた仕事を続けておられる正玄さんに
スポットをあてて、竹工芸の世界を訪ねてみた。



10・5 ヤフーの掲示板に昨年まで夏目漱石のトピックを持っていたが
その時の常連の方々と今でもお付き合いが続いている。鉄道旅さんはそうしたお一人。
私の要請にお応えくださり今回多数の撮りおろし写真をもって見事な作品を投稿された。
「カメラさんぽ7 神田川を歩く」。なおその時撮影された他の画像は鉄道旅さんのサイトで
見ることができる。博識にもとづいたその解説はまことに読み応えがある。



10・1 ドイツはベルリン、「インターネットマガジン BN789」
これまでも何度か原稿を依頼されその都度送信したものを掲載して頂いてきた。
今回は茶事の解説をして欲しいというご要望。10月号所載べるりんねっと制作になる
茶の湯 in Berlin』。その巧みなページ作りに大いに助けられた。いちかさん撮影の画像と
彼女のコメントがこの作品のメインである。私のつなたい文章でお役に立てたかどうか
わからないが、流派を超えた茶の湯への理解の一助ともなれば望外の喜びである。

表紙はおなじみドラネコが道案内といった構図で、お笑い種に。



9・28 秋分の日と秋彼岸、先にアップしたものは物足りなかったので
今回、追加として新たに画像を加え、日本独自の行事である彼岸について
不十分ながら解説をこころみた。いかがであろうか? 『追加・彼岸の入り』

昨日更新履歴には記したが別館のほうへ「芥川龍之介作漱石山房の秋・冬」を再UP
した。これもこれまでの編集が不如意なものであった為手を入れたものである。



9.23 明日はお彼岸の中日になる。秋分、春分ということと
深いつながりのある仏教行事である。ちなみにその日取りは次のように
なるという。この起こりについては更新履歴のほうに少々書いたのでご参照を。

お彼岸の期間
1日目
2日目
3日目
4日目
5日目
6日目
7日目



春分の日
秋分の日



彼岸の入り


彼岸の中日


彼岸の明け

今日は仏壇に新しい供花とおはぎを家人が買ってきた。いぜんは手作りをしたものだが、
もう手抜き主婦にはそれも出来ない。明日もまた無事に過ごせますように。
昨日、『彼岸の入り 宗家に 町に』をUP。



9・18 ネットでお知り合いになったジャーナリストといえば、
私の場合、まず鯰さんを挙げなければならない。相互リンクからはじまって、
ドメイン取得に至るまで鯰さんの影響を私は確かに受けてきたと思う。
ありがたい先達である。その方の作品をどのように編集したらいいか、少しでも
本来の持ち味を損なうことのないようになんとかまとめてUPした。
「カメラさんぽ5 なまず『草枕』『坊っちゃん』」を。

直リンクということにこれまで関心をもたなかったが、どうやらトップページでなく、
他のページにリンクを貼るというのがこれに当たるらしい。とすれば自サイトで
更新履歴や最新情報にこれまで自分がしてきたことも余計だったのかもしれない。
他への不都合ではないにしても、ノーマルカウント数が本来の数字の
半分以下という解析結果はやはり不自然だろう。



9・12 だいぶ前からお預かりしていた中宮寺「いかるがたより」の原稿を
ようやくまとめることが出来た。日野西さんの原稿は写真が小さくそれは私に遠慮
されてのことであるが、サイズがある程度大きくないと作品にメリハリがなくなる。
そのため新たに大きいデータを送ってもらい私が画像処理をするのであるが、
こうしてUPした出来上がりを見るとやはりこれでよかったと思う。
非常にご多忙な生活の中でよくこれだけの作品作りをなさると感服。
深夜にメールのやりとりをするなど、昔なら考えられなかったことであろう。



9・10 表紙には昨9日に宗家けいこ場で撮影した一枚を入れた。
若くうつくしい京女、N・宗代さんはしっかりした性格の持ち主のお茶の先生である。
学校茶道でも活躍している方だが家庭の主婦であり、実母のKさんともに直門の仲間。
Kさんは高齢の名誉師範。親子ともお茶を楽しみ職業としている方々である。

昨夜から作成した「無限忌 淡々として…」をUPした。



9・5 明るいニュースが少ないこともあって阪神タイガースが大人気だ。
米国生まれのベースボールが日本へ輸入されたのは明治時代。野球と言うことばを
つくったのは誰か?知られているようで案外忘れられているのではなかろうか。
「noteぶっく」に今回はそうしたほほえましいエピソードを書いてみた。
画像もれっきとした作者による玩具図である。



9・2 今日は東山にある桐蔭会9月例会。会員でもあり出かける積りだったが
あいにく用事が出来て失礼してしまった。きのう今日の蒸し暑さといったらひどいものだ。
家の中もカビが出るしまつ。

昨日表紙を差し替えたのは宗家ついたち稽古・淡精会の稽古の折の床の花である。
稽古が終わってからカメラを取り出すと、指導の業躰先生が水屋詰めの若者を呼んで
露を打つように指示された。霧吹きを手にした水屋見習いの方がきびきびと従った。
花だけでなく花入れ、薄板にも露がしっとりとうってあるさまをお伝えしたかった。
作品のUPは「旧家の歴史・カメラさんぽ4」。
プロ写真家村岡秀男さんによる明治の建築と佇まいをご鑑賞あれ。



8.31 ここ1週間のアクセス数を出してみた。こんなことに拘ってもという気持ちも
ないではないが、やはり訪問者の多いのは励みにもなり、ありがたいと思う。
実際に表紙にカウントされる数はniftyの厳しさもあって半数にも満たない。それは検索で
ここを探し当てて来訪される方が多いというのが要因であろう。ネットの不思議だろうか。
このところ、noteブックランデエヴウと酔芙蓉のページをご愛顧いただいているようだ。
8月も終わり、いよいよ9月の日々がはじまる。これからもよろしく!

日付 ユニーク トータル
2003年 8月25日(月) 493 1105
2003年 8月26日(火) 578 1217
2003年 8月27日(水) 554 1330
2003年 8月28日(木) 602 1316
2003年 8月29日(金) 644 1491
2003年 8月30日(土) 513 1284
2003年 8月31日(日) 566 1306


8・28 火星が昨夜、地球に約6万年ぶりという大接近をしたそうだ。
15年〜17年ごとに巡ってくるらしい大接近が、27日午後6時51分、地球に約5576万キロ
まで最接近したというニュースでマスコミは盛り上がっている。私のBBSでもロサンゼルス在住
の女性が実際に海岸へ行って そのもようを目撃し感激したとの書き込みを頂いた。
天体の神秘に触れるのは、地球の汚染にひた走る人類にとって反省の材料かも。

サーバーのCOOLが楽天に吸収合併された為長期のメンテナンスで
長らく更新がままならなかった。ようやく昨日新たに接続し一つUPしたものがある。
わが家の庭に咲いた酔芙蓉を撮影したものだが、如何であろうか。
「楊貴妃に似てるといわれても 酔芙蓉」



8・18 ウェブサイトからさまざまのご縁が生まれることを今日も読者の
お手紙によって知らされた。埼玉県の男性の方からで今年3月の宗家利休忌に
参加された由。私が稽古場席の半東をしている際にいらしたようだ。たまたまこのHP
にめぐり合い感激したと丁寧な筆跡で書かれていた。その方の知人が不思議にも私を
知っていたというに至っては世間の狭いことに驚くほかない。拙サイトによって少しでも
安らいでくださっている方々があるとすれば、それは私の励みになる。
今日また一つUPしたものがある。詳しくは更新履歴に。
「漱石を訪ねるカメラさんぽ 3 挿絵描き」



8・16 大文字送り火の今日、心配されていた天候は雨でなく朝から晴天。
午後8時からが点火なのでその時刻を待って大通りに出てみた。以前は自宅2階の
物干し台から真向こうに見えていた山が近年家々の増加で見ることが出来なくなった。
それで大道路に出てみるとなんと見物人のラッシュ!おまわりさんが「立ち止まらないで!」
と叫んでいる。ケイタイをかざして写真を撮っている人の多いこと。時代の流行か。
本来はほとけをお送りする儀式であって見物とは少し違うのだが
そのスナップを今日から連日UPする予定である。



8・14 今日は終日冷たい雨が降った。北海道では豪雨で堤防が決壊し
悲惨な状況であるという。テレビニュースを見ては胸を痛めている。京都も
大文字の送り火がどうなるかわからない。今年の夏も終わりに近いので思い出にと
祇園祭り宵々山の記録を制作してみた。題して「よいよい山 歩行者天国 京の町」
読者の方々にいっときの慰めにもなれば幸いである。



8・13 更新履歴に書いたものと重複してしまうが、表紙下のほうへ掲載中の
zidonさんの二つのリンク『BGM いい日旅立ち』と『聞く 生きかた上手』に注目が
集まっている。常連の方々のこうした熱意ある活動はこれからも積極的に取り上げ、
紹介していきたいと考える。最近はリンク集もあまり更新はなく「道草インデックス」一件。
ただ、「search伝統文化コミュニテイ」への登録が増えているのは嬉しい。
伝統文化とつながりがあるとお思いの方はどうかご参加頂きたい。



8・9 昨日23時過ぎ14万カウントが記録され、みなさんから談話室で
大いに盛り上げていただいた。今のところ320いくつかの数字になっているが、
これには訳がある。解析によれば1日の平均数が
ユニーク510  トータル1286
7月10日(木) → 2003年 8月 9日(土)ということになるが表紙から入った時にだけ
カウントされる数字で、ヤフーをはじめとする色々な検索、最新情報や更新履歴など
から訪問された場合はゼロなのだ。拙サイトではこうした解析数より遥かに少なく
記録されているのがご理解いただけると思う。ここに2つのデーターがあるので
ご参考までに。アクセス数訪問回数と。  




8・7 中宮寺門跡の日野西光尊さんからメールが送られて来た。
5日6日と、女児一休さん 一泊二日の第10回の行事を済ませ、70才を越しますと、
少し身体にこたえますが、可愛い子供たち3年生から6年生まで35人と一緒に生活し、
楽しくも有りました。
」。そしてご自分で撮影されたデジタル写真が添付されていた。
お盆でもあるので、その可愛らしい姿を勝手にトリミングして表紙に掲載させて頂く。
ガールズ一休さん。なにとぞ、お経の功徳が皆さんの上にありますように!



