ウイーンの教育者・優雅なベアトリックス校長
       
― Sr. M. Beatrix Mayrhofer ―
                     椿  伊 津 子




 
 それは数年前のウイーンでの夏、安息日でもある日曜日のことであった。
カトリック・N教育修道女会ウイーンマザーハウス・・・私は、同行のAさんとウイーン市内の地下鉄を何度か乗り継ぎ、地図とにらめっこをしながら住宅街を歩いた末に、やっとの思いで探しあてたのであった。ウイーン大学修士号をもつ日本人Aさんは、旅行代理店勤務の通訳の方である。私は京都でお付
き合いのあるN修道院のシスターCから、「ウイーンに行かれたらぜひマザーハウスを訪問してほしい」と話されたことどもを伝えた。私にあるものといえば、住所をあらかじめ記載したシスタCーからのエアメール、それがただ1つの情報源であった。

 私は目的地ではたと立ち止まった。これが修道院?学校?といぶかるような前面はごく普通の細長い住宅・・・おずおずとドアーのベルを押すと、白い半そでブラウスに黒いスカートの若い女性が笑みをたたえて出てこられた。修道女になる前の志願者の方だろうか?私が手にした京都のシスターからのメールの封筒を見ただけで奥へ伝言に行かれると、すぐさま奥から次々と修道女の制服を着たシスター方が出てこられた。組織への深い信頼感が信者ではない私にも伝わってきた。マザーとは修道会の創立者マザーテレジアをあらわし、世界に広がるN教育修道女会の本山的な組織をいうようだ。それにしてはこの建物のなんというつつましさであろう!

難 民 ス ー プ


 「私は仏教徒です」と先ず私は自己紹介をした。シスターベアトリックスは学校長で、もう一人のシスターは修道院長だと自己紹介をして下さった。修道院経営の小中高一貫教育の学校である。マザーハウス玄関口を入った近くにあるシスター方の食堂は、木造の清潔な部屋であって、大きいテーブルを挟んで私たちは向かい合い腰掛けた。

「お昼は済まされましたか?みんな今済ませたところですが、よろしかったらどうぞ」」と二人のシスターが私に話しかけた。
「これは難民スープともいわれていますが、いつもこうして鍋いっぱい作っています」。20人ぶんはあると思われる大鍋が卓上に置かれていた。Aさんはしり込みしたが私はせっかくのご好意を遠慮なく頂戴することにした。肉と野菜のごった煮で、日本の豚汁と思えばいい。それとマッシュポテトである。私は深鍋から大きなスプーンで自分の深皿にそれぞれ取り分けて一人食事をとった。味もなかなか結構であった。当時クロアチアからの難民が毎日かけこんでいたようであった。そうした人々はこうして修道院を頼り、シスターたちは常時彼らのために食料を用意していたのだった。昼時の時間も考えず突然押しかけた私は、たしかに難民のひとりであったかもしれない。

 「学校は政府が費用を出しますから、生徒は授業料無料です」。シスターはコカコーラを私にすすめながら、話を続けた。どうやら日本とは国の面倒見が違うようだ。私立はなくすべて公立とか。しかし多国籍の生徒が多くそれへの対応が重要であること、また修道者の教師の数が減少している為保護者の期待に十分応えられない場合があるなど話が進んだ。私自身は「茶道という伝統文化が日本にある」ことを話した。こうして縁を結んでもらったのも茶道を学ぶ京都のシスター方があってのこと。そうした話を全く未知な世界のように聞いているSr.ベアトリックスの湖のような魅力的な目・・・。私はいつの日か実際にお茶を差し上げることができればいいがと、しばし夢想した。

