2000年12月18日
由緒ある 尼門跡のお寺 中宮寺で 茶会 が開かれました 中宮寺御流 再興五十年 記念茶会 尼門跡は その御流(茶道)の お家元 です 平成十二年 十二月 三日 ご案内を いただき かしこみて 参上 いたしました |
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薄茶席 床 貞明皇后行啓の御詠草 尊覚尼公 筆 花 はしばみ 白椿 花入れ 竹一重切 銘 千よろ津 |
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香合 菊御紋蒔絵 べっ甲 丸 |
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点前は 門跡さまの 高弟である 若い 尼僧 の お方 勝手つきに 茶巾台が みえます 竹製の茶斤台 に 数茶巾 あり ひとり ひとりに 茶巾を替えて 茶を点ててくださいました この御流の 流儀 と お聞きし 繊細さ と もてなしの心に 感服 いたしました |
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主茶碗 古萩 薄茶器 鶴が丘蒔絵中棗 茶杓 入江侍従長作 銘 玉川 |
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濃 茶 席 |
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厳粛な席のなかで カメラのシャッター音 無礼そのものの 私 それ故 写真はご覧のようなナナメ切 |
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床 後小松天皇御筆 楓橋夜泊 (唐)張継詩 花 照り葉 白椿 花入れ 赤楽 鯉耳付 旦入極 宗入作 |
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釜 利休好み 乙御前霰釜 与次郎作 水指 古染付 山水の図 芋頭水指 濃茶入 三井家より到来 唐物茄子 即中斎箱 茶杓 大徳寺大心和尚作 銘 如意 宙宝和尚極 茶碗 御本呉器 銘 青松 淡々斎箱 水次 伝来御所薬缶 菓子 松の雪 末富製 濃茶 后宮の昔 福寿園詰 |
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席から席へと 移動 いたします その間 ながいながい 廊下 部屋の数々 ところが ふとみると どの部屋にも 必ず こんな抜け穴が あるでは ありませんか 障子の 貼り忘れ では ないのです では この 通路 を お通りになる その 主人公とは ??? |
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探しても その姿 は どこにも 見当たりません で 案内役のお方や お近くの住人のお方に お尋ねしましたところ 次のような答えが 返ってきました あ、あの子達ですか タマちゃん と コダマちゃん、 コダマちゃんのほうは 出て行ったきり 帰って来ていませんが タマちゃんなら いますよ はい、狸そっくり です 胸さわぐ心を おさえて とりあえず 点心席の 大広間に 向かいました |
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点心席は 鉄筋 コンクリート建ての 新会館 正面に かの弥勒菩薩尊像の 写しが 祀られていました 朝夕 ここで 勤行も あるのでしょうか 点心は 地元の 精進料理の店のもの 左は 最初に出された時の形、 右が 向付けの 蓋をとった時のもの ひたすら 美味しく 点心を 頂戴しています と しばらくして なんとなんと のっそり と あらわれた 猫いっぴき いとも堂々として 当然のように 半跏菩薩像の おんまえに ひょいっと 跳び乗って わが居場所の ごとく 悠然 と 座ったでは ありませぬ か ! |
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かんのんさま は あるがまま に ごらん あそばし ます |
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あられもない 姿 なんて おっしゃい ますか いいえ これは 猫 の つとめで ございます |
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わらわらと 猫好きの 方々 が やって きました 抱き上げて も 拒む こと なく おうよう に 何もとめること も なく ごく 自然 に 束の間の 喜びを 与えて すーっと 立ち去って いきました |
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タマちゃん タンタン狸 の こども です か ちがうよ! にんげん の すてき な 母さんの こども だよ でも なあ コダマ は 帰って こないのか にゃ〜〜 |
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ご門跡 日野西光尊さまは まことに寡黙なお方 それでいて 社会性のある 行動力 奈良県の 教育委員長も 歴任 観光に訪れる ギャルたちにも 人気あり 共に記念撮影に 応じておられました ついでに 猫ならぬ 作者とも・・・ その温容を ここに お伝えしたく |
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飛鳥時代を代表する半跏菩薩像。これまでわびすけは弥勒菩薩と表記しておりましたが、ご門跡から、「中宮寺の寺伝には、聖徳太子さまが御母のおすがたをこのお像にうつされたものとございます。このお像は来生の救い主みろく菩薩でなく、現世の苦悩を救済される、如意輪観音菩薩像でございます。」とお聞きいたしました。 |
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1994年2月22日再UP |
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関連ページ いかるが便り 中宮寺・日野西 光尊 |