8・5 拙サイトをリンクしてくださる相互リンクサイトは少なくないが、
公共のサイトではじめて静岡県掛川市がHPリンク集へ拙サイトを登録して下さった。
もとは当方の希望にこたえられ、直ちに次のメールが送られて来た。

日頃市政にご協力いただきありがとうございます。
掛川市役所IT政策課です。

掛川市HPのリンクページへ本日掲載しましたのでご確認下さい。

=========================================
 掛川市総務部IT政策課
 〒436-8650 静岡県掛川市長谷701−1
 掛川市公式ホームページ
 http://www.city.kakegawa.shizuoka.jp/
=========================================

役所といえば何事も前例にこだわる処であるがマックレインさんの住むオレゴン州ユージンと
姉妹都市であり、伝統の木造建築をもって掛川城を再建し、日本的な町造りをしている掛川市。
その国際性とよき保守性。私は旅行者ながら市の行政に瞠目し高く評価したのであった。
漱石掲示板やnoteブックには一月下旬からそうしたことの記述が残されている。
表紙にあるsearch伝統文化コミュニテイに私も掛川市をリンクさせて頂いた。



8・2 「蓮の花と百観音のお山へ」をUPした。
連日、表紙に出してきた蓮の写真をまとめたようなものだ。
自分がこの花に感動した体験を書きたかったが、こと宗教の領域になると
難しい問題があるので、この程度にして写真を主にした。



7・29 ネットは思いがけないご縁をいただくものである。
小泉八雲のお孫さんであられる小泉時氏から今日お手紙を頂戴した。
拙作に対してご助言を書いてくださっているが、その謙遜なお人柄に打たれる。
自己主張と売り込みが当然とされる現代に、こういう解説をされる方があること。
お雇い外人教師、当時の国情からそういう言葉と待遇が出たのであろうが、
これでいいのだろうかと考えこんでしまった。
追加 『小泉八雲と夏目漱石』をUP。



7・28 時々旅に出る。1泊2日が限界だけれどその都度新しい発見があり
出会いがある。今回の旅のもようをとりあえずnoteブックに書いたが、その間宮城の地震
のニュースを聞き心が痛んだ。こうしてPCをさわっている間も被災者の方々には大変な
心痛であられることとお察しする。鎮魂の曲ということで、その内或る曲をおりこみ、
新たなページを作成したいと考える。表紙は旅で撮った写真を差し替えてゆく。



7・22 かねてから画像も文章もともに自分の中で暖めていたものがあった。
それは裏千家最高の茶会ともいうべき桐蔭席のことである。
6月2日の例会は高橋宗健業躰の懸け釜では写真も撮っていたし、
その一会の趣旨も私は理解したと考えていた。これを何時出すか
道具や権勢の匂いがぷんぷんとする茶でなく、本来のさらりとした雰囲気を
どこまでページ作りにあらわせるか、そういう願いがあったからである。
「桐蔭席2003年夏 兄と弟と」をついにUPできた。



7・19 別館漱石の部屋へ連載中の『漱石を訪ねる』に第二回目をUP。
あなたの撮った茶のある風景でおなじみのNiCoLeiさんの作品である。
二つある画像掲示板にご投稿くださった作品を主として編集させていただいた。
写真家として高い評価を受けておられる方であることは、第一回の廣井信男さんと同様。
『カメラさんぽ 漱石を訪ねる2』、どうぞごゆるりと、ご鑑賞いただきたい。



7・16 昨夕は祇園祭の宵々山で四条通りから新町、室町などは
歩行者天国でたいへんな人出であった。警察の人が「40万人」と言っていた。
ようようのことで通りを抜けて帰宅したのだけれども今日の宵山は5,60万人位になるの
だろうか?珍しいことに蒸し暑くない日で過ごしやすかった。浴衣姿の若い女性が多く
私は歩きながらそれをカメラにおさめた。いずれこれらのスナップもまとめてみよう。

祇園祭は昨年「ベルリンの壁ふたおき物語」の中に屏風祭りを写真におさめていた。
昨年のこの日を思い出し帰宅してからUPしたのが、「ベルリンの壁ふたおき物語の反響!」
今はサーバーの不都合で消滅してしたBBSであるが、過去ログの控えが残っていた。



7.13 ずっと前から構想をあたためていたものをやっとまとめることが出来た。
『小泉八雲と夏目漱石』を本館ならびに別館夏目漱石の部屋へそれぞれUPした。
これは昨年4月29日、鎌倉漱石の会へ出席し、その後東慶寺におまいりした時、偶然に
来寺されていた小泉時さんご夫妻におめにかかることが出来た。小泉八雲のお孫さんですよ、と
教えられ、はじめてご挨拶したような次第であった。その時のご縁からこうしたページを作成する
ことになったことを思うと、やはりご縁があったのだろうか、まことに有り難いことである。
未熟なページではあるけれども、自然破壊と日本人の変容が顕著といわれる作今、
先人の心に触れることが必要であろうと考える。



7.9 訪問者ひとりを数えるのがユニークアクセスという。
訪問者が重複してアクセスするのがトータルアクセス というものらしい。
2003年 7月 7日(月) 656  2041
2003年 7月 8日(火) 657  1741
精中忌のUPから急にアクセス数が増えているがおかげさまと思っている。人気というよりは
物珍しさがあるようで、これとて宗家の洗練されたしつらい等を掲載できるからである。
今日は京都美術倶楽部で行われる松庵茶会七月例会にでかけた。
祇園祭の趣向で私たちは見慣れているが地方の方々には珍しいだろうと
今日から表紙に連日UPする予定。多分に派手好みの席だったが
これも一興であろう。



7・7 「精中忌 手向けの七事式 と けいこ場席」をUPする。
このことはかねてより noteブックランデエヴウ に書いているので興味をお持ちの方はどうぞ。
所詮、自分の恥をさらしていることになるのだけれども、あるがままの自分を知るのも日記をつける
ことから或る小さな恩恵を受けているのかもしれないと思う。



7・5 朝7時半に家を出て今日庵へ向かう。
今日は裏千家中興の祖といわれる十一代玄々斎と十三代円能斎十四代淡々斎とを
おまつりし供養する「精中忌」の日である。全国各地から同門の方々が参集され、直門の私たちは
添え釜をはじめ七事式を咄々斎においてご供養として奉仕させていただくのが毎年の慣わしだ。
私の出番は去年は利休忌、今年は精中忌になった。そのもようは表紙にだけUPしてみた。
稽古場席や2日に桐蔭席で行われた淡敬会のもようなど、いろいろ撮影はしているもの
ネットにばかり係っていることもできない。ぼつぼつ時間と体の調子を見ながら
作成なり更新なりをしてゆきたいと思ってえいる。



7・2 午前中はご宗家へ。その後三輪薫写真展「風香」へ友人と共に行った。
和紙にプリントされた写真は日本画とは又ちがった趣のある新鮮なアートだった。
友人はたいへん気に入ったものがあったようで即座に購入、私も小品をお願いした。
表紙は雨コートのまま作品を鑑賞している誰かさん…。シャッターを押したのは私ではない。
会場は五条高倉境町21 ウエダ南ビル3F 地下鉄五条駅より徒歩3分。
TEL 075−344−8259 7月1日〜14日まで。(日曜日休館)
明日は午前中は桐蔭席淡敬会懸け釜。午後から旅に出るので
更新はしばらく小休止になる。



7・1 ゲストギャラリー「あなたの撮った茶のある風景」に出展されている三輪薫さん。
いよいよ今日から2週間の予定で京都で写真の展「風香」が開催されることになった。
私も氏の主宰される「わの会」に名前を連ねているけれども、何もお役に立てずにいる。
今回の個展は和紙をつかったデジタルプリントの世界、日本の伝統がどのように生かされているか
大いに期待されるところである。記念すべきこの会のPRにと表紙にその案内状をUPしてみた。
一人でも多くの方々に三輪薫展へお出ましいただければ私もうれしく思う。



6・30 昨日は自宅の庭で雨の中に咲くムクゲを撮って表紙にUPした。
ことしは例年より早く咲いたようだ。炉の時期にはツバキ。風炉の季節にはムクゲと
いわれるほど茶味がある花である。今は見上げるような大木になっているが、もとは挿し木で
育てたのであった。というよりほっておいても丈夫でよい具合に育ってくれた木であった。
昨日は又美容院に行きその店に飾られていたアジサイがあまりに見事なので撮影させてもらった。
美容師さんがおっしゃるには、店のお客さんが庭に咲いたといって持ってきて下さったのだと。
お話を聞きながら、花を見ながらしあわせなきもちになるひとときであった。



6.26〜27 中宮寺の日野西光尊師からワードで作成された写真入原稿が
送られてきたので、私なりにアレンジしてUPした。「いかるが便り3 仲良しのおともだち」
もとの題名はダックの近辺のご紹介になっているけれど、全体の内容からこのように変えてみた。
動物好きな尼門跡はご自分でデジカメで撮影し、文章をキイボードで打たれるナウイ方である。
多忙閑ありとはこのような生活をいうのであろう。電話でお話していると子どものように純真で
ひたむきなお人柄が伝わってきてこうしたご縁を有り難く思うのである。



6・19〜20 きのうから今日にかけて、インターネットからはじまった出会いが
あった。昨年から私の掲示板へ時々投稿されていた青年がじつは市内の大店(たな)の
若主人であり、その彼からタカシマヤで茶陶器の展示会をするのでお越し頂きたいと丁寧な案内状が
きたのである。展示は五山窯・林淡幽の作品。京都高島屋六階美術画廊(6月18日から24日まで)。
外出先から足を延ばし会場に行った私だが、その折撮ったスナップ写真をさっそく表紙にUPした。
デパートにおける展示、立礼(りゅうれい)の席のしつらい。目下、経済不況の最中だが、
せめていっとき目の保養ともなればと思う。



6・18 表紙の更新にマイルームを一部分出してみた。
サザエさんで有名な漫画家・長谷川町子さんが連日、新聞連載漫画を描くために
胃や神経を疲労させ苦労されたということを何かで読んだことがあった。漱石もその点は
共通したものがあった。こうしたすぐれた方と私などが比較される筈もないが、まあ格好だけ
つけてみたのである。なんのことはない、表紙の差し替えだけでこう言うのだからメデタイものだ。
ただ、「和」の部屋とPC機器との兼ね合いも見直してみると面白いのではないかと思う。
読者はさていかがお感じになるでであろうか?



6・17 これまで無線ランという接続機器のトラブルで悩まされていたところへ、
掲示板がまたまた故障。レンタルサーバーによれば、破損がみつかり修復不可能だという。
読者の方々が時間をとって書き込んでくださったことを考えるとこれまでのデータが一瞬の内に
消滅したことはなんとも残念である。ネットのもろさ、怖さということであろう。自分の不用意もあった。
過去ログを保存しておけばよかったものをと思うがもう後の祭り…。本当に申し訳ない。

表紙にネコの玩具を出してみた。木屋町を歩いていてショーウンドウでみつけた洋ネコ。
背景にタマネギがつるされていて、最近のインテリアデザイナーはおもしろいなあと感心しながら
写真を撮った。ガラス越しでボケたものになった。でもほっと息ついて頂けるのでは?



6・11 表紙を見るのが楽しみだという読者の方々の声を聞くのは嬉しいものである。
それで日々更新をこころがけている。今日の表紙には建仁寺献茶式今日庵席の待合の床に
拝見した画幅の掛け物である。先の金沢業躰のページには挿入しないままであったが、蛍の絵
であり、丁度今日が蛍にかかわりのある日だとという文献を見たこともあって、この画像を出ししてみた。
金沢業躰の収蔵品である貴重な掛け物をわがもの顔にする積りはないので、どうかお許しを頂きたい。
また、私の日記ともなっているnoteブックランデエヴウに蛍との因縁をすこし書いた。
画像の下にリンクを貼っておいたのでこのことも併せてお知らせする。



6・6 昨日6月5日は建仁寺にて栄西禅師をまつる開山忌が行われた。
法堂(はっとう)において法要と坐忘斎家元の献茶式があった。毎年今日庵からご招待を受け
ことしも参列させていただいたが天候にも恵まれまことによい一時を過ごすことができた。
地方にいらして栄西禅師のことに関心を持たれながらも実際にその盛儀にまみえることの
叶わぬ方々が多いのではなかろうか?そうした方々に自分の受けた光栄な時間を少しでも
共有してもらえたらとの想いから私はすぐさまカメラを取り出し撮影するのである。
今日庵席を担当された若き金沢業躰とその一家にスポットを当ててみた。
「四代目の家系 ある業躰家(ぎょうていけ)」を作成しUPした。

なお、献茶式のもようは裏千家ホームページで見ることができると思うので
どうかそちらでご覧いただきたい。私は別の観点から独自に取材した。
日本の家というもの、弊害だけでなく長所にも目を向けては如何かと…私は思う。
栄西禅師が中国から日本へ禅をもちこみ、一大道場をつくり、京都では「建仁寺の学問ずら」と
人々から言れるほど高い学識と修行をもって形成したのはほかならぬ「家」ではなかっただろうか?
茶の祖ともいうべき禅師のことをしのぶよすがにもなれば望外の喜びである



