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椿わびすけの最新情報




2011.1.1

長い冬眠から覚めたといってもいいが、拙著の刊行が2010年12月
20日の日付で、世に出ることになった。「夏目漱石の京都」の題名で、
この書物を書くにあたって膨大な文献を調べることからはじまった。
漱石と京都の所以を挙げた書物はすでにあるが、私は茶の湯の伝統を
子規・漱石の文献に探ってみた。
最初は『漱石の茶のこころ』という題名を考えていたのであったが、
歴史と地域性を考えてこのような形に落ち着いた。

ウェブのアマゾンでは予約中と出る。1月7日に発売とも。年末年始
が連休になり、代理店も特別時間がかかるようだ。

和の学校にはさっそくお知らせが掲載された。

 http://www.wanogakkou.com/0news/ne_101228.htm



_____________________________


2010・1・12


ようやくこのページを更新する気になった。
紙面媒体に取り組むことがこのように長い時間を要するとは思ってもみ
なかった。
2007年秋に設立した京都漱石の會の活動が公私ともに認められるま
ではネットに手が回らないのが実情だ。それでもミクシイの裏千家コミ
ュニテイの管理もあり、最小限度にとどめてきたが、こちらのほうは現
在8、100の会員数になり毎日入会希望の申し込みが来るのはご同慶
の至りである。

10日は中宮寺の初釜。今日12日午後に、裏千家お家元の初釜であっ
た。志倶会の中でも気の合う先輩お二方とごいっしょだったので運よく
五客目になり、お家元のお点前による濃茶をいただいた。九〇歳の長老
女性が正客で次客が静養中といわれる男性であった。一人ひとりが元気
をもらうといった席中の空気は正月ならではであった。

ブログ「夏目漱石サロン京都漱石の會」は会員の北山まさじさんが頑張
って入力され、おかげ様と思う。
http://kyotososeki.at.webry.info/




2008・9・24


半年以上この最新情報を更新せず、まことにお恥ずかしい。
ネットでの活動はいい時期ばかりではなく、草枕の一節のように達観
するまでに時間がかかる。こんなちっぽけなサイトでも更新を待って
いてくださる読者の方々には申し訳ない思いでいっぱいである。
一つには、京都漱石の會という組織を作ったことで実社会で交渉事や
事務局の方と打ち合せ、そのうえ会報の作成、執筆依頼、編集等々。
とにかく用事が多い。会の発展のためには今がふんばりどころだろう。

今日はスライドショーを二つアップした。




2008・1・11

新年になっても旧冬11月6日、愛猫の死ということに出会い今もな
お喪失感が消えないでいる。足掛け十八年、満17歳といえば人間の
86歳くらいに該当するという。男の子だったこの猫は家中を常に明
るくして私たちを元気づけてくれていた。癌がすすみ痩せ細っていき
最後は老衰のように穏やかに永眠した。ことしは猫の分も寿命を考え
平安な時間を過ごしたいと思う。ドラちゃん、ありがとう!!




2007・11・16

10月には1度も最新情報を更新していなかった。雑事があるのを上
手にさばけない自分の力不足を思う。猫が末期癌の状態でその介護の
日々を過ごしたこともある。今月6日の午後に可愛いドラちゃんは満
17歳の生涯を終えた。居間のホームこたつの布団にからだ半分を入
れて眠るように逝った。家の中に喪失感がじわじわと広がっていく。

ドラを愛おしく思ってくださる方から素敵な花かごが贈られてきた。
霊園から帰ったお骨のそばで猫をやさしく包んでいるようだ。
サイトの更新もいい加減なのに訪問者の数は以前と変わらないのは有
り難い。久しぶりに、ここ1週間のアクセス解析を出してみよう。

11月15日(木)
ユニーク904 トータル1836 の高い数字は猫の記事で
あった。読者の皆さんの気持ちをとてもうれしく思った。




2007・9・12

9月になったと思っていたらもう中旬だ。異常だった暑さも漸く峠を
越したようで、夜には秋の虫の音を聞くことができる。日本の自然の
うつくしさに暫し浸るひと時である。やはりこの季節は心癒される。

安倍総理が突然の辞任表明。政局も国全体が落ち着きをなくしている
とはいうものの、暴力的なドンパチがあるわけでなく平穏なよい国で
ある。ただ規制というものは必要で、京都の景観、建築についても漸
く市が規制をはじめた。遅きに失した感はあるが先ずは喜んでいい。

ミクシイに裏千家コミュニテイという掲示板がある。私は管理人をし
ているがいわゆる「荒らし」が茶道コミュで荒らしまくっているらし
い。他流派の茶道の先生からメールが来て「余り荒らすのですぐ削除
し強制退去にしたが、それを恨み脅迫メールを送ってきた」と。その
複数のネームが書かれていた。これは私の場合も全く同じであった。

荒らしは国内だけでなく海外にもまたがっている。私のサイトを誹謗
中傷するため異常な程多量のアクセスをする者がある。アメリカ西海
岸、カナダのID.国内でも複数記録されている。

24-205-82-169.dhcp.psdn.ca.charter.com
dpc691914044.direcpc.com
v027022.ppp.asahi-net.or.jp

まだまだある。




2007・8・23

今日はとんでもない雑事に巻き込まれた。自分のサイトを更新しよう
としてPC内のデーターを見ると壊れている。思い当たる節があるに
はある。誰か外部から侵入した形跡があり、壊れ方が上部と下部を残
し主要な内容がごっそり削除されている。ミクシイの巨大コミュを管
理しているので荒らしから狙われることはこれまでも屡あったのだ。

結局あらたにデーターを入れ替えUPし何とか普及できたのである。
中宮寺ご門跡の記念歌集が完成したことなどをブログに書いた。




2007・7・31

光陰矢の如しの言葉が痛いように思われてくる。もう7月も今日で終
わる。仕事をし残した感覚がいつも自分のなかにあって、時間は残さ
れていないのにと胸が切なくなるのである。

参議院選挙の結果は政府与党の大敗。民主党の単独過半数と結果が出
た。予想はされていたものの厳しい国民の審判であった。二大政党の
バランス感覚が働いてこの選挙民の審判になったのかもしれない。

『なごみ』8月号が郵便で届いた。これで2回目。朝茶事の思い出を
書いたものだ。文中に出ている二人の知人に電話してお知らせしたら、
さっそく『なごみ』を買うといわれ嬉しかった。



IT新聞に漱石についての考察が掲載された。当分このシリーズを書
くつもりだ。更新履歴を長い間ほっといたので書いて見た。




2007・7・22

祇園まつり、正式には八坂神社の宵山の七月16日に献茶式が毎年行
われる。昨年は表千家、ことしは裏千家坐忘斎家元のご奉仕があった。

祇園さんの献茶式 裏千家家元ご奉仕


席主としてのお家元に接する度に感じるのは客への心くばりで、奉仕
とはこういうことを指すのかと教えられるのである。連日お仕事が続
くので目に見えないお疲れが積もることのないようにと拝察する。



漱石関連の記事をIT新聞に書いて掲載された。そのことをブログに。

7月14日  公式サイト掲載記事へ 諸先輩からご感想をいただいて

七月11日 夏目漱石の縁(えにし) 祇園と多佳女

このところ、体力のなさを能力不足に置き換えてひとり慰めている自分
に苦笑している。




2007・7・7


小暑の今日、空梅雨といわれるほど雨量の少ない日々である。旧暦なら
七夕も風情があるが、新暦では天の川も星も見えずただ形式だけの伝統
行事になっている。どんよりとした空を見上げながら7月の過ごした数
日を振り返ってみる。

5日は裏千家今日庵の三大忌である「精中忌」に七事式のご奉仕をさせ
ていただいた。「唱和之式」は和歌を詠み短冊にしたためるので出るの
を敬遠する人が多いのである。メンバーが決まらず私も最初お断りをし
たのだったが、中宮寺様をお誘いするに当たって私も出ますからという
ことになり、ご一緒させていただいた。

ブログにその間のことを書いた。

精中忌お参りの皆さま ありがとうございます 2007-07-06
今日の精中忌の画像がもう裏千家HPにUP 2007-07-05
桐蔭会7月 京都美術倶楽部青年会の祇園まつり 2007-07-03

お家元の機知に富む会話があって、心なごむ幸せなひと時であった。



淡交社の月刊誌『なごみ』7月号が先月末に出て、表紙に新連載と二つ
のタイトルが並んでいた。椿わびすけ日記という活字を見た時、気恥ず
かしさと共に数年間インターネットでサイトを発信して来たことが無駄
でなかったと思った。これも坐忘斎お家元のご理解の賜物である。

感想のメールもいろいろ送られているが、拙サイトの「新談話室」で少
し書き込みを頂いている。編集の労をいただいた『なごみ』江口さん、
暖かい目で応援してくださる読者の方々に心から感謝している。




2007・6・26

年とともに体力が確かに弱っていると気付くのは、やはり寂しいことこ
とだ。書き物も思うようにはかどらないし、読書も長い時間がかかる。
ブログで夏目漱石について三篇書いた。多佳女は漱石つながりだけれど
も、これは後日に残し、祇園の文芸芸妓とうたわれたお多佳さんの人柄
からまず紹介したいと思った。

