ウイーンの教育者・思い出など           

                         ゆーみん
 (ドイツ・フランクフルト在住)



IME : 2001/08/09(Thu) 21:25:20
NAME : ゆーみん
URL  : http://www.kommenkudasai.de


ウィーン滞在の折のエッセイ読まさせていただきました。
ウィーンのN教育修道女会ベアトリス校長との出会い、そしてわびすけ様の思いが彼女の来日につながり、お茶を差し上げることができたというエピソードを読んで、縁というものの不思議を感じました。教育家は作曲家に似ているというシスターの比喩はやはり、オーストリアという国に住み、音楽の都ウィーンで、多国籍のお子さん達を預かっている方ならではの表現ですね。人生のレッスン、オーケストラに参加、共通の使命においてユニークな部分を演奏する。文化や言葉の違いを超えて演奏(勉強)する子供達。作曲家として、ますます素晴らしい調べを奏でてくだいますように、ベアトリス校長のご活躍をお祈りしております。

私自身はウィーンへはかれこれ10年ほど前に行きましたが、残念ながら、わびすけ様のように、敬虔なシスターがいらっしゃる修道院のようなところへお邪魔するようなこともなく、感動的な出会いもなかったのですが、観光客としていったウィーンの森(だったと思うのですが)のホイリゲが思い出になっています。地図を片手にバスに乗って、たどり着いたところは、中庭でワルツ(たいていは少人数編成のカペレか三重奏)を聞きながら、ホイリゲ(白ワイン)を飲ませると言うところ。一般的にそういった中庭でワインを飲むところをホイリゲともいうみたいで、オーストリア特有の取ってのついたワイングラスでワインの調べにあわせて飲むワインの美味しいこと。。体までがうきうきとなって、踊りだす人もいました。近くにはベートーベンが散歩しながら作曲したという小道や最後に住んだという住まいがあり、ここをベートーベンが同じように歩いたんだと感慨深かったのを覚えています。ちょうど独学でピアノを始めたころだったので、ウィーンで買った楽譜もいい記念になっています。もちろんシュトラウスのワルツの楽譜を自分へのお土産として買って帰ったもので・u「后w)。第三の男で有名な大観覧車のあるプラタ、本場のウィーナーシュニツェルのかりかりと香ばしかったこと、Volkstheaterで中世の衣装のまま演奏するモーツアルト演奏会など、楽しい思い出が一杯です。2頭立ての馬車に乗ってシンデレラ気分で市内観光したことも素敵な思い出となっています。



                         
 ウイーンの教育者 感想

                       ahoudori_blue


TIME : 2001/08/10(Fri) 11:04:35
NAME : ahoudori_blue


さて、新しいエッセイも拝見致しました。娘の同級生にN女学院から、お父さんの転勤に伴って当地にあるミッション系の女子校(アメジスト系、100年以上の伝統があります。中高一貫で高校で一部募集)に高校から編入された同級生がいます。娘も中学では受からなかったので、高校からやっと入れました。また、同じく女子校でナミュール・ノートルダム修道会が運営する一貫校も進学校として有名です。私もイエズス会が4番目に創立した中学・高校で学びました。

修道院は観想的修道生活を送るモナステリーと、病院や学校経営にあたる活動的なコンヴェント或いはレジデンスに分類されるようですが、エッセイにあったような難民救済にあたるタイプの修道会は知りません。また、マリア信仰も431年のエフェソス公会議が「神の母」として認定するまでは公式には認めていなかったようです。このように、キリスト教やその教えに関して多くの知識が必要になるので、私のように信者にならなかったものには、観想を述べるのにむつかしいものがあります。キリスト教精神にもとずく道徳の時間があって、「善き人間」、「偉大なる人間」そして「全き人間」と人間として成長してゆくべき道を学んだはずなのですが。
修道女の誓いをたててその信念に世界に赴くという精神には驚嘆させられます。また、アソシエート・プログラムによって霊性とカリスマの共有を確認しながら、神の恵みのうちに生きる喜びを分かち合うなどの事は、いかにも欧米のようで、彼我の違いを感じさせるものです。

西洋は、ギリシャ思想、ローマ思想、とキリスト教とからなるとはよく聞くことですが、近世までは各々別々の独立したものと考えられていたらしい。しかしともかく民族大移動の後、「欧州」を一体のものとして形成していったのは、アジア起源のキリスト教であったのは確かでしょう。

「難民スープ」の個所は、修道院の活動で私が日本で知っている「進学校」化した学校経営と比べて興味深いものがありました。また、スープを頂くことは「出されたものは食べる」とか、もてなしに応じる基本的な態度ということで、国籍、国を問わず人間のたしなみなのでしょう。