6・1 〜2 更衣、ころも替えの日だ。自宅の庭に咲くガクアジサイの花を撮影。
ついたち稽古で若い友人の台子点前(だいすてまえ)を撮らせていただいた。
衣替えの日を実感するのは茶道の世界と思うけれど、官公庁や学校、他の伝統文化
のさまざまな分野でも行われているのかもしれない。自分の置かれた立場で衣替えの
さまを小さなリポートとしてまとめてみたのである。 「更衣 (ころもがえ)」をUP。

アクセスの記録は今後はしないでおこうと思う。これまでの参考程度に先週の分にとどめたい。

日付 ユニーク トータル
2003年 5月24日(土) 505 1205
2003年 5月25日(日) 446 1047
2003年 5月26日(月) 526 1102
2003年 5月27日(火) 480 1154
2003年 5月28日(水) 373 862
2003年 5月29日(木) 491 1045
2003年 5月30日(金) 468 1072
2003年 5月31日(土) 499 1249



5・30  ページを作るという作業は若い人なら疲労もないと思われるけれど
私の場合はそれなりにエネルギーを要する仕事になってしまう。昨日はこの欄にも一行
書いただけで終わってしまった。掲示板へのレスも延引しているけれどその内に書くつもりだ。
最近新たにリンクしたサイトのご紹介したいと思う。相互リンクの喜びを感じるひとときである。
「伊藤洋のページ」「こうたろうのホームページ
「ZIDON]。ZIDONの安藤幸彦さんは技術者
の見地から音楽がこころに作用する安らぎについてオリジナルのデーターを公表されている。
アフガンの現地へも救援に行かれたその行動記録は真実がある。



5・29 「道 愛 ひと そして 茶 初夏の大徳寺利休忌」をUPする。



5・25 表紙はジョージさんの愛猫スクーター。このネコが死に、悲しんでいた彼のメールを
思い起こす。モノクロの名手であった彼の珍しいカラー写真。
まことに気品あふれる秀作である


読者数ということにこだわるのは凡人の心理かもしれない。
ある大型優良サイトではこれまでのカウンターをいったん捨てて1から出直すと書かれてあり
なるほどと感じ入ったものだ。つまり数値が上がることによって、運営している者に油断が生じる。
浮き草のようなものを実態だと思い込み、知らず知らずのうちに慢心することになるのだろう。
当サイトも中程度のアクセスを頂いておりそれなりに感謝しているのだが、 荒らしも相変わらず
頻繁にアクセスが記録されている。このところサーチで突出したのはSARS新型肺炎の記事で
ここを訪問される方々が多かった。内容がどうこうの問題でなく京都のホテルの情報
を探してのことであった。この問題も下火になればまた訪問者も減るだろう。 
 

日付 ユニーク トータル
2003年 5月18日(日) 494 934
2003年 5月19日(月) 605 1109
2003年 5月20日(火) 492 1009
2003年 5月21日(水) 406 860
2003年 5月22日(木) 509 1315
2003年 5月23日(金) 484 1258
2003年 5月24日(土) 505 1205




5・24 インターウーマンというウェブ雑誌からリンク許諾お願いというのメールがあり
このように拙サイトをご紹介いただいた。
*
05/24 NEW 伝統文化コミュニュティ 椿わびすけの家
「日本人が忘れ去ろうとしている侘の世界。多くの日本の伝統文化に共通する自然を愛で、
人に礼を尽くす、この日本古来の美をあらためて問い直す時かもしれません。
わびすけの花とは「この世のはかなさを秘めて咲く椿のもっとも小さな椿の一種」。和敬清寂。」




5・23 今日は拙サイト
開設満3周年にあたる記念日である。
2000年5月23日、大安の日を選んだ私はなんと昔風なにんげんだろう。
ネットによって心ある良き方々と出会えたことは何にもまして有り難いことであるが、なかでも
アメリカ・テキサスの山中で最愛の夫人と愛猫たちとくらす著名なプロ写真家ジョージとのご縁は
感謝してもしきれないものだ。先日夫人から彼が死去したという思いもかけないメールを受け取った。
私は必ず彼への追悼の1ページを作ろうと自分に誓っている。今日は拙サイトの記念日であるが
彼への私のこころからの感謝をこめて表紙にご夫妻の写真をUPした。
チェリール、ご覧になってください。



5・20 別館夏目漱石の部屋に掲載している日記であるが、
あまり読者の目に触れないようだ。ただ、今回は茶道とも関連がある事柄でもあり、
17日のコメントの続篇ともいえるものなのでここに再び書かせていただく。
noteブックランデエヴウに「18歳の詩人」を。


5・17 年をとると、とかく「今時の若い者は」というようになるらしい。
らしいというのは自分の事をぼかしているのであるが、時には若者の純粋さがまばゆく
感じられることもある。今日、「わびすけの愛読者です」といって未知の方から思いがけない
メールを頂いた。それは宗家の次期家元になられる方のHPを知らせてきたのであった。
S.Akihumiさんはハンドルネームを「ちょり」といい、詩を書きギターを弾き、詩の朗読や演奏を街頭で
行ったりする18歳の若者である。読者のメールでは心配だとあったが、私は彼のサイトを拝見して
実のところ感心したのであった。恵まれた境遇に甘んじて自分を厳しく戒めることを忘れた若者が
多いなかで、いったんは家出をし、ガソリンスタンドでアルバイトをし、自活をしていた彼。
詩人としてはこれからの人であるがすばらしい素質を感じるのは私だけではあるまい。
文学は本来偽りのないこころから発するものである。彼は文学と人生を愛する人だ。
彼のホームページ「Paorett」 相互リンク。
個性的なちょりさんの今と未来を信じ、私は蔭ながら応援したいと思う。


日付 ユニーク トータル
2003年 5月13日(火) 487 855
2003年 5月14日(水) 502 971
2003年 5月15日(木) 579 1182
2003年 5月16日(金) 470 1029
2003年 5月17日(土) 443 856



5・15 「さつきの雨 茶会 ひと 生物 えにし」をUP。

香港に発生した新型肺炎のニュースは世界を恐怖におとしめている。
かつてはサイマイドやエイズ、ほか幾多の薬害を厳重にチェックすることなくわが国へ
もちこんだ政府の厚生行政が、今回に限って波打ち際で防いでくれているようなのは何より
である。イラクの戦後復興もなかなか難しい状況と思われる。たしかに日本は平和であるが
世界からみれば動乱の世には違いない。こうした時、天候が雨であることはそのまま現在を
感じさせるような気がするのだ。今日の葵祭りの雨で行列は半ばで終わったようである。



5.12 表紙にUPしていた永井業躰先生の写真を新たに挿入して再UP。
「今日庵名誉教授の方々」は3月に作成したものであるが名誉教授のなかに永井師のみ
抜けていたので機会があれば撮影させていただきたいと願っていた。その念が通じたのか
最高の日に最高の場所で撮影をお許しいただいたのである。こうした私を図に乗っているとお思いの
方もあるだろうが、裏千家の慶事に出席叶わない多くの門人の方々にほんの僅かでもおすそ分け
できればとの想いから出た行為であることをご理解賜れば幸いである。

ここ1週間のアクセス数。カウンターに表示されるのはこれより少ないようだ。単なる目安に。
半数以上の訪問者が検索ではじめて来られる方々。これが毎日だからネットの広さにおどろく。
トータルアクセス数 6943
重複を除いたユニークアクセス数 3335

日付 ユニーク トータル
2003年 5月 5日(月) 411 965
2003年 5月 6日(火) 472 953
2003年 5月 7日(水) 390 928
2003年 5月 8日(木) 504 959
2003年 5月 9日(金) 442 821
2003年 5月10日(土) 366 743
2003年 5月11日(日) 344 707
2003年 5月12日(月) 406 867




5.9 昨日は平安神宮で裏千家今日庵第十六世坐忘斎家元奉告献茶式が行われた。
私どももお手伝いに午前六時過ぎから参じたが折から雷雨が激しくなり振りこむ雨のため
席はあわただしく模様替えを行った。献茶式のお家元はなおのこと大変であられたと思う。
表紙は雨の平安神宮。小降りのころ撮影した1ショットである。

知人から親切に知らせてもらうネット情報には思いがけないものがあり
時には嬉しさに頬がゆるんだりする。きのうは見知らぬサイトが私を紹介してくださっていた。
URL TODAYというサイトで「新聞や雑誌で紹介されたものなど話題のホームページを毎日更新で
多数紹介しています。」とある。8日の表紙に掲載され面映い感じだが今日は紹介文のみ再録。

茶道の精神でしなやかにインターネット「椿 わびすけの家」
URL掲載:URL TODAY編集室 5.8 
「 わびすけ」のハンドルネームで活躍するこのご婦人は茶道の先生でもある。茶会の様子を
記したフォトエッセイは、凛として洒脱なもの。伝統文化の粋を伝えてくれる一方で、愛猫の様子を
切り取った写真もあったりして、居住まい正しいなかに愛嬌もある。大の漱石ファンとしてネットで
知り合った人々と、漱石の墓前に参ったりもしている。茶道を世界に紹介した岡倉天心についての
ページもある。茶道の精神を現代に生かしたら、こういうサイトになった、ということか 」



5・4 明日の子どもの日を前にして中宮寺・日野西光尊尼の原稿をまとめてUP。
「いかるが便りその二 日野西光尊」。 この正月に掲載した「いかるが便り」の第2弾。
十数年以上茶道を通してお付き合いさせて頂いている方であるが、歴史の重みが
そのまま光となっているような深さを私は感じることがある。お若い日には家庭生活も
経験されたがその後志をもって出家されたようだ。もともと日野家のお血筋で京都のご出身。
幼稚園の先生もなさっていただけあってこども好き動物好き。デジカメとワードで作られた原稿
を自らメールで送ってこられたのもいつもながら気さくで嬉しいことであった。

北鎌倉の東慶寺墓苑では、
覚山尼(北条時宗夫人) 用堂尼(後醍醐天皇皇女) 天秀尼(豊臣秀頼の息女)

の墓をたずねたが、日本佛教界における尼僧の力の大きいことに感動したことであった。
いままた、中宮寺光尊尼の現代女性としての生き方、真摯な行跡をお伝えできれば幸いと思う。
なお、ご門跡は女性の仏道修行者を待ち望んでおられる。年齢不問、健康な方で志ある方は
なにとぞ、奈良斑鳩町の中宮寺宛に履歴書をお送りください。住所は中宮寺HPに。



5・2  つい先日の4・28日、 鎌倉への旅は北鎌倉の東慶寺詣でからはじまった。
漱石の会のご縁もあり閑棲(隠居の意)井上禅定和尚との相見が目的の一つであった。
さるお方のご実家の墓へも和尚様に導かれておまいりすることができありがたく思った。

とりあえず昨夜「かけこみ寺東慶寺墓苑を 井上禅定師と」をアップした。
当時、戦争に対する哲学者の考えや戦争の終結の為に行動した海軍参謀の話など
井上禅定師の口から直接聞くことができ、感ふかいものがあった。



4・27 明日から1泊旅行に出かける予定。鎌倉への旅は昨年からこれで3度目だ。
旅するごとに新しい発見と感動があるのは何よりありがたいことである。
ネットのお付き合いから実際の面語になるのも心ある方々に恵まれていればこそ。
拙サイトの掲示板は管理人留守のためレスをつけつことができないのでご了承頂きたい。