06月26日 … あじさいの雨 多佳女のこと
06月19日 … 京都の風流を愛した漱石
06月16日 … 鴨川の畔に建つ漱石の句碑はこのようにして

IT新聞には半年ぶりに寄稿し掲載されたのが以下の記事であった。

京都の風流を愛した漱石 祇園の多佳女の看病に癒された日々

『なごみ』のコラムは7月号、8月号、9月号と原稿を送付済である。
昔、参禅した老師が「文章を書くということは恥をさらすことだ。」と
仰せになったことを思い起こす。まもなく7月号が出て拙文を見るのは
怖いのが正直なきもちである。




2007・6・3

ここにすっかり書くのを忘れていた。これでは最新情報もお届けできな
い有様で、ネットより読書の時間を多く取ることに心がけている私の変
化とでもいえよう。いいわけがましいので心苦しいが、やはり読書は大
事だと思う。

『なごみ』の連載コラムを仰せつかってから7月号、8月号の原稿は送
付済みである。お家元のお目に叶うようなものが書けているかどうか、
甚だ心もとない。編集部のアドバイスを頂きながら、茶道のよさを実感
していただけるよう、読者の方々に向き合っていきたいと願う。

はや9月号の原稿を考えている。編集部のスタッフは皆さんお茶の稽古
にいそしんでいらっしゃる様子。電話の対応なども感じがよく、果たし
て自分の場合はと反省しきりの私である。



更新は、ニフテイとエキサイトと2つのブログに同じものを日記として
書いている。先月28日の大徳寺・利休忌に淡敬会の一員としてご奉仕
し、カメラ画像もUPした。

夏目漱石関連のものと裏千家宗家をとりあげた日は、アクセスが大幅に
増加する。うれしいことである。常に読者に読んでいただくことを念
頭にいれつつ、独自の視線で書いてゆきたい。




2007・4・4

淡交社の月刊誌『なごみ』の原稿を書き終え昨日東京へwordで送った。
これは7月号の原稿で店頭に並ぶのは6月末になるそうだ。1000字
の文字制限がある連載コラムである。1ページに収まる程度で下に広告
が入るらしい。担当の編集者のEさんから電話を頂いたので、広告はど
うしても入るのですか?と訊ねると、これは本社からの指示で編集サイ
ドではどうにもならないのだという。内容がちゃんとしているかどうか
読者の判断にまかせられる。貴重な場を与えられたことを感謝したい。

広告がないほうがいいというのは、筆者の欲なんだからこちらが悪い。
ブログの更新が殆どで、今日わびすけ日記を更新した。

花の下に 逝かれた わが心の師 通夜に行きました




2007・3・21

サイトの更新といえばブログで日記を書いているくらいで目立ったもの
はない。今年からインターネット新聞JanJanにも一度も書いていない。
政治色があるマスメデアには私のような無色というか保守の立場にある
者はどちらかといえば現実味がないと見られるかもしれない。
フェミニストの方々の女権を主張する意見よりも、旧い日本女性の奥ゆ
かしさや賢さに憧憬を覚えるのが正直な自分の胸中なのだ。

マックレイン陽子さんが著述をなさるに当たって、文献が探し出せない
といって私に問い合わせてこられた。アメリカには資料も揃っていない
ようで極力お力になりたいと思っている。私も資料を探してメールで結
果をお知らせする。相当時間もかかり、また資料の本を購入して調べる
訳である。

私が今考えていることを陽子先生は励ましてくださり、次のように書い
て来られた。面映い気持ちだけれどもたいへん光栄に思う。非力ながら
努力してまいりたい。

2007/3/19

「伊津子様

ぜひ御本になさって下さい。あまり多くの人が知らないことですし、
茶道家で漱石研究家の伊津子様がそれをお書きになるのはパーフェクト
です。私はもちろん茶道についてはまったく無知なので何も申し上げら
れませんが、伊津子様の漱石研究そしてその知識には、いつも感嘆し一
目置いております。それからでも漱石が博士号を辞退したことがよく分
ります。というのは伊津子様は博士号をお持ちでなくても、その人たち
以上に勉強もしていられますし、知識もおありになり、尊敬に値する方
です。
ですから、昨年お会いしたとき「女が男より劣っていると思う」とおっ
しゃったのが、私には大変おかしく思えました。あのとき、伊津子様御
自分が多くの男の人より、ずっと優っていられるのにと思ったのです。
 陽子 」


2007/3/21

[伊津子様

またまた貴重な情報を本当に有り難うございました。申し上げたように、
伊津子様は学者的素質をお持ちなので、いつもきちんとお調べ頂き感謝し
ております。(中略)

土井晩翠の手紙も面白く読みました。母が、父親に病気が出たときは、被
害妄想とでもいうものに取り付かれ、根拠のぜんぜんないことを急に言い
始めたと言っていましたので、そんなこともあったのかもしれないと思い
ました。

ともかく、いろいろ有り難うございました。ではまた。

陽子 」




2007・2・7

淡交社の月刊誌『なごみ』に7月号からコラムを連載させて頂くことに
なったが、この件については日記、すなわち漱石サロンランデエヴウに
書いている。


今日の表紙は、chori青年のライブ・スナップをUPした。
ご自身の詩「維新」を含めたラップ調の詩の朗読は若さあふれる一時だ
った。わびすけ日記にもそのことを書いた。
女医のSさんがchoriさんと私への思いを綴っておられる。その感想も
転載させていただいた。




2007・1・16

初釜、今日庵からのご案内は9日午後であった。この日のことはブログ
わびすけ日記のほうへ書いている。もともと人目につかない日記だった
が最近サイトへのアクセスが伸びるに従って日記のほうもといった処。

ここ1週間の拙サイト訪問者アクセス解析を出してみよう。

barトータルアクセス数 10862
bar 重複を除いたユニークアクセス数 6163

1日平均 ユニーク:770.トータル:1357

1日に770人の訪問者があるとは自分でも驚くのである。
しかし、この数字は実際にはカウントされない。私は最初からニフテイ
を使用しているのでプロバイダとしては厳しい社風と感じている。この
ままが表示されるならばとっくに80万カウントにはなっているだろう。
今は1日せいぜい3割程度に増える位であるが、拘ることもないと思う。

 今日のカウンター表示



2007・1・1

今日は快晴だったが、夕方から雨模様になってきた。
猫の体調がどうもよくないのが気にかかる。お腹が異常に膨れている。
家内安全、無病息災を祈るばかりだ。

janJan編集部賞をもらうことになったのはこの作品。
コラム]カミーユ・クローデル作の胸像も収蔵する関西日仏学館




2006・12・28

11月はIT新聞へは一度も記事を書くことも無く過ぎたが、今日は更
新をここにしるすことができる。

コラム]カミーユ・クローデル作の胸像も収蔵する関西日仏学館

画像は夏に2回に分けて撮影したもの。なかなか記事にまとめられず、
迷いがあった。カミーユが可哀想でならない、そんな感情移入があって
客観的な記載ができるまで時間を必要としたのである。

ブログのほうはこまめに書いている。表紙にもアップしていたchoriさん
の新風館クリスマスライブのページは、nifty,exciteと二つとも読者の
アクセスは多かったようだ。若い人は明日の日本を創る人々だから例え
今はあぶなかっしくてもよいものであれば応援を惜しまない。

コメントを書き込んでくださるネット友にも感謝。




2006・12・6


ブログのほうに日記を書くのでこちらは更新がなおざりになっている。
2日に上京したのは3日の鎌倉漱石会が行う漱石忌に出席するためであ
った。東京では宿泊したホテルに近い某美術館を訪問。ここは、赤坂政
次さんオススメの場所。茶道具では日本屈指の美術館だという。一度行
きたいと思っていた。
受付で主任学芸員のTさんの名を出すとすぐに本人が出てきた。昔の教
え子であった。勉強家の青年で京都から出て東京へ行ったことが芽が出
たのだと話した。彼といっしょに写った写真も挿入してスライドショー
をアップした。

「2006年 漱石忌 鎌倉漱石の会」
思えば2002年から漱石会に参加、サイトにささやかな記録を残して
いる。もう5年が過ぎたとは。




2006・11・7


先月の30日は天龍寺開山への献茶式。坐忘斎家元のご奉仕にことしも
参列のお招きをいただきよい1日を過ごすことが出来た。折りしもフラ
ンスから裕子さんが里帰りしていたのでご一緒した。彼女はフランス人
の夫君をすっかり日本びいきにしてしまった二十代の大和撫子だ。
フランスで日本文化の茶道を伝道し自分で教室を開こうとしている意欲
的なマダムである。まだまだ茶道は修行途上にあるが私を頼ってくれて
いて可愛いと思う弟子の一人である。

こうした日記のようなメモはブログに書いている。

3、4日は、中宮寺ご門跡のお招きで熱海のMOA美術館へ。目的は大徳寺
の徳禅寺護持会25周年記念茶会でお付き合いのある方々にはじつに礼を
つくされる。体調がよくないとお伺いしていたけれどもご立派にお勤めを
された。ご門跡のおかげを思い感謝するのみ。