マ ザ ー 像 の 原 画

 聖堂に案内された。これは敗戦後に信者たちの寄付でできあがったこと、聖堂の壁画はすべて子供 たちの姿を形どって制作したものであると説明を受けた。その内、聖壇の横にある1枚の画像の前で私は釘付けになった。京都のN修道院とその学校で必ず見かける「女児を見守るマザーテレジア」の絵である。しかしこれは正真正銘の原画だということがわかった。シスターはうれしそうに頷かれた。会の本部であるドイツになく、このウイーンのこの場所に1枚のみの原画があるのは此処がどれほど重要な意味をもつかが知れよう。本物のもつ迫力は私のような者にも伝わる。ただ、絵はわかっても人を見ることは難しいと後で思ったことがある。はじめに受付役と私が思った健康そうな女性は、修道志願者などではなく、なんとオーストリア管区長の要職にあるシスターであった。日本ではとても考えられない雰囲気ではないか。貞潔・清貧という言葉が生きているような気がした。通訳のAさんは帰途の道すがら、「男が先ず結婚したいと思うような女性ですな」とSr.ベアトリックスについて、ポツリと言った。 

京 都 で の 再 会 ・ シ ス タ ー の 講 演

 1999年4月、これまで講演の要請を断っていたSr.ベアトリックスが遂に来日。京都にある学校法人N女学院における「3校合同研修会」に、「はじめてヨーロッパより講師招聘!」とのふれこみで教育者を集めての講演会が行われた。企画・運営「マザーテレジアに学ぶ会」協力「N教育修道女会」。3校とは小・中高・大をさしている。以下は「第4回三校合同研修会記録」より一部分を引用させていただくものである。

〔講師プロフィール シスターベアトリックス マイヤーホーファー〕

ウイーンのN経営の小学校で教鞭をとったのち、N教育修道女会に入会。
1972年初請願をたてて、修道女会員となる。ウイーン大学で教育博士号、
さらにはレーゲンスブルグ大学で神学博士号を取得。
ヨーロッパのみならず北アメリカ・アフリカでの会議に出席し国際レベルでの経験も豊富である。
また、30年にわたり初等・中等教育に携わり
ここ7年間ウイーンにあるギムナジュウム(ドイツの大学予備教育機関で、ヨーロッパでの高等学校)で校長を務める。
最近は教育分野で1)心の教育(2)ウイーンのN校に在籍する32ヶ国からの生徒―19カ国語を話し12の異なる宗教を持つ生徒―、の多様性をどのように統合するか、の問題に取り組んでいる。

〔参考資料〕講演より一部抜粋 「教育のメロディ」

●信条と教育  私の確信、私自身信じていることが私の考え方を左右する。人生において自分が貴重だと信じていることが必然的に教師としての私の仕事に影響する。

●私の世界観、神秘についての見方が結果的に教育にあらわれる。
音楽のシンボル オーケストラのメッセージ:人生のレッスンを学ぶ。オーケストラに参加する。
共通の使命においてユニークな部分を演奏する。
教育家は作曲家に似ている。彼らは一国のまたは一文化の本質を表現することができる。

「もし、私の生活においてお金が何より大切ならば、オーストリアで教師にならない方がいいでしょう。私の国では教師はビジネスマンより低い報酬しか取れないからです。(中略)もし、人生には何の意味も無いと信じているなら、教育者にならない方がよいでしょう。その場合、「明日のことは分からない。今日を楽しく生きましょう」(飲んで食べて楽しもう。明日の命はわからない。)ということだけが、せめても生徒たちに伝えられることになります。私の信じていること、それが教育における私の目標、ゴールとなります。
皆様が、学生生徒児童を教えていらっしゃる時の指導原理は何でしょうか。

教職員間での意見交換に役立つような設問を提案したいと思います。
 
 ―生徒児童学生を教育するに際して、私はどんなゴールを達成したいか。

 ―私たちは共通の考えを持っているか。
 ―私たちは教育における理想を共有し、其れに同意できるか。
 ―私たちは皆が本当に重要と思っていることが校内の雰囲気となり、校舎に入ってくる人がそれを感じるような何かがあるか。