表紙の画像は昨日ウインドウショッピングの道すがら店頭にみつけたネコの玩具だ。
洋ネコなので日本の招き猫と違うところ、どこか面白いと思った。



4・23 「ドラと 師匠の たいぼく」をUP。どうも漫画のようなページになってしまった。
イラク戦争が短期間で終結しそうなのは何よりのニュースである。日本に落とされた
原爆に比較すればいや、比較できるものではないが、それでも私は不幸中のかすかな
希望のような気がしている。今はただ、犠牲者の冥福を祈るのみだ。



4・18 掲示板「ご訪問者との語らい」は先日から故障中である。
レンタル元に何度メールで問い合わせても返事がないのはどうしてだろうか?
管理人も人の子、病気でもされていなければいいがと案じている。しかしこのまま
でも困るので新掲示板を設置してみた。漱石掲示板の常連さんであるNAMさんが教えて
下さったもので、無料であっても宣伝がなくたいへん使いやすい。シンプルさもいいと思う。
今後は気軽に投稿していただけるよう読者の方々のご参加を待つのみである。



4・15 北朝鮮の問題は小泉首相に期待するもののいまだこんとんとしている。
声高に非難することは誰でもできるけれども解決に向けて地道な努力を続ける人々の
存在を忘れてはならないだろう。こうした自分の思いを桜の花の咲く時期に綴ったのが
漱石別館の日記風エッセイ2003/04/15 Tue 01:43 人の心は昔のままでした
そして「京にはこんなさくらもあります」と題してUPした私の写真はまことに貧弱で
京のさくらというタイトルにいささか申し訳ないような気がしている。



4・9 今日は宗家のけいこをおえた後、先輩の車で新門前の京都美術倶楽部へ。
前は時雨会といっていたが京都市内の茶道具専門店、選ばれた古美術商が輪番で
開催する会員制の茶会である。今は松庵茶会と名前をかえているものの京阪神の
熱意ある数寄者の会員が多く参集するところだ。京都美術倶楽部のなかでも長老の
赤坂政次さんは人々を惹きつける方。私もまた多くのものを学ばせていただいてきた。
人間性を常に感じさせる赤坂さんのその亭主ぶりを今日は撮影し、表紙にUPする。
流派をこえた幅ひろい活動をされているが、知る人ぞ知る天下の光悦会の重鎮なのだ。
目利きということだけでなく、人間として信頼を受けている方である。



4・8 中国で発生した重症急性呼吸器症候群(SARS新型肺炎)がとうとう日本にも
やってきたらしい。このところイラク戦争をはじめとして暗いニュースばかりだけれど、
私のような風邪をひけば肺炎になり易くすぐ入院のはめになる病弱にんげんには、
ことさら恐ろしい話である。花まつりの今日は昨日庭で撮影した椿の画像をまとめてみた。
「戦がない世の花に酔いたい」 この題名も写真もいずれにしても不満足なものである。
ブッダへのご供養にはならないけれど、どの国にも花を愛で花に酔う一時があってほしいと願う。
今も戦火のなかで悲惨な境遇にある人々への鎮魂の思いを秘めて…。



4・4 この3日の夜にUPした 「 椿の 花さく 家に 」
まだ花開かない種類もあるが、タイトルで椿わびすけの家と銘うっていることも
あって自宅の椿の写真はちゃんとしたものをいずれ撮影しなければと考えていた。
どうにかマクロで画像が数枚撮れたようである。もとより不十分なものであるが、
これくらいが現在の自分の力量かもしれない。いやいや、カメラとレンズのなせる技
というべきであろう。私は機材のおかげで対象物を複写している段階かもしれない。
あと黒椿が開いたらまたUPすることになると思う。



3・30 早いもので新暦とはいうものの弥生の月もあと一日を残すのみだ。
イラク戦争は長期化の様相だとニュースは報じている。宗教・民族間の問題がからみ
キリスト教とイスラムと双方の原理主義の戦いという面があるのではないだろうか。
それにひきかえわが国にはこうした深刻な問題がないのがなんといってもありがたい。
政治のほか、一つには仏教のもつ寛容性も大きいと思われる。

先の裏千家宗家の利休忌にご奉仕させていただいた記録を今日UPした。
「宗家利休忌 けいこ場席 半東(はんとう)の役」当日私が撮ったの写真のほか
半東の行動を追って撮影した4枚は、直門の会同僚Tさんのご好意によるもの。
茶会は協働の産物であり、こうしたささやかな記録にもあたたかいご助力を頂いた。
常に至らない私をご指導くださる諸先輩の方々に感謝!



3・25 昨夜24日下記のページをUPしたが日付は25日の今日になった。
深夜の作業はどうしてもこうなるのだ。 今日は日中に一つの作品をUPする。
題して「裏千家 名誉教授の方々」
いつも不出来な私がご迷惑をかけている方々である。



3・25 別館にUPしたのは、 「カメラさんぽ 夏目漱石を訪ねる」
ペンクラブ新会長になった井上ひさしさんは、夏目漱石こそ現役の作家だといっていた。
今の物書きは彼に嫉妬を感ぜずにはおれないという話を私はなるほどと思って聴いたものだ。
その漱石ファンのためにメル友の廣井信男さんが画像掲示版で度々貴重な投稿をされてきた。
かれこれ3年ネットでお付き合いが続いているが、社会への公正な視点をもってカメラで表現される
作風にはいつも学ばせていただいている。今後ともこうしたページが存続することを!
なお、設置したばかりの検索はあいにく故障中。ふかくお詫びしたい。



3・19 アメリカによるイラクへの武力行使が決定的となった。
小泉首相も苦渋の決断をされたのだろう。ともかく50年もの間わが国が平和であったのは
歴史上稀有なことである。水と安全はタダというような日本人の特異な感覚で正義不正義を
論じていてはわが国の平和は維持できないのではないか?平和への願いは同じなのだから。
戦争前夜の重ぐるしい今、表紙には撮りおろしのスミレ草をUP。

また、特筆すべきことがある。検索:伝統文化コミュニテッィ「わびすけ」 の設置。
これはJPLのsyudoさんのお世話になった。まだ最初で今後どうなるか分からないが
皆様に登録していただき、活用して頂ければ幸いです。



3・18 BBSに「わびすけの花いろいろ咲いてます」の感想が寄せられ嬉しく思っている。
庭にはまだ他の椿もあるので落ちない内に撮っておこうと今日は三脚なしで撮影した。
手ぶれがあってどうも思うようにはいかないが、「追加 うらく と しろつばき」を編入して再度UP.



3・17 アクセス数の不思議とは、解析のデーターと実際とは必ずしも一致しないことだ。
2003年 3月10日(月) → 2003年 3月17日まで8日間を記録した表をここに出してみよう。
トータルアクセス数 5537 重複を除いたユニークアクセス数 2486
この15日に(2003/03/15(Sat) 18:14:)KUMAさんが10万回をゲットされ、掲示板に申告された。
それから17日の今日(
17:31)は、100428の数字になっている。ニフテイのカウンターは
厳しいと聞いていたが、ではインフォーシーク解析のデーターは? どうもよく分からない。

日付 ユニーク トータル
2003年 3月10日(月) 301 650
2003年 3月11日(火) 368 904
2003年 3月12日(水) 352 741
2003年 3月13日(木) 281 624
2003年 3月14日(金) 297 697
2003年 3月15日(土) 333 644
2003年 3月16日(日) 344 805
2003年 3月17日(月) 210 472




3・15 庭のわびすけの花がそろそろ終わりになりそうだ。雨の中をマクロで撮影。
カメラはいつものLEICA DIGILUX 1 。家事の合間にそのまま写真をまとめてUPした。
「わびすけの花がいろいろ咲いてます」



3・14 アサヒカメラ(朝日新聞社刊)のデジタル部門スプリング号が昨日書店に出た。
以前ムック担当のライター荒田淳子さんから拙サイトの掲載許諾と私の感想を求めてこられた。
彼女と電話でざっくばらんにお話させて頂いたが今回それをまとめられ「Web個展の先輩に聞く」。
先輩と書かれ私は、ハハア確かに歳はくってるから違いないか、でも素人写真で恥ずかしいな、と思った。
紹介記事であり小さなコーナーではあるが、拙サイトを全国から探し出して下さったことをやはり光栄に
思ったのも事実である。若い女性ライター荒田さんのおかげである。

今日の表紙にはこの9日、故千登三子夫人の命日に梅の井に供えられていた「水と榊と椿」を。
朝礼に鵬雲斎大宗匠がおでましになり、私どもも亡き夫人へのお気持ちをしのんだのであった。



3.12 表紙だけ写真を差し替えてきたが、これらは去る8日に嵐山へ行った折のショット。
裏千家直門会の大先輩であるO女史が名誉師範を拝受された記念の祝賀茶会にお招きを受け
料亭・吉兆のなかを遠慮なく撮影させてもらった。客ぶりということがあって室内は失敗したが
戸外はピンボケながらまあまあ、レポートとしてはといったところであろうか。



3・5 きのうは戻り寒波で雪がうっすらと積もっていた。
午前8時前に家を出てご宗家に。稽古を終えてから、ひとり無色軒の露地を撮影させて頂いた。
被写体はもう最高であってそれにしてはつたない技でお恥ずかしい限りであるが、
ただ海外やその他の茶道執心の方々へ、この風情をすこしでもお伝えできればと思う。
「やよいの雪 茶道宗家」をUP。



3・1 フィルムで有名なコダックから先日メールが舞い込んだ。
「写真趣味サイト内に写真自慢大会というコーナーがございます。
そのコーナーでは「今月の一枚!」を選んで、表彰させていただいております。
つきましては、3月のプレゼンター(表彰作品を選ぶ人)を是非、椿わびすけ様にお願いしたいのですが、
いかがでしょうか?」というお申し出である。どう考えても写真下手な私にお鉢がまわってきたのは、
担当者が目隠ししてアミダクジでも引いて決められたのだろう。応募して表彰された撮影者には
コダックからステキなプレゼントが出るらしいが、面白いことにただし書きがついていた。
「3月の写真自慢大会には、プレゼンターの方は作品を応募することは出来ません。」
まずは表紙に「私が今月のプレゼンターです!」のバナーを貼る。
なお、コダック『写真趣味』からののコメントは次の通り。

3月のプレゼンターご紹介
「写真趣味」リンクコーナー代表(毎月2名様にお願いいたします。来月はあなたかも!)
image 横濱光画倶楽部 の kaz さん
image 伝統文化コミュニュティ 椿わびすけの家の 椿わびすけ さん
写真趣味 甘辛写真塾塾長
image いよいよ桜特派員がスタートしました。たくさんのご応募をお待ちしております。




2・27 相互リンクのお仲間のなかでサイトを閉鎖された方もあって、リンク集にも変動がある。
アメリカ西海岸に住むtokotokoさんのサイトと極める京を新たに追加。
変動は現実の社会にも大きい波となっている。京都市では学校の統廃合が進められているが
その一つである元明倫小学校で茶会があり先輩からお招きを受けたので22日に出席させて頂いた。
すでに「京都に明倫小学校がありました」をUPしており、「notoブックランデエヴウ」でも触れている。



2・20 世相はさまざまな問題が山積しており、個人的にも片付かない事柄を抱えているけれども
春の到来は自然界のなによりの恵みであって誰しも心が浮き立つ時である。
故伊住宗匠の喪中であるご宗家で稽古は今月も続けさせていただいた。
ただ感謝あるのみ。私たちもこれからに向けていっそう精進しなければならない。
本法寺から宗家周辺に、春近い情趣をそこかしこ感じ撮影したものをまとめてみた。
「春ちかし 裏千家宗家周辺」をUP。