5日は大宗匠の献茶式へご招待をいただき三十三間堂の妙法院に。
清清しい空気がはりつめたお献茶式とお茶会であった。




2006・10・9


今日は宗家の稽古が終わってから京都美術倶楽部へ。先輩のUさん、S
さんと三人で松庵茶会10月例会に出席した。京都の茶道具商のレベル
は全国でも高い信用を得ているが、なるほどと思うところがある。
茶席の花は、赤い実がはぜているツリバナという珍しいものだった。

昨日UPした中宮寺のネコには、日野西光尊ご門跡からお礼のメールが
届いた。喜んでいただいて私もほっとしている。お申し越しの件はすぐ
訂正させていただいた。

             ◇ ◇ ◇

10/8/ 23:29 一部引用。

「一箇所チビとモドキが入れ替わっているようですが、どちらも同じようなものでございますので
差し支えはございませんが。 
お忙しいところ本当に有り難うございました。
                          中宮寺  光尊 合掌
 



2006・10・5

最近、読者のためのBBS「談話室」が迷惑投稿のせいで投稿ができな
いという苦情があり、有料レンタル掲示板を設けてみた。


私の記事について感想を書いてくださった鯰さん。元東京新聞・敏腕記
者の方からの示唆にあふれるコメントはいつもあたたかい。他の方々と
共にコメントへの感謝をささげる。元記事は怨霊の『源氏供養』 


よかったです「源氏供養」  投稿者:  投稿日:10月 5日(木)12時31分53秒
  「怨霊の源氏供養」 おもしろく読ませていただきました。
町角でみかけたなにげない風景に こんなに深い物語が潜んでいたのですね。
さすが京都です。”わびすけさん流の緻密なナゾ解きにも感服しました。

 強気の野宰相と女流作家 結局は時代がつくった組み合わせだったのですね。こんどはどんなお話が、と楽しみにしております。つい2票を投じました。




2006・10・4

JanJan tsubakiコラム  10・4JanJan 怨霊の 『源氏供養』

この中には二つの新作のページをリンクしている。

10・2UP スライドショー 紫式部 と 小野篁(おののたかむら

10・3UP ユネスコが紹介する世界遺産 源氏物語


作品だけは更新するのだが、最新情報と更新履歴はついおろそかにな
ってしまう。最近はミクシイ「裏千家コミュ」の会員数も5200人
を越えトピも盛り上がっている。管理人としては真面目な会員の話に
相好をくずこともしばしば。心のよりどころとなり楽しんでもらえる
よう、さらに茶のこころが国内・国外に普及することを願い、努力し
てゆきたいと思う。




2006・9・24

JanJan tsubakiコラム 9・24 秋彼岸には 手作りの萩の餅

9・16 JanJan  秋風 袴のほころび Gパンの破れ

ブログのほうでは、読者の方々から活発な書き込みを頂いている。
ミクシイからの訪問者が多いようで、裏千家コミュニテイの管理人と
して、コミュ会員数5、080人を越える盛況ぶりには驚くばかり。

談話室は1週間前からエラーが出て書き込みができない状態だった。
レンタル掲示板を新たに契約しようとすると有料で料金も高い。
そのため、昨夜設定を変えてみたら異変が起きた。投稿ができるよう
になったのだ。今日の夜明けには読者のテストの書き込みもあった。




2006・9・9

サイトの転送が不具合で何度試みてもエラーが出てしまう。ニフテイ
の容量が限界に来ていたようで、新しいサイトを設定して転送した所
なんとか成功。そういうことで、今日再アップになったものがある。

スライドショー 2006年8月7日 無限斎宗匠毎歳忌
   清香院さま27回忌法要 副席 志倶会担当


janjanの掲載記事をひとつ。

9・9 JanJan うるわしい相聞歌 紀子さまに親王ご誕生!




2006・8・26

以前なら毎日ユニークアクセス600カウントといったことは珍しい
ことではなかった。最近は500前後が続いていて、読者の関心がよ
そに行ってしまったのかと少し淋しく思っていた。
ところが今日は花の金曜日。アクセス解析も大分出していなかったの
で、
以下を参照されたい。

8月25日の拙サイトのアクセス解析

IT新聞の掲載記事があったことも関係があったのだろうか

8・25 JanJan 松山中学の勇気ある生徒たちと漱石作詩の「童謡」

8・20 JanJan 「首塚」と 隣り合わせる 茶席東陽坊

ブログのほうでは
連日、常連の方々のコメントがあって楽しい。




2006・8・13

スライドショー 建仁寺開山堂から 茶室・東陽坊 祗園・南町東側 
をUPした。写真44枚。

JanJan掲載記事は以下2件。

08/07
紫式部には家庭がありました 慮山寺(ろさんじ)源氏庭の桔梗 

08/02
『現場に神宿る』百年後に真の評価を受ける義人・中坊公平さん

この7日8日と家を留守にして他府県に旅をした。子どもの頃お世話
になった縁類のおばさまが85歳でひとりホームに入居されたと聞い
てそちらへも足を延ばしてきた。ブログに「スイートホーム、、、」
という文を書いている。コメント欄に反響があったのは有難かった。





2006・8・2

昨日は八朔の日、裏千家ご宗家にご挨拶に伺った。やはり一年のけじ
めとしてこうした行事に参加できるのはありがたい。昨年は世話役だ
けが行きますからと、志倶会一般会員は遠慮させられたのであった。
親しい友人で京都の組織の幹事長をしているHさんの話によると、4
人幹事長がいる支部だから連れ立ってご挨拶に行こうとしていたら、
それを阻止し自分が出て行った女性会員がいたらしい。一応俗人の身
ではないのにそのひとの執着心はなかなかのもの。人は見かけにはよ
らないということだろう。ことしはそうした出来事もなく平穏な八朔
で、ご宗家の方々もお元気で嬉しく思った。

ブログのほうに今日janjanに掲載された「書評」について書いてみた。

また、スライドショー京都は古美術の本場 古門前と新門前もアクセ
スが順調に伸びている。




2006・7・23

昨日のJanJan掲載記事
 サンクトペテルブルク〜今むかし〜夏目漱石『長谷川君と余』
は、読者の評価ポイント数も少なく、ご意見板にも書き込みがない。

私としては誰も書いていなかったことを自分の観点で書いたので、
それなりに思い入れのあるエッセイなのである。

しかし、鯰の掲示板で大先輩のなまずさんのご感想があり大いに勇
気づけられた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜

(
752) RE: 高麗犬(こまいぬ)に角はありません   名前:
2006年07月23日(日) 13:31


「猫はその中でうまく動いていますがー」たしか「ドラ」でしたね。
快復よかったです。心配していました。
 狛犬考 古都の歩きの楽しみも味わいました。それに二葉亭四迷の
こと 漱石の人物評がおもしろかったです。

〜〜〜〜〜〜〜〜

また、マックレイン陽子さんからメールを頂いたことも併せて感謝
する。

伊津子様  
二葉亭の話,漱石の文も全て大変面白く読ませて頂きました。
わざわざお送り 下ってどうも有難うございました。いつもいろいろ
リサーチなさってお書きに なり、高麗犬のものも楽しんで読むだけ
でなく本当にいろいろ習わせて頂きました。 陽子




2006・7・22
て、今日のJanJan掲載記事は夏目漱石についてのエッセイである。

サンクトペテルブルク〜今むかし〜夏目漱石『長谷川君と余』
http://www.janjan.jp/column/0607/0607188060/1.php

この17日にロシアで開催されたG8サミット、そのニュースに合わ
せて書いた原稿だが、JanJan編集部の都合で今日の掲載になってし
まった。ニュース性が薄れたように感じて残念だけれども、しかし
漱石研究としてはこれでよいのかもしれない。

「それから記事の最後に応援クリックの箇所があるので、どうぞお
忘れなく、ポチっとクリックしてやってくださいね」、とは談話室
に書いたメッセージの一節。

じつは、記事が掲載されるかどうかも解らないので、拙サイト漱石
別館のほうへ一足先にUP。こちらは写真も挿入して二葉亭四迷の遺
言状も全文掲載している。ぜひこちらもご覧になって頂きたい。

Yahoo 夏目漱石 に関する Google アラートでも、この記事が報道
された。 ITの速さに感嘆する。

もう一つの掲載記事。
7・18 JanJan 高麗犬(こまいぬ) に 角はありません

また、ブログ 漱石サロンランデエヴウはその後、10編更新した。




2006・7・10

7・10UP 中宮寺・奉賛会 の 三ヵ年
 をアップした。

また、ブログ 漱石サロンランデエヴウは、2編更新している。

7・10 中宮寺奉賛会 の 三ヵ年

7・6 白い京鹿の子 ことしにも玄々斎を偲びました




2006・7・3

ブログ・漱石サロンランデエヴウに先ほど更新したものがある。
桐蔭会 7月例会 七夕の趣向でした

私が桐蔭席に着いたのはお昼過ぎだった。雨もなく蒸し暑くもなくといっ
たよい時間帯で、それに相客が比較的顔見知りの方々なのが幸いだった。
新興宗教の教主さんが席主をつとめられており、資金力がなかなかのもの
でよい道具が集まっていた。取り合わせも悪くなく、まさに眼福であった。

