☆ 随筆の部屋 ここにはエッセイを集めています。先ずは主人の随筆から。
あるじが屑篭に丸めて捨てていた エッセイです。
下のほうに私こと、わびすけの拙文を出しています。
2000年11月16日 あるじ の 屑篭 執筆者 T .T |
||
ファッション かってファッションに関心をもっていた同僚がいた。 私はといえば、ファッションのほうから断交を宣言されている。 いつの頃からか、高齢のご婦人が新品でピカピカした服装をしているのを見ると、外は申し分ないから、中のほうも十七、八の若くてピチピチしたのに変えたらどうかと思うようになった。思うまいと思うと、益々思えてくる。 自分が思うくらいだから、他人(ひと)も思うに違いない。自分をそんな風に思われてはかなわない。 もう充分しょたれきっているのだから。世の中、内と外とのバランスも大切である。 家ではうるさく言われる。特に学校に行くとき、やれズボンにしわがよっているの、靴がすりへっているの、新しい服に替えていけの、と。だからなるべく気付かれないように家を出ることに努めている。いったん出てしまえば、こちらのものである。 服を着替えるということは、決して簡単なことではない。その都度、ポケットの中のものを移しかえなければならないからである。さもないと、途中で財布も回数券もないことに気づき、悪名高い京都市バスで、平謝りに謝って降ろしてもらう破目に陥るか、無事に学校に着いても、いざ自分の研究室に入ろうとして、鍵のないのに気がつく。 昔、雑誌のコラム欄かどこかで、読んだような気がするのだが、英国の辛口の評論家であったバーナード・ショーに向かって誰かが、あなたのお父上はまことに上品なセンスのよい服装をされていた、とやんわりと忠告したとき、ショー答えていわく、今着ている服はその父が二十年前に着ていたセンスのある服なのだ、と。 思い出すことが記憶を無意識のうちに捏造する年令になっているので、この記憶が正しいかどうかは請合いがたい。 数年前に、毎日のように着替えてくる女子学生がいた。なにかの折に、そんなに毎日着がえたら、服がたくさん要るだろうと聞いたら、自分の部屋は服でいっぱいだという。ふと何故そう毎日着がえるのか尋ねると、男の子が喜ぶからだという返事だった 男の子は本当に喜ぶだろうか。脱がせたい位しか考えないのではなかろうか。脱がせてしまえば、何を着ていても同じことである。或いは最近の男の子は心やさしいフェミニストで、心から本当に喜ぶようになったのかも知れない。それはそれで大変結構なことである。戦後の民主主義教育の耀かしい成果なのであろう。或いは環境ホルモンのなせるわざなのかも知れない。 その時は、「それは大変だ」と答えた。年頃の娘をもった親は大変なことだと思ったからである。今にして思えば、一番大変なのは当の本人である。毎日外出する前に、とっかえひっかえ、ワンピースだとかツーピースだとかひっぱりだしてきて選ぶのだから、これはもう色の調和だとか、形のバランスだとか、いってはおれないであろう。 流行が非常に強い強制力をもっていることを実感したのは、近年の黒い洋服の流行である。 それまでは、流行に敏感な人はとびつくが、多くの人々は無関心で、自分の好みの色や形を選んでいると思っていた。しかし実はそんなに生易しいものではないらしい。 老いも若きも黒づくめで、他の選択を許さないように見える。学生が就職運動にする服をリクルートスーツといい、半年も着るとガタが来ると或る学生から聞いて以来、十一月頃電車のなかで見かけると、どういうわけか、“年を経し糸の乱れの苦しさに”という句を思い出し、ああ、また秋になったなと悲哀を感ずる。そのスーツも、元来は流行に拘りなく紺だったような気がするが、それさえも黒一色になってしまった。 流行の仕掛け人が誰か知らない。デパートではないだろうが、生地のメーカーか、デザイナーとかいう人種かおそらく皆に新しく服を作らせようと、彼らを陰であやつる資本の意志の力か。 とにかく、それ以外に売っていないのだから、黒い服を買う以外にない。 三、四年前までは、黒い服の人々が集まるといえば、冠婚葬祭を除けば、もう一つの集まりがあるだけであった。黒い服の人が出入りするから避けたほうがよい、という文章がまかり通っていた。 しかし現在では、或いはぼつぼつ廃れつつあるのかも知れないが、どこもかしこも黒い服づくめであるから、避けていたら何処にも行けなくなってしまう。或いはすべての人々が、本性は黒い人々と全く変わらないことを、暗黙のうちに、本人は意識しないで示しているのかも知れない。 ファッションがその時代を巧みに演出し、先どりしていることは確かなことである。 テレビのニュースで不良債権によって国民に迷惑をかけた銀行等の映像がうつし出される。長い間、社会でVIPとか特別に“偉い人”と思われ、おそらく自分でもそう思い上がり、人にも思わせてきた人々が、一斉に立ち上がって最敬礼をしてみせたり、床に手をついて平身低頭、稽首礼する姿は、どうみても明るい色彩や派手な柄の服ではさまにならないであろう。そういう時代の風習を先どりして黒が流行したのではなかろうか。 わびすけ 後記 はい、これをお読みいただきますれば私がいかに手抜きの悪妻かおわかりになりましょう。そして悪妻に向けてわざわざ書いたようなフシが見受けられますね(笑)。 |
椿 わびすけ の 随筆 (他のウェブサイトで掲載されたものが含まれています)
2001/7/ ケンブリッジで過ごした夏 ( ウェブ雑誌 D社 )
2001/8/ ウイーンの教育者・優雅なベアトリックス校長
感想文 1 「ケンブリッジで過ごした夏を読んで」 アホウドリブルー
感想文 2 「ウイーンの教育者 思い出など」 ゆーみん。アホウドリ