2・15 伊住宗匠の追悼記事を掲載してからというもの、検索で拙サイトをみつけて訪問される方々が
多い。昨日から平常に戻りつつあるが13日には次のようなアクセツ数が解析によって記録された。
〔2003年 2月13日(木)〕 トータルアクセス数 1285
重複を除いたユニークアクセス数 524

故伊住宗匠の人気といえば失礼になるけれども、密葬のあと早々とページをUPしたニュース性
であろうか。メデアの世界は未知であるがその秘密を垣間見たような気がしている。



2・8 別館夏目漱石の部屋のバナーができあがったので、本日本館のトップページにリンクした。
このサイト創設の時からお付き合い頂いているアートデザインーのかじゅアトリエに依頼して
作って頂いたものである。プロだけあって4種類もの色変わりのバナーを製作してくださった。
いずれも気に入っているので、表紙の色に合わせて折々差し替えてみようと思う。
ちなみに画像の白椿は私の撮ったつたない写真を縮小されたものだという。
かじゅさんはデザインで生計をたてられお子様を育てていらっしゃる自立した女性である。



2・6 先月下旬からインフォーシークの解析をつけているが、訪問者の気持ちが
わかる部分があり興味深い。はじめてという訪問が毎日半数以上あり、いろんなサーチで
ここを知って訪問されるようだ。なかでも茶道宗家の情報を求めてこられる方々が多い。
そこで、当掲示板にも伊住宗匠の急逝を悼む書き込みが続いているので、最新の情報として
「伊住宗晃宗匠遺影」を制作しUPした。遠隔地の皆様へのご報告となれば幸いである。



2・1 鎌倉東慶寺といえば駈け込み寺で有名だけれど、国際的な仏教学者であり
すぐれた禅者であった鈴木大拙の松ヶ岡文庫があることでも知られている。
学問的な雰囲気と共に四季の花々が咲きにおう高貴にして美しい名刹、その東慶寺を
かくあらしめたのはひとえに前住職の井上禅定師の学識と高徳によるものである。
1月20日で満92歳になられた禅定師から頂戴した書き下ろしの原稿を別館にUPした。
題して「鈴木大拙と夏目漱石のこと」、歴史の生き証人の貴重な記録と思う。



1・30 昨29日はこの冬一番の寒さ、今日庵の門にも雪がうっすらと積もっていた。
いい出来ではないが表紙に差し替えてみた。この夜はマイナス6度との天気予報。
家中の水道から水をちょろちょろ流して水道管破裂の予防をする。しかしベルリンの知人の
話ではー14度と聞くからまだまだ京都は住みやすいのではないか。京の夏の蒸し暑さのほうが
風邪に弱い私にはまだマシなような気がする。そして日本の北ぐにの方々のご苦労を思う。



1・21 「別館 夏目漱石」サイトの掲示板は牛のように遅い歩みではあるが、
アメリカの新進気鋭の研究者から突然「応援します。」という書き込みがあったり、
内容の濃いものになったのはありがたい。「夏目漱石が好きなかたへ」
画像掲示板「夏目漱石」も順調に回を重ねている。noteブック ランデエヴウは私の折々の記。
併せてお楽しみいただけたら幸いである。



1・18〜19 深夜の作業はどうしても次の日付けと重なってしまう。
18日の夜にとりかかった、「京都文化博物館別館にて」をUPできたのは19日の夜半。
出来の悪い写真でなんともお恥ずかしい。しかしこの日出会った方々は心温かい余韻があった。



1・12 今日庵の初釜式は今年は十日のお招きになったので指定された午後の時刻に参上。
この日は時間的に最終の席になっていてカメラを持つ身にには気が楽であった。
新家元は咄々斎で三碗の濃茶を練られた。私は三碗目のお茶を頂戴することが出来、その上
カメラを取り出し遠慮なく撮影させていただいた。写真にはご理解のあるお家元なればこそ。
「また、椿のホームページに出るのですね。猫と一緒に。」と仰って、私は思わず「早い!」と
はしたなく答えてしまった。中宮寺の猫をご覧になったと確信したのである。
「今日庵・坐忘斎家元 吉祥の初釜式」と題してUPした。



1・7 中宮寺門跡の日野西光尊さまから写真と原稿入りのワードを送って頂いたので
メールをも挿入して、「いかるがだより 中宮寺の猫ダクちゃん」を作成、UPした。
宗家での直門の会で長年おつきあいさせて頂いている大先輩の方である。
愛猫に対するお気持ちを聞くのに私は箇条書きで質問した。無邪気といえば失礼になるだろうか、
私の問いに真っ正直にお答えになったのがあの原稿なのである。猫にとどまらず動物好きな方に是非
ご一読いただきたいと思う。



1・2 別館 夏目漱石サイトに『あの頃の自分の事 芥川と松岡譲』をUP。
松岡陽子マックレインさんから提供された初公開の写真を挿入して、青空文庫の芥川作品の一部を
抜粋して作成した。のちに漱石の娘婿となった松岡譲氏の若き日の姿を友人の芥川が見事に描写している。
今と違って当時の文学者のなんと求道的な精神であることか!さすが漱石門下の人々である



1・2 アメリカ在住50年になられた松岡陽子マックレインさんはご存知夏目漱石のお孫さんである。
新年のご挨拶とご家族の写真等を私に郵送してくださったので、2枚の画像を合成し表紙にUPした。
漱石先生の精神といったらいいだろうか、日本人の誇りを感じるカードとお写真と思う。
漱石画像掲示板へも心温まるお年賀、東慶寺老師のご染筆をUPしているので、併せてご覧頂きたい。



2003・1・1 表紙に露地笠と柳を。これはT名誉師範の茶会へお招きを受けて行った時ののスナップ。
京都の料亭旅館「炭屋」の玄関に飾られていたもの。店主は今日庵老分のお一人。
さすがに店の隅々にまで心配りがあり、ゆったりと風情あるものであった。






2002・12・25 クリスマスの今日、ベルリン発インターネットマガジン「BN789」のクリスマス特別号を
ご紹介したい。常連の執筆による個性あるカードが夫々たいへん巧みな編集で掲載されている。
私は常連とはいえない者だけれど、時折お誘いを受けて寄稿させて頂いてきた。
表紙には自分のつたないカードのみUPしたが、ぜひページの下にあるMenuをクッリックして下さい。
他の方々カードには若々しい魅力を感じられることでしょう。

12・23 今日庵第十六世新家元となられた坐忘斎宗匠。暗いニュース記事が多い中に
私たち一門の者にとって感動的なニュースであった。前家元の大きさ、故登三子奥様のおやさしさ、
そのご両親の英知と資質を受け継がれた素晴らしいお方である。茶道は厳しくも一子相伝の世界。
末永くこの日本の国のよき伝統を伝えるべくご指導を賜りたいと思う。
表紙には兜門から見る冬ごもりの大木、路地の石畳、その景観をUPした。
裏千家ホームページからニュースの詳細をどうぞ!( ↓ アドレス欄にコピーペーストしてクリック)
http://www.urasenke.or.jp/textm/headq/soke/news/news036/news036.html

12・22 裏千家今日庵第十五世家元はこの日宗家利休堂において、ご長男を第十六世家元として
継承宣誓式を行われる。このあと、来年一月初釜式において正式に新家元の披露をされるのである。
表紙にUPした画像はことしの宗家利休忌に七事式「茶カフキ之式」があり、筆者としてご奉仕した折の
記念の会記である。自分が書いた会記にお家元に代わって若宗匠が極めを書いてくださった。
これまでのご署名をなつかしくおもい、こうして掲載させて頂くのである。

12・20 更新履歴と同じ内容になってしまうので、つい書き込むのを怠ってしまった。
12日に「ヨコハマ山手洋館めぐり」をUP。ゲストギャラリーに2度ご登場を願った写真家・村岡秀男氏
とはネットの良きご縁でいつも掲示板やメール等でご指導ご支援をいただいている。
たまたま12月8日の鎌倉漱石の会に出席するので、横浜にお詳しい村岡さんに7日のご都合を伺ったら
7日ならいいと、更に洋館巡りは如何かとご親切に仰ってくださった。
以下は、別館掲示板「夏目漱石が好きなかたへ」のなかで10日に私が書き込んだ一節である。
「この七日に京都を発って新横浜へ。そこで二年余り前からネットでお付き合いさせて頂いてます著名なプロ写真家
村岡秀男さんが駅の改札口で待っていて下さいました。ご好意に甘えごいっしょに山の手洋館めぐりをして
写真撮影をいたしました。本当によい勉強をさせて頂き感謝でいっぱいです。」
夕方私は横浜駅を発ち、すぐに東京に向かいメル友のミモザさんのご自宅へ宿泊したのだった。

また18日に「シロワビスケの花が庭に咲きました」をUP。
今月で終わりと思うと、なにかしら言い残しておかないと・・・などとたわいも無いことを考えてしまう。
今日は裏千家宗家の稽古じまいだった。後市内のSホテルで反省会&懇親会。
中宮寺の尼門跡さまとご一緒して写真やホームページのことを話し合い楽しかった。
「斑鳩だより」というページを拙サイトから今後UPすることになりそうだ。
ご門跡は目下パソコンにトライされ、ご自分が撮られた画像を添付メールで
私に送ってこられるような方である。少しでもお手伝いができればと思っている。

12・5  去る3日に、「鵬雲斎家元 北野天満宮最後の献茶式」をUPし、
本日、後編として作成したのは、「今日庵業躰 高橋宗健師 席へ」である。
長年、宗家でご指導をいただきそのお人柄に接して、茶があるということはこうしたことかと
内心気がついたこともある。道具茶でなく、気負いのある茶でなく、さらりとしている。
ネットで流すことでご迷惑がかからねばいいがと一抹の懸念もあるが、多謝!

11・23〜26 別館・夏目漱石のページに芥川龍之介の作品を掲載することを
かねてから考えていたが、12月9日の漱石忌が近づいたこともあって、
『漱石山房の秋・漱石山房の冬』『葬儀記』の3篇を漱石自筆の画像を加え、UPする。
芥川は漱石に見出されたということもあるが終始崇敬の念をもって師に学んだ人であった。
師の漱石と彼の間には生い立ちから現実の不安感に至るまで、共通するものがあったように思う。
今後も漱石を語り合う上で、なくてはならない芥川の作品をとり上げ貴重な画像もふんだんに挿入し
読者の皆さまに楽しいページとしてお目にかけたいと願っている。

11・12 「兼好法師ゆかりの吉田神社献茶祭」をUPする。
去る4日に行われた京都市左京区吉田の空気というものを、吉田神社の献茶式を媒介として
記録できればとひそかに思っていたものである。京都の社寺の多くは京都市と係争関係にあり
庶民感情としてはなんとなくしっくりこないところもある。けれども、ここ吉田神社はこうした雰囲気が
まっかく感じられなかった。お家元のこれまで実践されてきた平和への世界行脚をおもい、
まことにふさわしい献茶祭の場所であるとふかい感銘を受けた。
つたないページではあるが、末弟子のささやかなこころをお贈りしたい。

11・4 東山・豊国廟のすぐ下にある桐蔭席は、毎月品格ある小寄せの会員制茶会が行われている。
茶席外のたたずまいを撮影すると共に、3日午後に京都駅〜ホテル内でクライン孝子さんと面語の模様と。
私のこの喜びを「こうよう(黄葉・紅葉)してまっせ〜」と題してまとめてみた。
福知山での講演旅行を終えて私のために会いに来てくださった孝子さんに深謝!