先月末に掲載された記事もここに併せて書いておこう。
 

6・27
JanJan日本美に恋をしたアメリカ人女性『バーク・コレクション展』




2006・6・26

漱石のお孫さんでオレゴン大学名誉教授の松岡陽子マックレインさんから送
っていただいた写真をまとめてみた。陽子さんがご子息や孫のソーセキちゃ
んをご自分でデジカメにおさめられた写真。私が撮影した陽子さんのスナッ
プなども挿入して、サムネイルでアップした。

6・26UP松岡陽子マックレインさんが 撮影された家族写真と被写体に
なら
れた写真など


ブログ 漱石サロンランデエヴウ
も猫の病気をきっかけに連日のように更新
を続けている。読者の方々からお見舞いの書き込みをいただきつくづくあり
がたいと思う。ネットのおかげである。




2006・6・22

今月の3日に出かけた先で撮影した写真を漸くスライドショーにまとめてア
ップした。
6・22UPスライドショーミホ・ミュージアムから しがらぎの里へ

京都市内の織物会社から案内を受けて他府県の美術館探訪のバスツアーであ
った。自然が豊かに残る環境、その景観を生かしきった建築。中国系の建築
家の実力をすごいと思った。ガラスの素材が無駄な電力消費を抑えている点
も現代にマッチした省エネの構造である。
美術館もさることながら今回の展示が実に素晴らしかった。このことは別記
事にしたいと考えている。

貸切バスで帰途立ち寄ったのが、信楽の里・無農薬のムラであった。経営は
美術館ともに某新興宗教の団体ということだが膨大な資金力があってできる
ことだろう。
すべて信者さんがたの献金ということにも驚いた。日本ではこうした宗教法
人が多く共通したものがあるようだ。モア美術館のメシア教の流れと聞く。
メシア教も生長の家もは元は大本教の派生したものである。生活は芸術であ
るという標語をどこかで聞いたことがあった。



2006・6・17

ジェンダーフリーという言葉を略してジェンフリというらしい。最近この事
でJanJanの掲示板に考えを述べた。輸入された思想ジェンダーにフリーとい
う文字を追加したのは日本だけだという。平等が強調された造語だけれども
一般世間には全く親しまれていないし、政府も東京都もこうした運動を認め
ていない。嫌われた原因を運動する側に問うたのが、
私のジェンフリ批判だ。

まずウィキペディア(Wikipedia)の解説をみてみよう。

先天的身体的・生物学的性別を示すセックス(Sex)に対して、後天的
社会的・文化的性別のことをジェンダー(Gender)というとされる。
 
性差別は、男女の固定観念と従来の役割分担を否定し、それからの開放を主
張している。男女同権や男女平等とは違うところが「男らしさ、女らしさ」
を社会的に洗脳されてできたものだという。こういう思想が日本の伝統的な
社会にどのような影響を与えるだろうか?破壊的な影響力をもつようにも思
え、どちらかといえば私はジェンダーフリーを好ましくないと思っている。

男女がともに特性を生かしながら援けあっていくのが日本の家庭であったが
封建的な場合もあり女性の不満がこうした形で表面化したのだろう。しかし
本来のジェンダー思想はアメリカでも健全な発展をとげ社会生活に寄与して
いるのだ。マックレイン陽子さんの連載記事『アメリカ報告』はまことに見
事にそれを書かれている。

どうも日本のジェンフリの人々は、過渡期というべきか行き過ぎた考えの持
ち主が多いのではなかろうか?



2006・6・8

この5日には建仁寺のお献茶に宗家のご招待をいただき参加したこともつい
書くのを怠ってしまった。申し訳ない。若手の業躰ではトップの金沢宗維氏
の席はおもしろい道具組であった。ご本人はおられなかったが私の見たとこ
ろ、主茶碗は歴代宗匠の手づくねで赤楽、光悦を思わせる作ゆきであった。
銘が「鞠」でなるほどと感心したのである。ワールドカップで盛り上がって
いるサッカーボールは、日本の蹴鞠(けまり)が先祖だという説もあるのだ。
まあ、我田引水の境を出ない話と笑いながら受け取ればいいだろう。その事
を思い出して、若い人はなかなかやるな、とその茶碗でお茶を頂戴した。
たまたま年長者ということで正客に押し上げられたのがこの茶碗との出会い
であった。

その後のインターネット新聞の掲載記事をあげておく。

tsubakiコラム 古都つれづれ

6・8JanJan 古都つれづれ番外編:ピカソの茶碗でお茶を!ローマ

6・5 JanJan コラム 更衣(ころもがえ) 日本とドイツ




2006・5・26

いまの季節感は、あじさいは少し早い。やはり茶摘が終り、新茶をたのしむ
家庭が多いだろうと思う。そこでグリンーティー「緑茶」というフランスの
香水があるのを紹介しようと記事を書いた。それがjanjanに今日掲載された
5・26 JanJanコラム フランスの 「緑茶香水」 である。

フランスといえば香水。人気商品であることは今も昔も変わりないだろう。
あのゲランの「ミツコ」も日本女性の典雅な奥ゆかしさを表現したものだっ
た。クーデンホーフ光子伯爵夫人がモデルの小説から命名されたのであった。

女性にいっときの夢を与える香水…、私は今回はミツコには触れなかったが
フランス・グルノーブル在住の友人・ぼいやれさんとのエピソードを書いて
みた。これは、前回の掲載記事のいわば続編と思っていただくと有り難い。

5・18JanJanスイスで緑茶茶園に囲まれた茶室造り?

これらの記事が、茶の湯関連のわかりやすい紹介になれば、幸いである。




2006・5・18

新茶のおいしい季節になった。私は抹茶なら宇治茶、それも京都の老舗の詰
のお茶を購入することが多い。一保堂など香りの高いお茶が好きだ。辻利園
も宗家のお出入りで美味しいお茶だと思う。
ただ、煎茶は家人の好みもあり、昔から静岡から取り寄せている。静岡の煎
茶はさっぱりしていていい。うちでは毎日飲む量はかなりのものになる。
最近はストレスを緩和する成分が発見されたとか、アルツハイマーにも効果
が認められたとか、けっこうなニュースを目にするが海外でも日本茶を好む
人々が増えてきたのは嬉しいことである。。

静岡の緑茶と輸出を調べているうち、スイスと提携して茶園のある茶室・日
本茶ミュージアムを実現、6月に開園の運びになるという浜佐園を知った。
電話取材をした結果を記事にまとめたのが、今日JanJanに掲載された。
タイトルは編集部がつけたもので、ヘンな感じだと思うが致しかたない。

以下がまだここに書いていなかったその後の掲載記事である。

5・18JanJanスイスで緑茶茶園に囲まれた茶室造り?

5・12JanJan 
小川一真アルバムから 女性美を見る

5・8UPJanJan 明治の古写真 茶摘みと茶道




2006・5・5


今回もスライドショー「マックレイン陽子さんと皇居庭園をあるく」をUP
した。庭園を案内してくださったのは、JanJanの男性社員Hさん。

JanJan編集部訪問は、この度の旅の目的でもあった。竹内社長さまの
威厳と親しみある応対、若いスタッフの方々20数人が働いておられるビル
の職場をこの目で見て嬉しく思った。竹内社長は早稲田大学の教授もされて
いる有識者。その方から私に契約記者にとのお励ましをいただき感謝した事
であった。ご期待に添えるよう努力してゆきたいと思う。
世の警鐘となるべく「JanJan」を創設された竹内謙社長の志を、忘れること
なく今後学んでゆきたいものである。



2006・5・1

スライドショー「鎌倉・漱石の会 東慶寺へ井上禅定さま墓参」をアップし
た。あと皇居庭園とアメリカ大使館への訪問記事もまとめるつもりである。

その後の新聞記事の掲載は次の2件。

4.27 JanJan 奈良:中宮寺の四月 細川ガラシャの歌に寄せて

4.21 JanJan ほうこく(豊国)さんの 花吹雪のなかで 献茶式




2006・4・19

今日はうれしい日であった。今日庵主催の桐蔭会春の大祭にお招きに与った。
昨夜から招待状を探したものの見付からず、出席をなかば諦めていたところ
これまでも大祭には欠かさず出席していたことであるし、人数のなかに入っ
ているのに無断欠席も悪いと思い電話をした。係りの方がお家元からご招待
された方はそのままお越しくださいとの事。そこで晴れて献茶式と茶会に参
席させていただいたのだった。

献茶が終わった後での茶会には、坐忘斎家元ならびに容子奥様、伊住夫人が
席主として挨拶にお出になった。道具の取り合わせも見事で心こもるもてな
しを頂いた。豊国廟には桜が満開で風に花吹雪のふぜいも見られた。カメラ
に収めたのでいずれUPすることになろう。

JanJanのその後の掲載記事は二つある。

4・16 JanJan さくら色も 寝覚めの色も みやこの花

4・13 JanJan御衣黄(ぎょいこう)桜と虞美人草の浅葱桜(あさぎざくら)