 私は、自分の文化、世界観、その神秘とそれが私たちの教育にどう影響しているかについて話すためにお招きを受けました。

●ヨハン・シュトラウス  ウイーンのシンボル

 楽譜があり、それを読める人々がいて、作曲家の芸術的意味を直感する指揮者があり、そして沢山の楽器があり、その違う一つ一つが演奏されています。音楽家はその芸術を完成させる為に何年も何年もかけます。彼は今大きなオーケストラの一部です。しかし、要は、できるだけ大きな音で、出来るだけ早く、出来るだけ独創的に演奏することではありません。大切な問題は大きいグループがハーモニーを奏でられるよう最善を尽くすということです。共通善のためにベストを尽くすということです。音楽家たちが互いに耳を傾けあい、指揮者の働きをよく見、作曲家が表現したかったことに集中すればするほどその音楽はよりよく奏でられることでしょう。一人の人の天職は、単に生まれ、働き、死ぬことではなくて、メロディを奏でること、雄大なメロディ、人類の宇宙の歌を奏でることだ、という より深い意味があると言えます。一人一人の教職員は、音楽の先生です。教育は単なる技術の訓練ではありません。人が学ぶとは、全ての人間的能力を使って学んだことを「身につける」ことを意味します。皆様の多くにとって、自分自身の個々の音を発見していく道は瞑想をとおしてだと思います。これは日本が世界に与える偉大な贈り物です。かつて誰かが申しました。「もし、一年先を考えるなら土に種を蒔きなさい。もし、十年単位で考えるなら、木を植えなさい。もし一世紀単位で考えるなら、人間を教育しなさい」と。教育家は作曲家に似ています。彼らは一国の、あるいは一つの文化の本質を表現することができます。私に委ねられた一人一人の若者はそれぞれ人生のゴールを持っています。私はこのゴールに向かって情熱を抱かせ、そのための最善の道を探し、追求する為に援助します。同時に彼らが人生のゴールを追及するに当たって安全を必要とし、また限界があることも知るのです。よい教育は、人間尊厳を侵害することなく、限度を定めています。私の属するオーストリア管区は、教育のゴールを次のように決めました。

  若者の教育が私たちに委ねられた。
  彼らが自分のユニークさを発見し、
  才能を伸ばし、
  自分の限界を受け入れ、
  他への思いやりを持って共に生き、
  自由と責任を持って地球上でのふさわしい生活に貢献するよう、
  我々は、彼らに同伴し、激励する。

む す び

 私が宝のように思っているマザーテレジアのエピソードをもってこの話をおわりたいと思います。マザーは、毎晩、教室に行き、最も貧しく、また最も扱いにくい子供の席に座って祈りました。皆様は、あなたが困っているとき、あなたの席に座って、少なくとも精神的にでも、祈ってくれる人が欲しくありませんか?

 臨終のとき、マザーは決して忘れることなく祈りますと約束してくださいました。今も私たちの教室の中を歩き、児童生徒学生のために祈ってくださいます。職員室にも入ってこられます。あなたが必要とする時、マザーはあなたの席に座ってあなたのために祈ってくださると信頼することができます。
 

 カトリック信者でない私でも、マザーとは、完全なる母性・愛という意味づけで理解できるよう
に感じたのである。あと、修道院の中にある茶室で私はシスターベアトリックスに呈茶することになった。このとき人生の不可思議ということを、今更のように私は実感したのであった。





椿 伊津子           

創造社(早大教授 原 一郎主宰) 初期からの同人であった。

機関紙『交心』は原一郎から委嘱され3年間に亘って編纂責任も持った。

文学の人であると共に茶道裏千家の一門。

Webでも伝統文化『椿わびすけの家』を主宰している。




お聴きの曲はJunkoUSAの新しいCDに挿入選考曲の一つ「JunkoUSA ForEver 永遠のおもいで」です。


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