11・1 べるりんねっと、読者の方には既におなじみの名であろう。かねてからご依頼を受けて
制作した拙作が今日、ベルリン発のインターネットマガジン「BN789」11月号に掲載されている。
「茶道とは 伝統ある日本人の こころ」 聞けばベルリンの壁が崩壊したたのがこの11月9日だという。
日本のこころを内外の方々へ少しでもお伝えできればという願いから私はこのページを紹介する。
なお、裏千家ホームページから初釜の画像2枚提供して頂いたことを感謝します。

10・31 昨日は天龍寺開山夢窓国師の毎歳忌、今日庵若宗匠の奉仕による献茶式に参列。
ご宗家からのご招待は今日庵席のほか副席が2席。けっこうなご接待で有り難いことであった。
ことしは温暖化の影響で紅葉が遅いと嘆いていたが、さすが嵐山の紅葉は別格であった。
客になりながら手にはカメラ、失礼と知りつつ撮影させていただき、帰宅後さっそくUPしたのが、
「天龍寺開山忌献茶式・茶会」である。取りかかったのが30日で完了したのが31日の夜半になっていた。

10・23 表紙にうすむらさきの薔薇をUP。古くは「そうび」とよばれたようである。
その名を美しいと思い、そんなコメントをつけてみた。

  niftyのHPスペースに、かつてYAHOO掲示板にあった『夏目漱石が好きな方へ』の続編として
新たに「椿わびすけの家別館 夏目漱石』サイトを作ったところ、たいへん良い画像の投稿が
相次いでいて喜ばしい。松岡陽子マックレインさんも今月末から講演のために来日と聞いている。
漱石新掲示板にもさっそく祝辞を寄せて下さった。この漱石サイトを今後皆さまと共に育てていきたいと思う。

9・16 PCを初期化してどうも使い勝手がままならない。スキャナーも思うように動かせずに
更新が遅れてしまった。今日表紙に掲載したのは、クジャク草という花である。
昨年漱石先生の墓参をした折、薄紫のこの花を私は花屋でえらび、菊と共に供えたのであった。
何かしら漱石の好みに合うような気がしたのだが、先月の桐蔭会・土本宗丘師のお釜で広間席にこの花が
活けられていた。嬉しくて懐かしかった。この時、生憎わがdegilux1は電池切れで役に立たない。
席でみかけた淡交社の坪倉カメラマンに頼んでこの1枚を後日送ってもらった。
席主土本業躰先生と坪倉カメラマンのセンスをご覧頂きたいと思う。

10・2 カナダからBBSの常連であるちびさんが今日帰国。日本人女医として変わらぬ精進を続けている人。
カナダの思い出に、ちびさんから昨年送られてきた「アルゴンキンの夕日」の写真をトップへ再掲する。
これは彼女の親しい友人である看護婦みちこさんが記念に撮影した一枚である。
原版はもっと広範囲なものであるが、私の一存でカット、画像処理をさせて頂いた。

9・25 若い友人の点前に客としてすわり、横に置いたカメラを手にとり、撮影させて頂いた。
いずれも稽古風景である。稽古中はご無礼になることをよくよく承知でするのだから罪は重い。
つくづく思ったのは、茶道をたしなんでいる女性のゆかしさである。
宗家の帰途、庵主さまのお寺に立ちより、秋の風情を撮影。持つべきものは、心有るよき友である。
『京をんなと利休井戸』としてUP。

9・22 表紙になった写真たち4 をUP。
トッップの写真を見るのが楽しみだと言って下さる方が少なくないので臆面もなく
まとめたが、今回はコンタックスの銀塩カメラで撮影したものが多く、デジカメは殆ど入っていない。
説明文を書いていないのは、ご自由にどうぞ!ということ。
ご勘弁頂きたい。

9・1 「過ぎゆく夏 京の町」をUP。先月28日大徳寺における利休忌の懸け釜、
そのスナップを織り交ぜてひろく京都の町の季節感でもと思いまとめてみた。
なにぶんにも肖像写真もあり普通なら気になるところだが、心の広い方々なので心配していない。
自分で失礼と思えるような写真は掲載していない積りだし、むしろ大らかに受け取って頂いている。
至らぬ私を理解してくださっているそのことを、なによりもありがたいと思う。

8・31 主力のパソコンが不調で、ながらく更新できずにいた。テキストの書き込みだけは
予備のPCでなんとか繋いでいたのである。一時しのぎではあるが復調したので先ずは表紙の更新から、
28日大徳寺における「利休忌」へ担当の懸け釜へ。直門の同僚であり帯屋のしにせのTさんの後姿を撮影。
そのスナップをUP。今後一連の写真をUPの予定です。機材はLEICA DEGILUX 1.。
リンク集に「ひろのインターナショナルカフェテリア」を 。意欲あふれる充実のサイト。

8・8 テキサスのジョージさんのアルバム3回目として「 George's ALBUM 3」をUPする。
2月から手がけていたものの構想がまとまらなかった。それというのも、彼は多くの作品のCDを
私にプレゼントしてくださっていたので、選択に迷うというのも事実であった。すべて私の一存で構成し公表
するのである。こうした時、痛感するのはジョージさんの寛容で謙虚なお人柄にである。「あなたは自分に名誉を
与えてくれた。あなたに多くの感謝を!」とその都度メールで言って下さる方なのである。
写真家である前に、人間味あふれる彼と彼の夫人に、私は多くのものを負う手いる。

8・7 表紙にニレンゼン河の砂をもって造られた、抹茶茶碗を先日来UPしていたが、
色調が思うようにでない。今日はややましになったものを再度UPする。この茶碗はずいぶん昔になるが
花園大学学監・故荻須純道博士から私に頂戴したものである。茶碗の作者は陶芸家・露石さん。
仏跡巡拝に行かれた折りにニレンザン河の砂を持ち帰られたという。銘の「尼蓮禅河」には、次のような由縁がある。
「釈尊(お釈迦さま)はクシナーラー付近のニレンゼンガ河岸、二本のサーラ樹(紗羅双樹)の林中にて、
その御生涯を終えられ、般涅槃(はつねはん)に入り給うた。」 博士のお心がこうした茶碗になったことを思い、。
「ベルリンの壁ふたおき物語」にちなむこの写真をもってを亡き方々へのご供養にとなればと思う。


7.29 かねてから自分の頭の中で模索をくりかえしていた「ベルリンの壁ふたおき物語」
深夜ようやくにしてUP。7月8月は日本という国にとって忘れることのできない敗戦記念の月である。
過去をふりかえり、現在を感謝し平和の尊さに思いをいたす月ではないだろうか。
このページを制作するにあたり、裏千家ご宗家の方々のふかいご道愛に感謝申し上げる。
また多くの知友の方々のご協力があればこそ、ささやかな作品ができあがったと思う。ありがとうございました。
 

7・18 コンピューターの不調でここ数日表紙の更新がままならなかった。祇園祭に関連した画像を考えて
いたが後日掲載させてもらうことにする。京都美術倶楽部の茶会で撮った写真は4枚既に掲載。
しかし町屋の屏風祭りを撮影してきたのでこれがメインになると思う。。
 

7・11 リンク集に新しく追加したサイト2件の紹介。最新情報での記載が遅れてしまった。
司法の勉強に取り組んでいるまりりんさんのユニークなサイト「くうねるあそび」。その正義感が爽やかだ。
内田百閧フ研究で知られる森田左翫さんの「鳩燕山房」(くえんさんぼう)もおすすめ。
 

7・5 べるりんネット789が発行するウェブ月刊誌「インターネットマガジン789」7月号に、
暑中見舞いの一つとして「椿わびすけのカード」を掲載して頂いた。
京都市内梨の木神社で催された七夕茶会でのスナップである。数年前の旧いパノラマ写真、
七夕の風情を少しでも感じていただければ幸いに思う。
 

6・28 夜、 ミセス松岡陽子マックレインをUP。四月から写真をスキャンし内容を考えていたのである。
心待ちにしていらっしゃるマックレインさんにも、他の関係者の方々へも責任という心積もりはあるものの、
思うように制作が進まなかった。それでも漸くその気になって漱石の作品を一部引用しながら、
孫の陽子さんの京都滞在をスケッチ風にまとめてみた。

6・15 ドメイン取得ということで、試行錯誤の日々
容量が限度いっぱいになったのが主な動機であった。   
 
wabisuke.jpのサイトへ移行の手続きもなんとか完了。写真が多くても困らないし、英語翻訳の機能をとり入れ一安心。
今後は。旧サイトでの新たな制作を考えたいと思う。地域に根ざした利便性もぜひUPしたいものだ。

6・13 じつは20日間もほっといた写真のBBS、新しいアドレスも見込みがついたので、ようようにしてUP。
さっそくゲストギャラリーやBBSの常連の方々が素敵な写真を投稿してくださった。フルキミさんは見事な椿の花12枚。
きよみ野のお父さんの写真はなんともあたたかく、ほほえましい。皆さまのたのしい出会いの場となりますように!

6・8 ホセさん手作りのバナーはスペインの猫の置物が取り入れられている。
猫好きなあなたの為に作ったとメイルにあったので、猫たちはワルツを踊っているのでしょうか?と
問うと、「本当に私は猫がワルツあるいはポルカを踊っているかどうかについて確かでない 」と返事がきた(笑)。
今日の表紙は、そのバナーを縮小して掲載。ベニワビスケの写真はのんちゃん野本さんの作品。

5.27 スペインのホセさんが拙サイトのバナーを制作・リンクとしてUP.その許可を求めてこられたのに感動。
こちらはテキストだけで英語版の下にリンクを貼る。椿の名を掲げながらその画像が乏しいのは恥ずかしい限り。
ホセ・ガルシアさんの「カメリア・ジャポニカ」の美しさを多くの方々に知って頂きたいと願う。


5・24 2002/5/23/サイトを立ち上げて2周年。自分のBBSに自分の思いを書き込んだ。

拙サイトとこの掲示板にお越し頂きまして、まことに有難うございます。おかげさまで二周年を迎えることができました。
きのうから一日を過ぎた今日は、最初に立ち上げた日のことをうるうると思い浮かべております。
当初の表紙と「椿わびすけの家」のコメントをご記憶になっている方はいらっしゃいませんか?

☆椿は日本で生まれた国字です。世界での椿の学名、カメリア・ジャポニカ。
ツバキ科の常緑潅木で日常茶飯事のものとは?それはお茶のことです。どうぞ わびすけの家で ごゆっくり。

その時の定番の写真はアザミに白蝶。あの素敵な写真は私にとってのネットの恩人「たけだ」さんの作品でした。
快く私に写真をプレゼントして下さった「甲斐のたけだ」さん。でもその後ご自分のHPを閉鎖され行方知れずに・・・。
ほんとうにいろいろな出来事が去来いたします。そして昨日、感動的な出会いがございました。
スペインのホセ・ガルシアさんと・・・カメリア・ジャポニカの愛好家であり、研究家であり、優れた写真家である彼とのご縁でした。」

リンク集に入れたものの日本版であり、英語版にはどうしたらいか?と思案する。


5・18 相互リンク、最新情報で記載が遅れていたサイトもあり、お詫びしたい。
「竹の美術館」親子三代で築きあげられた伝統工芸。唯
感嘆!小菅秀顯さんはハイテク研究者(PhD)。
他に「TAKALIN'S PAGE」
「樹海入り口」「幕末京都へようこそ」猫サイト検索「NYAHOO!JAPAN」など。
 
5・12 「漱石展から鎌倉漱石の会へ」をUP。先月28,29日と遠出した時の記録である。
これも自分一人でできた訳でなく、いろんな方のご協力あってのこと。ささやかなもの乍ら久々の更新に
ほっと息をつくのである。そして。いつしか昔を想い、亡き人々を想うのである。

5.2 さかのぼる話になるけれど、4月28に神奈川の近代美術館へ「漱石展」を見に行った。
足を鎌倉へ延ばし、「鎌倉漱石の会40周年」に参加。さらには円覚寺の名刹「東慶寺」の閑棲・井上禅定老師に
相見させていただいた。こうした得がたい体験をすることができたのも、不案内の私をフォローして下さった、
ヤフートピ「夏目漱石が好きなかたへ」のご縁で知り合ったミモザさんのおかげである。
表紙にその日々のスナップ写真を更新して、ご報告としたいと思う。

5・1 べるりんねっと789は、日本でもホームページグランプリに輝いた程の評価の高いサイトである。
「インターネットマガジンBN789」は、その別サイトであり、若く有能なスタッフが徹夜に近い仕事でがんばっている。
今回編集部の要請を受け、京都のヴェロタクシーを取材し、私の写真記事を送信したのが4月下旬のことだった。
作者の思いよりはるかによいページを、5月1日、五月号として掲載して頂いた。
タイトル「ヴェロタクシーin 京都!」インターネットマガジンBN789に感謝!