2006・4・10

4・10 JanJan 上賀茂から歩く「下鴨公園」

今日の掲載記事である。
さっそくご意見板へ読者から書き込みをいただいた。京都の方のようだ。

「この鴨川と、両岸の景色と、町並みと、山々を含めた 全体の見事に調和
した景観は、間違いなく世界に誇れる京都の(または日本の)財産だと確信
しています。」




2006・4・9

裏千家宗家の稽古日の今日、早朝から支度をしていたのに急に不整脈が出て
しまった。持病のようなものだけれども、念を入れて横になって休んだ。
それで午後になってサイトの手入れ(笑)など。昨夜UPした紹介文でも。

4.8 UP 賀茂川の戦勝桜(せんしょうざくら)と紅しだれ

1昨日、鴨川公園をカメラをもってぶらぶら、いい花見をさせてもらった。
京都府と京都市はやはり日本では先進都市だという感慨をもった。河川への
対応がなされているからだ。桜並木について京都市に電話をしたろころ、管
轄が京都府だからそちらに聞いて欲しいと電話番号を教えられた。さっそく
京都府土木事務所へ電話で取材した。担当の赤坂さんという男性から親切な
コメントも得ることができた。このことはJanJanへの記事に書いた。明日に
は椿コラムとして掲載される予定である。




2006・4・1

4・1 JanJan 京都・国際会館でひらかれた『和の学校』シンポジューム

今日はエイプリルフールであるが、朝から今日庵へ参上して正午過ぎ帰宅。
PCを開けてみると拙稿が掲載されていた。茶道の視点を離れて記事を書い
てみた。読売新聞の記者による記事とは一味ちがうものになっていると自負
している。つまりマスコミに書かれなかったことを補完する役割があるとい
うことでネット新聞の意義がある。といっても記事の原稿料が全くないのも
ネット新聞の矛盾だけれども…。いつまでもボランデアでやっていけるかど
うかがブログとは違うネット日刊雑誌の今後の課題であろう。

3・27JanJan お土居 の 梅
3・24 JanJan WBCの日本勝利を受けてマスコミは



2006・3・23

熱さ寒さも彼岸まで、というがことしは違っている。寒さがいつまでも居座
っていて花のつきも遅い。梅見はもう満開を過ぎていると聞いていたが、こ
んな気候だからと北野天満宮の梅園に出かけてみた。
けっこう梅見を楽しんでいる人々が多く、車椅子のお年寄りを労わりながら
散策する人など、平和で心あたたまる光景だった。カメラにも収めたのでい
ずれUPしよう。帰宅してPCを開くと待ち人からのレス。といっても某掲
示板の管理人・鯰さんの書き込みがあった。

487) Re 京と帰化人      名前 : namazu 2006年03月23日(木) 14:11
お返事おくれました。ごめんなさい。留守にしておりました。
わびすけさんのご考察 興味深く読ませていただきました。
大げさには 京都の文化を支えてきたのは遠来の帰化人だったですね。
異文化をみごとに日本文化として仕立て直した京都人の知恵をあらためて学びま した


これでいっぺんに天気晴朗なり、という気持になった。
12日には86歳の裏千家茶道名誉師範の披露茶会におよばれして来たし、
20日には奈良へチャリテイバザーがあり協力の心積りで出かけもした。け
れど家の中は依然片付かないままだ。どうしても対外的なものを優先してし
まう自分を反省する。



2006・3・19

3・19 JanJanコラム 古都つれづれ 茶道のせかい帰化人のことなど

3・11 JanJanコラム 古都つれづれ 大徳寺・千利休居士の毎歳忌


裏千家茶道の記事が2本続けて掲載された。月間ページビューは約400万と
いわれるJANJANの読者に、少しでも茶道の心を伝えたいとの思いから書いた
ものである。編集部の紹介文は次のようになっている。
「和敬静寂、その道を現実のなかに真摯に求めた近代の茶匠・円能斎宗匠の
ことを、一人でも多くの人に知って欲しい。(椿伊津子)2006/03/19」



2006・3・15

いまではジャーナリストという名称でインテリゲンチャの代表選手のように
なっている「新聞記者」。しかし昔は世間では「ブンヤ」といい、あまり褒
められた職業ではなかったように聞いている。つまりカタギな業種とは違う
という意味だ。国会で偽メール問題が懲罰動議で紛糾しているが、情報を売
りつけるエセ「記者」がいたことがそもそもの発端であろう。

JANJANに私が記事を書くようになり、曲がりなりにもその世界に首をつっこ
むことになった。未熟な私にお励ましを下さる本職の記者の方々があること
が何より有難く感謝に絶えない次第である。

私が人間的にも記者としても尊敬する「鯰」さんは、昭和天皇にインタービ
ューをされた正真正銘の本物記者さんであるが、昨今の掲示板の上で次のよ
うなご教示を頂いた。


☆ なまずの掲示板

477) Re 荒川静香   名前 : namazu 2006年03月12日(日) 00:24

わびすけさん JANJAN掲載の記事 拝見しました。表彰台での選手たちの動き スケッチしていただいて 初めて知りました。目配りは さすがと感心しております。大徳寺・千利休居士の毎歳忌 わびすけさんでなければ書けないルポでした。つくばえの水に映ったドラちゃんと合わせてゆっくり拝見しました。いまの京都が伝わってきました。

(479) 本物のジャーナリストである鯰さん   名前 : 椿 わびすけ 2006年03月13日(月) 22:14
なまず先輩
本物のジャーナリストである鯰さんのお励ましをいつも有難く頂きます。
まだ試行錯誤の段階ですが、記事を書くことの喜びは日を追って確かなものになりつつあります。

JANJANは「現在の月間ページビュー(PV)は約400万。登録記者数は約3000人で、編集委員は24人。」とのことです。ただ、マスメディアのフィルターを通した二次的な情報ではない新鮮なニュースをとなると、大変難しい現状です。
私の書くものは論評めいたものになっているのではないでしょうか?こうしたことはニュース記事としては存在価値が薄いように思われるのです。常に現地に飛んで取材をなさったなまず先輩のことを思うとまぶしい感じがいたします。

(481) Re 市民記者   名前 : namazu 2006年03月14日(火) 18:16

わびすけさん わたしは ニセではありませんが「本物」とはいえない落ちこぼれ記者でした。だから 視野ひろく 精力的な取材ぶり、執筆に正直、目をみはっております。

 マスメデイアは目新しいことを求めて走っています。これなら調理をしなくっても食べてもらえるからです。
でもメニューはそれだけではありません。その包丁さばきが いま一番、問われているのではないでしょうか。

 「市民記者」への期待も、特異なニュースや素材だけではないでしょう。日常の話題を その人のキャリアと知恵でどのように裁いていくのか、ではないでしょうか。

 素材は日常の生活や身の回りにあります。古都で古い道にも精通されているわびすけさんは、市民記者としてはうってつけです。期待しております。





2006・3・11

JANJANに今日掲載された拙稿には、裏千家ホームページにあった写真を使用
させていただいた。もちろん許諾の上でのこと。
3・11  JanJanコラム 古都つれづれ  大徳寺・千利休居士の毎歳忌

3枚の画像は淡交社カメラマン撮影のものが一枚。私が自宅の庭で撮影した
もの2枚である。




2006・3・9

 千登三子夫人の法名を浄光院さまという。今日3月9日はご命日であっ
た。
1999年利休忌 かなしみのとき 
これは、お亡くなりになった1999年(平成11年)3月9日から間も
ない3月28日に、内輪だけで行われた非公開利休忌の記録である。
あの日から満7年が経過したことを思い合掌する。ご供養の七事式貴人清
次の主のお役を私がさせていただいたこと。全員が涙にくれたこと。一つ
一つが脳裏によみがえる。

裏千家今日庵第十五世 千宗室家元夫人 千登三子様三回忌法要・追善茶

3回忌の法要と追善茶会の記録を遺したことも今となっては貴重なことで
あったと思う。この上なくうつくしかった登三子奥様の思い出のためにも。

今日は志倶会の稽古日でもあったが、朝礼の時一同お仏間に向かって黙祷
をした。
今月28日の利休忌のための七事式に私は執筆の役をすることになり筆者
はこれで2度目であるが、よい勉強になった。本番では皆さまに迷惑のか
からないように無事につとめたいと念じる。




2006・3・6

 今日の表紙は2月28日大徳寺における利休居士毎歳忌の写真である。
淡交社カメラマンの撮影で今日庵ホームページの新着情報に早々と掲載さ
れている。そのなかの1枚を拝借してUPした。ご宗家から大宗匠とお家
元ご夫妻、故伊住宗匠夫人が私どもの直門・淡敬会席におみえになった。
その時、点前をさせていただいたのが私で、まことに光栄な役目であった。
利休様の祥月命日にご宗家のみなさまをお迎えし点前をさせて頂いた感激
…。大宗匠が拙サイトにあたたかいお言葉をかけてくださったことも書き
添えておこう。
「写真を撮って、ホームページに出しなさい。」

JANJANに今日掲載された記事
3・6JANJAN 荒川静香選手 「たおやめぶり」「ますらおぶり」

その他の記事について詳細は更新履歴に書いている。




2006・2・15

 今日は2月15日、涅槃会(ねはんえ)。お釈迦さまの入滅の日である。
井上禅定師を偲ぶ拙稿がこの日に、JANJANに掲載されたことを感謝する。
2・15 JANJAN 鎌倉・東慶寺の名僧 井上禅定さん密葬の日