4・30 表紙は松岡陽子マックレインさんの京都を、デジカメと銀塩カメラで撮った写真で連日のように更新。
最終の写真は裏千家今日庵を訪問し、若宗匠、陽子さん、私と3人でおさまった1枚。
シャッターを押して下さったのは業躰の中村宗石さん。「じつは私もソーセキなんです。」と笑わせて・・・。

4・12 長らくわが家の猫のページを作っていない。知人からのご要望もあり、今回「老境に入ったドラ」をUP.。
夏目漱石の名作「我輩は猫である」にはあまりに遠いものだけれども、その心だけは忘れずにいたいと思いつつ
家猫を相手に今日写真を撮った。結局、どうもお茶を濁してしまっただけではないかとひとり苦笑。

4・9 アメリカ・オレゴンからの遠来の客。マックレイン松岡陽子さん。東京での講演会のあと京都へ!
8日、9日と、1泊2日の京都を私が案内させていただいた。拙宅を訪問されたスナップの1枚を今日の表紙に。
2日間の旅のもようを撮影したものの、出来は今ひとつ。しかし、御祖父・夏目漱石先生の足跡をしのぶ意味で
後日UPの予定。撮影地は、都ホテル。祇園の花街、都をどり、平安神宮、建仁寺、今日庵。乞うご期待!!

3.26 英語版サイトのほうの更新をすっかり忘れていた。それで、「George's ALBUM 2」「KITANOTENMANGU」
「The photographs which became a cover3」をUP。不満足なものながら、サムネイルで逃げる寸法(笑)。

3・24 声・反響「茶のある風景」 をUP。BBSにこれまで頂いた投稿はすべて貴重なものである。
ただ、現在使用しているBBSはレンタルであって、古い順に消えるようになっているのが残念でならなかった。
投稿のすべてを収録したいのが自分の本心なのだけれども、今回はゲストギャラリー、と「茶ごころ」ということに絞って、
まとめてみた。BBSに限らず、メールにおいてもお人柄が感じられるものを、失礼を承知で、掲載させて頂いた。
みなさまのご理解を賜れば幸いでございます。

3・19 北野天満宮の大満燈会の行事のひとつ、市民茶会・野点席で薄茶をいただいた。
私の前にお茶を運んでくる舞妓さんを真正面から撮影。まだ十代のあどけなさが残っているひとだった。
昨日の表紙は、モノクロの狛犬、その前は、3月2日東山・桐蔭席での自分のスナップ。シャッターを押してくださったのは
同席した若い人。アングルといい、ノーフレーミングがピシリ決まっているなかなかの腕前だと思った。感謝!

3・4  大阪で三輪薫個展『風色』が開催されたので、過日会場に行き写真展に接することができた。
それをご縁に、個展を終えられ京都へ立ち寄られた三輪薫さんご夫妻に伴って京セラ本社を訪問。
二階ショールームに展示されている三輪さんのすばらしい大作を拝見した。宣伝部の責任者斉藤さんが親切に
ゆっくりと時間をかけて案内してくださった。セラミックはもとより、現代日本画・最高峰の画家たち、ピカソの版画シリーズ、
又中国の古典的な工芸等々、多彩な展観であった。本社ビルの建築設計は黒川紀章とか。きけばこの会社に借金はないという。
深刻な不況の只中にあって、健全経営の会社が地元に存在するということに内心おどろく・・・。
こうした今日の出会い、まずは三輪ご夫妻に感謝!

3・3 表紙になった 写真たち 
ひな祭りにちなんでこれまで表紙に出したことのある桃の生菓子、貝香合などをまとめてUP。
下鴨神社で行われた蛍茶会の写真4枚もともに掲載。

3・1 パソコンが急に作動しなくなった。ほぼ三日間、サイトはもちろんのこと、メールの送受信もできず
心苦しいことであった。機器の非情を感じていたら助っ人現れ復旧。タメイキから一転してホッコリ!
表紙は、三月三日を前に、「日向ぼっこのひいな」に差し替え。

2・27 「スケッチ・北野天満宮梅花祭の縁日」をUP。2月25の夕刻に行って撮影したもの。
梅花祭は昨年UPしたものがあるので、今年は全国各地から出店した露店の風景を取材した。

2・23表紙を上手な他人さまの作品から自分のヘタな写真に差し替え。今日は桐蔭席で撮った紅梅の1カット。
コンタックス・ツアイスの味が出ていないのが残念。後も当分このフィルムの写真をつかうことにする。

2・22 「ジョージさん夫妻のとっておきのアルバム1」を通常画面で制作しUP。
スライドショーは一部表示されないこともあると読者の声あり、削除する。今回画像も3枚新たに展示。

2・19 リンク集に「京都故事」「哲学の小径ギャラリー」「ミュシャ美術館」「ドイツの水の物語」
若い世代のサイトは「SABASABA'S ROOM」「◆Dream Lif◆」。最新リンク「るい NETWORK」。協働サイトという。

2・17 表紙にジョージさんから新たにバレンタインの日にと送られて来た「リトルチャーリーとチューリップ」を。
先にトップに飾った愛猫スクーターに続いてジョージさんの猫写真は3枚目。

2・15 ジョージさんのアルバムは1に続いて「とっておきのアルバム2」をUP。アメリカとカナダの冬から春の雄大な作品
で画面を構成した。前回のスライドショーはIEをお使いの方には見えてもネスケを使っている方には見えないという
複数の読者からメールを頂いた。その為今回はスライドは中止。

2・8 アメリカはテキサス在住の著名な写真家ジョージ(George Lanterstein)さんからご自作の写真CDを恵贈さる。
その一部をスライドショー「ジョージのとっておきのアルバム1」としてアップ。重くならないようにとピクセル数を限定。
そのため画像は荒く表示され、作品の本来の美しさに欠けるのが残念である。

2・3 若い女性kumi bujinoさんが作曲した「海に消える雨」、そのmidiを送っていただいた。
当サイトの表紙に流れるように設置。日本のよさを現代音楽に取り入れている音楽家である。

2・1 村岡秀男著『かんたんフォトショップ』日本カメラ刊、この本の影響を受け、合成写真制作にトライ。
ベルリンの壁の破片の土石で造られた茶道具のひとつ「ふたおき」を、かつて私は友人のシスターCからプレゼンされていた。
ベルリンの壁を背景にしてこの茶道具を写真で立体的に表現しようと試みた。村岡さんのご親切な指導をメールで戴き、
なんとか出来上がった1枚である。節分を前に、これぞ世界の「鬼は外福は内」。今日のトップページに!。

2・25 ひきつづき「椿 わびすけの 表紙になった写真たちNO.2 」をUP。なぜわざわざ自分の名をつけるかといえば
拙サイトには人様から贈られた写真も度々表紙に掲載しており、自他の区別の意味で書いたに過ぎない。

1・22 これまでに人様から贈られたお写真を表紙にさせて頂いたことは度々であった。ところが拙作写真を又見たいという
リクエストをされる奇特な方もあり、、おことばに従い、サムネイル画面としてUP。題して「表紙になった写真たちNO.1」。
素人写真ながら撮り溜めた表紙用の写真が多いので今後も続けてご覧に供したいと思う。

1・20 アメリカはテキサスの著名な写真家ジョージさん夫妻から早くから頂戴していた新年の挨拶。
それはご夫婦の写真添付メールであった。一人だけで見るのはもったいないので、表紙に掲載させていただくことに。

1.14 「うま年宗家初釜と女子駅伝」をUP。京都での宗家初釜は13日で終わり、あと東京道場で
盛大に行われるようである。そのため、道具等の写真と記述は遠慮させていただいた。後日に追加も・・・。

1・13 宗家での初釜の帰途、駅伝の走者に出会った。ガンバレガンバレの舗道の声援もどこかのんびりしていた。
専門のカメラ班がいたのでその脇でパチリ!このヘボカメラマンものんびり。その一カットを表紙に。
ところがこの後、京都が優勝と知りました。

1・9  京都美術倶楽部の茶会の帰り、八坂神社前でえびす行列に出会った。七福神はずっと先。
咄嗟に撮ったピンボケのオソマツなカット、でも今日の天候の証明にもとヘンなリクツをつけて表紙を更新。

1・4  今日の表紙は「謝茶 千宗室裏千家家元」。客になってお座りになったお家元のスナップ。
昨年の夏、大徳寺での利休忌の日、私は偶然にも点前をしてお家元に一碗を差し上げる役になった。
点前している者としてはこの瞬間を撮ることができない。でも淡交社の新進カメラマン坪倉さんが撮影して下さった。
頂戴した一枚、どちらかといえば遠景のその写真から、私は自分の姿をカットして、勝手に焼きなおさせて頂いた。
お茶というものをこのように受け止めてくださったお家元のお心を後で知ることができたのは、この一枚の写真であった。。

1・3  表紙に「宮古島の海」を差し替え。廣井さんのこのしぶい色調はなによりのもの。

2002.1.1 表紙に「ひこうきの窓より」のskyの写真を。これは廣井信男さんからの思いがけないプレゼント。
おしつまった年末に、「宮古島の海と旅客機の窓から撮影した空を贈ります。」と2枚の撮りおろしの写真が到来!
まさにタナからボタモチ。その写真をありがたく掲載させていただいた。



2001・12.29 リンク集に以前から追加していたサイトの記入が遅れました。
「IL PALAZZETTO」。「東京トホホ会」。「鉄道で行く旅」。「青い鳥を求めて」。いずれも個性豊かなサイトです。
そして今日は漱石トピのご縁でめぐりあった木村さんのサイト「AREA SOSEKI」。漱石を愛する若き学究。

12・23 今年になって猫をまだ一度も出していないのが気になっていた。長年交友関係にあるシスターから
愛猫の写真を拝借し、あらためて猫ページを制作。『修道院のねこドピイ』をXmasを前にしてUP.。

12・11 ヤフー掲示板にトピ主として『夏目漱石が好きなかたへ』の投稿も続けている。
おかげさまで投稿数1000回をすでにこえた。投稿くださっている方々のご熱意を謝しさらによきトピにと願う。

12・2 今日庵宗旦忌のようすを撮り溜めていたので、漸く整理をし、「今日庵宗旦忌2001年」としてUP。
随筆と新BBSの設置を考えているものの、思うように進まない。
でもBBSとヤフー漱石トピの充実!皆さまに感謝あるのみ。

11・20 漱石をしのぶ会合の翌日(10.30)東大構内の三四郎池をひとり散策し、写真を撮った。
しろうと写真ながら『 三四郎池 』と題し、東大資料一部分、漱石『三四郎』の文中の引用も含め、UP。
江戸第一の名園として謳われた「育徳園心字池」。東大病院のその歴史の一端にも触れる。

11・16 漱石オフ会の翌日、東大構内の三四郎池を散策。その折の1カットを表紙の茶トラ猫から差し替え。

11・8 リンク集に「鯰のひとりごと」をリンク。某新聞社で30年社会部記者を勤められたminoruさんのHP。
社会と人間をみつめる視線がエッセイ写真ともに非凡!

11・7 「夏目漱石を慕う人々の会」をUP。
10・29の漱石墓参、漱石史跡めぐり、そして漱石のお孫さんにあたるマックレイン松岡陽子さんを囲む
夕食会の模様。マックレイン陽子さんは、オレゴン大学東アジア言語文学部・名誉教授の方。
私も久しぶりに東京でよい思い出を作ることができた。もとはヤフートピで知り合った方々。
ネットのよさを静かに思う。今日は立冬。

11.6  リンク集執筆の部に作家・藤原新也さんを。プロならではの見ごたえのあるサイト。

11・2 一日今日庵へ参上した折、寒雲亭も小間の炉が開かれていた。昼間ながら薄くらい室内、その行灯を撮影。
若宗匠の作品をお借りした表紙から、2週間を過ぎてトップを「ひらかれた炉に」差し替え。

10・31『 あるじの屑篭 』をあらたに随筆のページとして構成。もともと私の夫の随筆をここにはUPしたのだが、
かつて他のウェブ雑誌に掲載された自分の随筆をも、ここに再録させて頂いた。
今後もささやかながらも随筆を書いて、皆様のご批判を仰ぎたいと思います。

10・19 「あなたの撮った茶のある風景」もついに最終回。30回目にお願いした方は裏千家千宗之若宗匠。
若宗匠の広いお心から、撮りおろしを含む写真14枚を戴く。写真のスキャン、構成とコメントに自分なりの努力をする。
今日は宗旦さまのご命日。この日にUPできたことに、感動。
そして、これまでご協力戴いた皆様、ほんとうに有難うございました。

9・10 表紙に「和の学校」をリンク。これまでのJOLはテキストリンクに。

7・12 ゲストギャラリー「あなたの撮った茶のある風景」に東京大学写真部指導、OBでもある関健一さんの撮りおろしを含む写真11枚。
すべての方にコメントを理解してもらおうと思うのは、無理であろうか?

7・11 ヤフー掲示板「福井 政治経済養育ーーー」にjyaku01のネームで参加。goich青年の見識が見ものの今注目のトピ。

7・2 当サイトトップにリンクしている同人社。小宮山編集長のお勧めにより拙文が連載されることになった。
題して「 ケンブリッジで過ごした夏 」

6・20 ゲストギャラリー「あなたの撮った茶のある風景」にドイツ人男性と結婚、よき家庭を営なむゆーみんさんの作品を。
トップは連日の野菜・果物シリーズを終え、雨のあとの未央柳に差し替え。

6・17 ドイツのゆーみんさんのご紹介で、小泉内閣メールマガジンを知る。リンク集にリンク。他に2件。

6・16 トップに長野・望月村のてんけい農園から送られてきた新鮮野菜をUP。
無農薬有機栽培の瑞々しさが写真に表現できているか?連日更新の予定。

6・12 「 建仁寺開山忌献茶式・茶会 」をUP。
6・9の夜、下鴨神社ホタル茶会にて撮ったスナップをトップに。連日ホタルの更新。

6・4 リンクを追加。大阪にある関西ジャーナルほか、2件。

5・30 「 大徳寺利休居士月忌茶会 」をUP。
リンク集に 「手作りこまの雑貨やさん」を。こまの日記の発展したもの。野良猫救援のサイト。

5・28 「あなたの撮った茶のある風景」に米国アリゾナ州にお住まいの藤澤隆さんの現地撮りおろし写真4枚を。
京都市にあるカメラのムツミ堂をリンク。カメラの購入と共に撮影の仕方を教えて貰った店。

5・20〜25 ハンセン病裁判に関わったサイト「横浜のJUNのおさんぽ」ほか数件をリンク。
当サイトに相互リンクが増え感謝! 連日更新のトップ写真は先日の半夏生から額アジサイに。

5・18  東京のウェブ総合雑誌同人社。拙サイトと相互リンクに。

5・18
 「あなたの撮った茶のある風景」にプロ写真家三輪薫さんの撮りおろし写真4枚を。題して「京都散策」。

5・14 トップに京都地元の産業で伝統文化活動に貢献のある代表的企業をリンク。快く拙サイトに許諾。

5・13 英語版トップにKonnichianとKyotosimbunをUP。海外の方々へ少しでもお役にたてらと。
日本語版トップに同じく京都新聞と写真ギャラリー検索エンジン2件を。リンク集に2件。

5・11 庭に出て茶室の軒を見上げて撮った1カットをトップに。青楓と忍冬「軒ふかく」。

5・9 「祝日の茶道宗家」をトップに。裏千家の独楽紋の提灯。三千家それぞれ独楽の渦もようが違うのである。

5・4 「あなたの撮った茶のある風景」に2度目・プロ写真家村岡秀男さんの撮りおろし写真6枚を。
トップは1日坪庭・沓脱ぎ石。 2、3日大山蓮、4日春牡丹に差し替え。

4・26 米国ジョージさんからの私信を「茶のある風景」に追加。
狭い庭でツキヌキニンドウの葉裏から撮った1カットをトップに差し替え。きのうは山吹。

4・25  トップを風と藤浪から哲学の道へ差し替え。

4・22 「あなたの撮った茶のある風景」に2度目・米国人プロ写真家ジョージさんの撮りおろしを含む写真7枚を。
庭に咲いた遅咲きの黒椿を撮影。別名崑崙(コンロン)。昨日のトップの藤から差し替え。


4・20 トップを寸松庵伝来石燈篭に。

4・19  ドラ梅雨の晴れ間に をリニューアルUP。トップを 四条通りから東山へ差し替え。

4・17 鴨川の写真を毎日更新して1週間、これまでは上流であったが、今日のは下流、夕刻の四条大橋から下を撮ったもの。
初夏をリニューアルUP。

4・15 ヤフートピック「夏目漱石が好きな方へ」をトップのメニューに加える。トピを立ち上げてから丁度9ヶ月。
よき投稿者に恵まれたことを思い、その感謝をこめて。

4・14 一碗の茶を リニューアルUP。茶碗の写真を取り直し差し替える。
トップは連日更新の鴨川にてシリーズ。

4・11 「あなたの撮った茶のある風景」に挿絵描き伴さんの撮りおろしを含む写真6枚を。

4・10 鴨川を散策、そのカットをトップに差し替え。「鴨川 白鷺と」。

4・8  2000年茶会記春の桐陰席をリニューアルUP。

4・7 トップを庭に咲く月光椿を撮って差し替え。「しべを染めて月光椿」に。

4・5 トップを ゲストの作品かじゅさんの「ヒメオドリコ草」に。

4.3 「あなたの撮った茶のある風景」に女性では初登場かじゅさんの自作粘土作品と撮りおろし写真6枚を。
トップを裏千家又隠(ゆういん)の屋根に。

3・29 トップを今日庵利休忌又新席待合に。

3・28 トップを京都の老舗袱紗専門店へ差し替え。茶道の点前に用いる品。

3・27 トップを 咄々斎釣釜に差し替え。釣り釜は3月の釜ゆえ、先日宗家で撮影したもの。

3・21 「あなたの撮った茶のある風景」に廣井信男さんの未公開写真4枚を。

3・20 裏千家今日庵千登三子夫人三回忌追善茶会をUP。彼岸の中日 夜半ようやくにして制作。

3・15  トップを連日更新、三月九日雪の朝 のシリーズに。場所は京都市・大徳寺山内。

3・11 「茶のある風景NO.21」に  KENJI 森田さんの作品を
トップを3月九日朝の雪 に差し替え。

3・9  トップを 今朝の雪 藪つばき に。今日庵千登三子夫人3回忌の記念として。その茶会記は後日UPの予定。
リンク集をリニューアル。あらたに追加させていただく。。

3・5 弥生の茶会へ(裏千家名誉教授渡辺業躰夫人の茶会)を。 トップを桃の和菓子から蛤香合へ差し替え。

3・2 如月をふりかえり(北野梅花祭)をUP。

2・25 「茶のある風景NO.20」に NiCoLei Yamanouchiさんの作品を。
午後、北野天満宮梅花祭に詣でる。その1カットをトップに差し替え。

・22 哲学の道を散策、その1カットをトップに差し替え。

2・21 英語版ゲストギャラリーを久々に更新。

2・16 トップを裏千家宗家拝写に。僭越ですが侘びの美しさを一人でも多く知って頂きたいと願って。

2・15 「茶のある風景NO.19」にフルキミさんの作品を。

2・11 トップを茶席の床白玉椿に差し替え。 リンク集に、挿絵描きさんと、ねこLANDを。

2・5 節分と宗家と茶会をUP。トップを福女の絵に。

2・3 「茶のある風景NO.18」にアメリカからのご投稿George Lautersteinさんの作品を。
トップを節分かざりとして香まくらに活けた花に差し替え

1・29 「茶のある風景NO.17」にendoーrxさんの作品を。トップを冬日の椿に。

1・26 トップを朝の雪に差し替え。リンクに、中国西安市の朱鷺を。

1・20 「茶のある風景NO.16」にキカイダー柳田さんの作品を。

1・17 英語版に、kyoto sktch 1.   kyoto sktch 2をUP。

1.14 洛中新春スケッチをUP。トップをスケッチの最後・調理器具に差し替え。

1・10 「茶のある風景NO.15」に野本さんの作品を。

2001・1・6 当ホームページの英語版をとりあえずUP。友人の協力あってのこと。

2001・1・3 「茶のある風景NO.14」にホンコン在住・古濱さんの作品を。



2000・12・29 トップを観音像に差し替え蔵入りした「冴え冴えと法事」の1カット。

12・29  「 ドラ へこ とこ ねこ 」をUP。

12・25  「茶のある風景NO.13」に安田稔さんの作品を。

12・21 「 洛中の歳末スケッチ 」をUP。

12・21 トップを歳末のスケッチ・宗家に差し替え。

12・18 「その他」を止め、更新履歴、新着情報、リンク集、とパーツを独立。

12・18「 中宮寺・尼門跡と茶会と猫 」をUP。

12・15 トップを門跡寺院の猫に差し替え。

12・14 「茶のある風景NO.12」に桑原さんの作品を。

12・8 「茶のある風景NO.11」岡さんの作品を。

12・3 今日庵宗旦銀杏のもとに 」をUP。

12.1  「あなたの撮った茶のある風景NO.10」に倉谷さんの作品を。

11・27 トップを柚子に差し替え。

11・24 「あなたの撮った茶のある風景NO.9」に中島さんの作品を.

11.17  「あなたの撮った茶のある風景NO.8」に鈴木さんの作品を。

11・16 「 あるじの屑篭を 」UP

11・10 「あなたの撮った茶のある風景NO.7」に藤沢さんの作品を。

11・9 「 5つ星茶懐石料亭・開炉の茶会 」をUP。

11・2 
 植物図2 千両・薔薇 」をUP。

 10・29  トップを椿家の茶室(小間)に差し替え。

10・25  「あなたの撮った茶のある風景NO.6」菅原さんの作品を。

10・15 「あなたの撮った茶のある風景NO.5」 hosakaさんの作品を  

10・8 「 ドラのちいさな秋 」 をUP
トップを 椿の木の下のドラに差し替え。

2000・10・2 「あなたの撮った茶のある風景」に らでぃげさんの作品を。
トップを竹林に差し替え。