また、今日は兼好忌でもある。歌人としても随筆家としても高名な吉田兼
好の亡くなった日。随筆といえば今ではエッセイということになっている
がどうも重みが違うような気がする。エッセイ『徒然草』なんて考えられ
もしない。むしろ私のようなヘボ随筆を書く者にエッセイストの名がふさ
わしくはないかな、などと自己満足風に思ってみる(笑)。

もう一つの更新は漱石サロンのほうに書いたエッセイである。

2・14 サロンランデエヴウ 著作権


これは先日談話室へ匿名で投稿して来たた攻撃的な2名氏に関わる問題を
取り上げた。これまで談話室に書き込んでいたネットの知り合いXさんに
対し、著作権を侵害されたという某プロ写真家の友人と称する人達の事だ
。私はそのプロ写真家のことは知らなかったが心情はよく理解できるしそ
れに関して全く異論はない。ただ、すぐに不正行為であったと謝罪したX
さんが自らサイトを閉鎖にした現実も、私は自分の運営する掲示板でつぶ
さに見た。
病気療養中のXさんがこれによってどれほどの心身の打撃を受けたかは、
容易に推し量ることが出来る。しかし私としては匿名の2名氏が当掲示板
までを中傷誹謗したのはなんといっても容認できるものではない。
リモートホストを刻々と変えて侵入して来る「荒らし」だ。

(九州の坊主)
i007197.ppp.dion.ne.jp
i006170.ppp.dion.ne.jp
i007235.ppp.dion.ne.jp
i006209.ppp.dion.ne.jp
i006048.ppp.dion.ne.jp
i007144.ppp.dion.ne.jp
i007159.ppp.dion.ne.jp
OS Windows XP    ブラウザ Internet Explorer 6.0
Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)

今1つの匿名氏のアドレス
61.205.126.158


昨日も著作権の無断使用で最近或る経営者が逮捕されたニュースをテレビ
が報じていたが、これは他人の作品を無許可で盗用し儲けた営業サイドの
事件である。権利意識が高まっている現代にさまざまな問題が生じるのは
当然かもしれない。ただ、淋しい人間が多くなったようにも思うのである。




2006・2・11

 紙面媒体というのはこれまでのメデアであるが、インターネット媒体は
JANJANのような新聞である。7日から閲覧不可能になり修復中との知らせ
を受けていたが、今日漸くにして復旧した。実に74時間ぶりということ
で、どうもサイバーテロの可能性があるらしい。ハッカーといいウィルス
攻撃とい悪戯を越えた悪意の犯罪であるのは論を待たない。
このサイトでも以前に、閉鎖せよというHP荒らしの襲撃らしきものを受
けたことがあった。こうしたネット犯罪を厳しく取り締まる法律の制定を
早急に望みたいものだ。

 その後の記事掲載は
次の通り。
JANJAN
2・7 
ポール・クローデル仏大使を歓迎した皇室 大正10年
フランスを代表する詩人・作家であり、外交官として来日して日本を好意
的にヨーロッパに紹介した功績がある。京都・日仏会館を創設したことも
忘れてはならない。




2006・2・6

 このところ家族中がインフルエンザにかかってタミフルを服用している。
医師の処方でから大丈夫とは思うけれど、新薬は副作用が心配である。と
はいってもこの新薬のおかげで私は入院もせず何とか切り抜けたようだ。
風邪にかかればすぐに肺炎を併発し、入院するのがこれまでだったから、
今回は有難かった。でも予防注射をしなかったのが何よりの誤算だった。

2月の更新は、JanJanの記事。

JANJANコラム2・6 光悦忌
2・4雪の白川郷 ほこらの中のお地蔵さん

白川郷の写真は鯰さんの作品。なまず先輩からは暖かいエールを頂いた。

わびすけさん
拝見しました。雪のお地蔵さん おかげさまで
すっかり全国区になったようですね。

メールのやりとりで ささやかな動きをクローズ
アップしていく、面白い試みですね。 その手法に
教えられるものがありました。

これからも ささやかな話題をクローズアップして
ください。やさしく ときにきびしい わびすけさんの
目線に期待しております。

とうきょう なまず




2006・1・30

26日に東慶寺の井上禅定和尚さまが逝去された。享年95歳。
密葬が29日でその日に参列するため早朝から京都駅を発ち北鎌倉へ。そ
して今日の午後帰宅した。禅定さまは、東京大学で研鑽された深い学識と
人間味あふれる大人物という言葉がぴったりの正統的な禅僧であった。
私の師事したT老師と同じく古川尭道老師の兄弟弟子であった法縁を感謝
するのである。密葬のことは心が落ち着いてから後日また書きたいと思う

訪問者のアクセス解析が今日1日だけでトータル1688、ユニーク852だ。
JANJANに掲載された記事の影響かもしれない。
新聞記者になった夏目漱石の「京都」


私にとって嬉しいのは、「コラム 古都つれづれ」という私のコラムが出
来たこと。これからも勉強しなければ、と反省をこめて思う。



2006・1・21

東京・大手町でも午前正午現在で今年初めて6センチの積雪を観測したと
いうニュースが流れている。「都心で6センチ以上の積雪が確認されたの
は01年1月27日に8センチを記録して以来、5年ぶり。」(毎日新聞)

そこで、昨年の2月に上京した際、宿泊したホテルの10階レストランか
ら撮影した雪の皇居前のショットを表紙にアップした。そのページも新た
に掲載した。ニュース性と季節感があればという観点からだが、大雪の被
害にあわれた方々には心よりご同情申し上げる。

1月の更新は、次のようになる。

1・19中宮寺のネコ ダクちゃん近況
1・17 ねこの 実家 から
1・11 和の学校のお正月 サロンランデエヴウ
1・4 スライドショー北野天満宮書初め「天満書」絵馬所をめぐる
1・12 JanJan 掲載 京都 初釜 小川通り
1・4
2006年北野天満宮 菅原道真公を偲び「天満書に挑戦 続く



2006・1・11

昨10日は今日庵の初釜に参上した。毎年、正月の慶びを味わう日である。
午後の最終の時間帯で兜門を辞去してから宗家に程近い「わの学校」に寄
ってみた。編集長の吉田りえこさんとは付き合いも長いほうであり、話も
以心伝心で通じる仲。たのしい時間を過ごした。

今日はサイトに2003年にリンクしていたページを再度UPした。いさ
さか旧い曲だけれど、山口百恵のヒット曲「いい日旅立ち」
zidonさんから嘗て私の写真を用いていいかと相談があり、私も快諾して出
来たステキなBGMのページである。聞くところによるとzidonさんは、現在
ご病気で入院中とのことで私も案じているところだ。このページをリンク
し、ご快癒の早からんことを祈るのである。




2006・1・7

 七草粥を炊く。スーパーで売っているパック入りの七草は、3種類しか
入っていないけれど、青々としたお粥はやはり美味しいものだった。
「せり・ナズナ・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ、すずな・すずしろ、
春のななくさ」。口ずさむとリズムがあって楽しい古歌である。
サイトのほうは、なかなか更新できていないのが残念。




2006・1・2

 この最新情報を見に来てくださる訪問客も少なくないと聞くのは嬉しい
ことだけれども、中々更新できていない。このところ公共の報道機関への
記事を書くことが主になっているのが更新できない原因である。つまり時
間のとりかたの配分が拙いので何事もテキパキと出来ないのだ。

今日と、最近の記事掲載は次のようになる。

12・31ペルシャの古典楽器「サントゥール」と女性奏者アナビアン

12.30 鎌倉 「駆け込み寺」に 名僧あり
12・26スペインからのオリジナル・クリスマスカード つづき

茶道の話題で初釜、初点式と今月は多い。旧冬の京都美術倶楽部の茶会で
或る方が拙サイトの読者ですと名乗られた。お茶の記事が無くなったのが
残念でなりませんと訴えられた。こうした読者のお心だけ私は有難く頂い
ている。




12・23

 JANJANに、今日12月23日(金)版のトップニュースとして、私の記
事が掲載された。
『世界遺産に登録された歌舞伎 京の顔見世 坂田藤十郎 襲名披露』

政治のニュースがトップと思っていた私なので編集部のご配慮を忝いと思
った。京都が発祥の地である歌舞伎がこの程世界文化遺産に指定された事
は、やはりニュース性が高いという判断があったようだ。
日本から選ばれたものに先ず、能楽、次いで文楽、そして今回の歌舞伎。
文化庁によると、日本の3件は成立時期などを勘案して順に推薦したとい
う。

私としてはこれまでは自分のサイトで公表していた書きものがが、JANJAN
というジャーナリズムに場を与えられたことで、記事の公共性に主眼をお
き、それなりに努力をしてきた。なにか報われる思いである。ご縁で市民
記者の方々から伝統文化と茶道への関心を向けられる声を聞くのも、嬉し
いことである。




12・20

昨19日は宗家の稽古納めの日であった。光陰矢のごとしの感慨のなかに
学んだことの成果を問われると、甚だ心もとない。今の世は何事も競争の
せかいだからそれに左右されない禅心の茶を求めてきた自分である。会員
の反省会があり役員から「点前を充分稽古して欲しい。」という結論にな
った。内心、苦手意識から少しづつ脱却しなけれなと思ったのも事実だ

JanJanにはその後、カトリック系の小学校で茶道の「礼法」が掲載された。




12・10

更新履歴のほうは書いていたけれど、こちらはとんとご無沙汰であった。
JanJanに記事を書いているので怠けていたというわけでもない。公的なメ
デアに掲載され多くの人の目に触れるということはやはり緊張感がある。
尊敬する鯰記者とのBBSでの応答をここに載せて見よう。

訪問者   名前 : namazu 2005年12月09日(金) 16:54
 
椿 わびすけさん> いつも励まし ありがとうございます。
とぼとぼしているとき わびすけさんの投稿で また歩き始めたことが過
去 なん度かありました。
これからもよろしくお願いします。

 今回の話題 わびすけさんらしい着眼点 敬服しております。
外に向かっての発信 手応えがあっておもしろいものです。
でも「わびすけの家」の読者は HP上でのわびすけさん
の心や発言、京都の情趣を感じ取っているのではないでしょうか。
私もそんなひとりです。これからも楽しみにしております。


訪問者のひとりとして   名前 : 椿 わびすけ 2005年12月08日(木) 20:57
鯰さん
私はどうやらこのサイトでは古参の部類になったようですね。次々と新し
い方が投稿されて楽しくなりました。

新聞記事の話題になりますが、12/6「 家庭に幸福をよびこむ日本のお守り
」が掲載されました。
http://www.janjan.jp/culture/0512/0511275670/1.php

「猫にかじられたーー」に続いて2度目の編集部オススメ記事にして頂き
恐縮しています。
でも先の「ムーミンママ」と同様、読者の反応はイマイチなんです(笑)
刺激が不足しているのでしょうか?
まあ、こんなものしか書けないと諦めてはおりますが。
鯰先輩の経験談などをお聞かせ頂きたいものです
 




11・30

11月も今日限りになった。
長いことこの欄も更新していないので、今日は及ばずながらジャーナリズ
ムの道を歩きはじめた自分と、先達の方々のお励ましを感謝することから
はじめようと思う。まずここではまだ書き留めていなかった記事について。

11/18 「ムーミンママ」 フィンランドのタルヤ・ハロネン大統領

私は「JANJAN」に時折記事を書き、編集部のおすすめにより掲載して頂い
ているが、まだしろうとの域を出ない自分だと思っている。けれども読者
の方々から共感したというメールや談話室であたたかい書き込みを頂いて
文筆の意義を知らされる。その上ジャーナリストとして活動してこられた
記者の方々からお教えを受けることはかけがえのない喜びである。

大手新聞社のベテラン記者であられた鯰さんには常にご教示を頂いている
し、東北大学への旅で作品をUPしたことがご縁で、河北新報の遠藤さん
とお知り合いになり、まだお会いしたこともない方であるのにアドバイス
を乞い、そのお返事を嬉しく拝読している。
遠藤さんは記者である前に、青年時代茶道をたしなまれていた方である。
今日送られてきたメールをご披露すれば…それがお分かり頂けるだろう。

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椿 伊津子 様

ご無沙汰しております。河北新報社メディア部の遠藤です。
枯葉舞い、近県でも初雪の声を聞きながらも冬タイヤに履き替える時期を
考えあぐんでいる昨今です。さて、光悦やムーミンママの話題など椿さん
の記事を読ませていただいて感じるのは「茶の湯のこころ」を原点として
書くことの「感性」を磨かれているように思います。二十数年前、茶の湯
を少しばかり触れた者としては、器や書、花など茶人になるには、広範囲
な知識を身に付けないと思いながらも器など「形」だけに目が移り「ここ
ろ」に入り込めません。椿さん、茶釜の中でたぎる湯のごとく、厳しく簡
潔に書き、時には山野に咲く一人静のように気品と優しさを備えた文章。
期待しております。
風邪がはやっているようですので、お身体をご自愛なされますよう、健筆
を祈っております。

★=======================================★
      河 北 新 報 社 メディア局
        メディア部兼データ部  遠藤 文彦




11・17

訪問者のアクセスがさらに多くなった。きのう一日のグラフを見てみる。
日本文化がテーマの当サイトであるが、JanJanの読者層がかなり閲覧して
おられるようだ。JanJanには、写真入りの記事が5つ掲載されている。

職人を育てた芸術村 本阿弥光悦
日本のきものを着こなす とつ国の人々
天龍寺船ならぬ回廊をゆく
紅葉する 嵯峨・天龍寺

茶道関係は、地方にいる方に便宜をはかる積りもあって茶会等を取材し作
成してきたが、最初の頃は喜んでいた人たちもその後心の変化がいろいろ
あるようだ。先日天龍寺で外人の着物姿と野点風景を2枚撮影したが、茶
会内は席主の暗黙の承諾あってのこと。親しい友人たちは問題ないのであ
る。しかし告げ口をする者が必ず居て、直門の志倶会のトップにご注進に
及び、トップがまたこちらに「説諭」するといった構図になっている。自
分としては広報活動と思っていると申し上げたところ、「その言葉をテー
プに吹き込んでみんなに聞かせたいね。」との返事。では私のホームペー
ジを見られたら?と言えば、「見たことはないし見る気もない。」と…。
77歳の大先輩に私はすみませんというしかない。

このことを豊富な経験をもつジャーナリストの方にお話した所、
「わびす
けさんのHPに裏千家の先進性を感じとっていたのですが。」
とご感想。

さまざまにもの想う、秋の暮である。




11・14

昨日は光悦会に行った。天候にも恵まれ鷹が峰の紅葉も映え、美しかった。
はるかに臨む鷹が峰の山なみを撮影し、参道も風情がありそれら11枚を
UPした。「光悦会2005年」である。茶会記はスキャンしてからの事
になる。
JanJanの読者からアクセスがあるのか、今日はこれまでにない数字を記録
した。今日一日のアクセス解析はうなぎ昇りといったところだ。いずれす
ぐ下るだろう。
JANJAN 編集委員選賞10月分
は、拙稿「猫にかじられた記事について」
を選んで
いただいたようで、図書カードも送られてきた。
励みとしたい。
                  *

市民の素朴な批評眼 のタイトルで「編集便り」の批評が載っていた。
(2本のうち)
他の1本は、「猫にかじられて足の指を失った記事について」である。こ
のニュースは大きく取上げられたし、奇妙な内容だったから、覚えている
方も多いだろう。筆者は、そんなことが本当にありえるのか、と疑問に思い、
【専門家の意見を聞いてみたいと思い、飼い猫の主治医ともいうべきS獣医
師に聞いてみた。S先生は京都府立医大出身の医学博士で、経験豊かな獣医
師である】という行動に出るのである。結果、「皆、猫が人間の足指を喰い
ちぎることはあり得ないというのが一致した意見でしたな」という医師の言
葉を引き出すのである。対して、これを報じた全国紙は沈黙。やがて、毎日
新聞が「本当にねこか」といった記事を書くに至る。

 新聞やテレビや本や雑誌、既成のメディアの権威などというものは大いに
失墜しつつありとはいえ、まだまだ信じてしまいがち。現代の疲弊した感性
では、問題の所在は発見できないのかもしれないが、凡庸な市民の目は時に
厳しく、鋭いのである。

(小池正春)




11・6

私の書いた原稿『日本のきものを着こなす とつ国の人々』が記事として
掲載された。11月16日 日曜日「メデア・インターネット新聞JANJAN
そのトップニュース第一番目、文化のカテゴリに入れて頂いている。
市民記者として登録してからまだ間もない未熟者の新米なのに、編集委員
の皆さまのご配慮にただ恐縮するばかりである。丁度真上には作家で経済
人としても有名な境屋太一氏のビデオコラムの紹介が出ていて、私として
は光栄というか、面映い限りだ。これも読者の方々のおかげと思う。先輩
記者の方々を見習いながら、及ばずとも今後精進してゆきたい。

編集部のコメントがいいのでここに引用させていただく。

文化
>日本のきものを身に付け、ごく自然に茶の思想を自分たちのものにして
いる、とつ国の人々の心意気を御覧あれ。日本人の多くが忘れてしまった
ものを、今、学び実践しようとしている。(椿伊津子)11/06<




11・3

 サイトの旧い常連さんとはいつの間にか信頼関係が出来上がる。雑部さ
んもそうしたお一人である。10月30日の天龍寺開山忌・献茶式には、
直門のお仲間である親友がどうしても都合ができ、出席できないという。
そこでその方の招待券を頂くことになり、茶道に関心のある雑部さんに、
声をおかけしたのであった。真面目人間を絵に描いたようなといえば失礼
な話だが、ご自分でも「職場で化石だとかいわれてます。」と笑いながら
話されたぞうべさん。奥様と美術館めぐりを楽しまれる誠実な公務員の方。
献茶式と茶会の感想をお願いしたところ、さっそく写真の解説と原稿がメ
ールで送られてきたので、それらを挿入して追加UPした。」
「 紅葉する嵯峨・天龍寺 」




10・31

 今日の表紙は画像としてはもひとつ、空と雲、寺の屋根だけである。




10・22


 昨日のご宗家のお稽古は、元は十段という奥秘の会の流れによるT会で
あった。その会にも入れて頂いているので朝から参上。稽古が終わってか
ら帰りに「和の学校」編集部に立ち寄った。編集長の吉田りえこさんは才
能あふれる若い女性で、私とは和の学校が創設された頃からお付き合いの
ある方である。故伊住正和ミリエーム社長のあつい信頼を受けて始められ
た『和の学校』は、今NPOという公的認可を受けた組織になっているが
台所事情はお寒く本当に運営が大変なようだ。

ドングリで作ったトトロやニンギョウなどが窓辺にあったので撮影した。
秋のふぜいでも感じられればと表紙にアップしている。




10・19

 朝から今日庵へお稽古に行き昼近く帰宅した。食事もそこそこにPCを
開くと「メデア インターネット新聞 JANJAN」10/19号に、私の書いた記事
が掲載されていた。
報道はどのように変わったか(椿伊津子) これは18日付けで私のブログ
には下書きのつもりでアップしたものをほぼ同じ内容で投稿したものであ
る。そのことをあらかじめ編集部にご相談したところ「ぜひ掲載させて頂
きたい。」とのことで早々と今日の新聞掲載になった。

先の第一作目の猫にかじられて足の指を失った記事については、今日の
記事ランキング TOP5になっているのを発見、驚いた。その上「オスス
メです!」の欄にも入っているので恐縮してしまった。

*********************************





10・16


 クライン孝子さんのメルマガ『孝子日記』は、今や人気度ナンバー5に
入る評判たかい日記である。政治ジャーナリストである孝子さんがサイト
を創設された頃からメールのやりとりをする間柄になった。拙サイトには
そうした交友の記録があちこちにアップされているのでお気づきの方もあ
ると思う。サイト内検索をすればすぐに出て来るだろう。きのう今日は面
映いような感じでPCを開いていた。孝子さんのご好意に感謝しながら…

15日の日付で私の発信したメールが紹介されていたことから、アクセス
が急激に増えたようだ。メールはJANJANの掲載記事のことだけれど
も、少しでも多くの人々にこの事件に理解が得られればありがたい。

ここできのう今日の訪問者アクセス解析を出して見よう。土日は平日より
ぐっと減少するのが常であったが、今回は様相が一変している。
いかに人気メルマガの影響力が大きいかを実感する。



10・13


 市民メデア インターネット新聞 JANJAN というマスメデアがある。
元鎌倉市長を勤めた竹内謙氏が代表取締役であり、いずれも錚々たる方々
による組織であるが、この度ありがたいご縁をいただいた。この私が市民
記者のひとりとして記事を書かせて頂いたのである。

今日のトップページ掲載の 猫にかじられて足の指を失った記事について

がそれである。最近ショックを受けたニュースについて疑問点を書いてみた。
これからも非力ながら研鑽を積み、よい記事が書けるように努力したいと思
う。
なお、JANJANの会社概要からご紹介させていただきたい。
   


会社名 日本インターネット新聞株式会社
    英文表記 Japan Internet News Co.,Ltd.
資本金 1億5120万円
設 立 2002年7月9日
役 員 代表取締役 竹内 謙(前鎌倉市長、元朝日新聞編集委員)
    取締役   野澤 宏(富士ソフトABC会長)
    取締役   岩見隆夫(毎日新聞社顧問)
    取締役   山本千晶(日本インターネット新聞社)
    監査役   斎藤昌二(元三菱化学顧問)
顧 問 堀田 力(さわやか福祉財団理事長)




10・6

 京都での書店では老舗の丸善河原町店。その店が今月10日をもって閉店
することになった。梶井基次郎の短編小説『檸檬』は、ここ京都・丸善が舞
台である。この小説は彼が24歳の時に書いた処女作と聞く。31歳かで亡
くなった彼をおもい、今日はブログにそのことを書いてみた。
「丸善の閉店 レモン 梶井基次郎 高村光太郎夫妻

レモンとあけびの写真も撮って、ブログに挿入した。さっそく談話室で読者
から反響が寄せられ嬉しかった。書店の経営が難しくなっているのが全国的
な傾向で、一般大衆の読書離れが加速している。
私はといえば蟻んこの抵抗かこのところネットで本の購入をするのが病みつ
きになり、出費がかさむのが怖いようだ。当分はツンドクになりそう。




9・30

 今月も今日で最後。松岡陽子マックレインさんから書き下ろしの原稿を頂
戴しているのに作品の構想がまとまらず、まだUPできていないことが心残
りだ。とりあえず表紙だけは最新の画像を差し替えるようにしている。名古
屋は徳川美術館70周年記念のパーテイのご招待に参じた今日、その画像を
アップした。あと数枚はこれから何回か表紙にてご覧いただこうと思う。

先日から庭師さんが来て庭の手入れをしてそれが終わったかと思うと今度は
二階の屋根の大修理がある。来月からはそうした日程がつまり、宗家のお稽
古に順調に行ければいいがと心配にもなる。仕事をもつ身であればテキパキ
と用事をこなせる人が羨ましい。

「ブログ 漱石サロン ランデエヴウ」にタイガース優勝を昨夜書いたのが
精一杯といったところ。遅筆なのに読者から優しいメールが届くのは嬉しい。



9・9


 この7日は「無限忌」裏千家第十四代無限斎、別号淡々斎宗匠の祥月命日
であった。大徳寺塔頭(たっちゅう)の三玄院には無量寿塔があるがこれは
裏千家同門の物故者のための慰霊塔である。お家元と宗家の方々は聚光院の
法要の後、先ずここにお参りされる。今日の表紙を飾る画像はその時の1シ
ョットである。坐忘斎家元とお家元夫人、ご二男のお三方様。
淡交社のカメラマンが撮影されており私も勝手にカメラのシャッターを切っ
たのであるが、出すぎた失礼をお許しいただきたい。

今回の無限忌の画像数枚は、UPしないまま保存している昨年度の無限忌の
画像と併せてどうするべきか、…迷いもあって考えている。

6月のころだったが、「談話室」に大徳寺の者です、というタイトルで投稿
があったことを思い出す。オオヤカズユキと名乗る方で、聚光院は撮影禁止
だから即刻削除して欲しいと。無限忌の拙ページに聚光院内利休居士のお墓
や茶室閑隠における今日庵席の写真等、業躰先生のすがたなどすべて削除を
指示して来られた。私は未知のオオヤカズユキ氏にお詫びのメールを出すと
共に、すべて聚光院に関する画像を削除したのであった。

営利目的のサイトでもない拙HPは、こうした批判に耐えながらこれまでや
ってきた。読者から悦びと感謝のことばを聞く時、自分なりに癒されるので
あるが、いつまで続いていくかどうかそれはわからない。漱石研究のほうは
何とか今後まとまったものを執筆しなければと思っているのだけれど。



9・5


 私のサイトには掲示板を4つ設置していますというと、「へえ、よく管理
ができますねえ。」と聞いた人は呆れたような顔をされる。本館の談話室と
photoBBS.。別館にも夏目漱石が好きなかたへ、という掲示板と画像掲示板。

おもえば読者の方々が楽しんで投稿してくださるのが、何より有難いことで
ある。レンタル掲示板であるため、これまで故障しつくり直したりした事も
あったが、とにかく今日までよく続いてきたものだ。常連さんのひとり、北
海道のpopyuさんからこの2、3日と旭川で行われた淡交会地区大会におけ
るデジカメ写真の画像が送信されてきた。さっそくその1枚を画像処理して、
表紙にアップした。にこやかに挨拶されている男性が誰であるか、説明は不
要であろう。おりしも隣国からヨンサマという人気者が来日し大騒ぎする向
きもあるようだが、こちらはお茶の世界で静かな篤い人気を受けている方で
ある。



8・30


 仙台旅行の余韻がなかなか醒めないようで、土井晩翠の詩をブログに載せ
るためここ何日かキーボードを打っていた。書物の字が細かいので詩を写す
のに目が痛くなった。眼科に行かなければと思いながらそれもしなかったの
でツケが来たのかもしれない。一字一句が勝負である詩の場合はことに神経
ををつかう。
「blog 漱石サロンランデエヴウ」も記事数は少ないものの、すでに3ヶ月を
経過。これを読んでくださった方から励ましを頂くのはとてもうれしい。
  http://rendezvou.exblog.jp/

***************

『河北新報』社からは貴重な情報をいただいたこと、それは別館の掲示板で
ご披露させていただいた。感謝にたえない。
http://hpmboard1.nifty.com/cgi-bin/bbs_by_date.cgi?user_id=ANC56573


また、仙台市役所の方からこちらが出した要望にきちんと対応されたメール
が届き、そのことにも感銘している。仙台は人情があつい土地柄と思う。

平成17年8月
29

この度は,本市の道路行政に対してのご意見をいただき,誠にありがとうございま
した。

ご意見のありました仙台駅西口バスプールの案内標示板につきましては,仙台空
港線リムジンバス降車位置から約7m後方に設置しており,仙台駅西口周辺の大き
な宿泊施設等について表記しており,あなた様がご利用になられましたであろうホテ
ルも表示されております。

また,バスプール内には地上と2階の歩行者用デッキを連絡するエレベーターも設
置しております。

しかしながら改めて現地を調査しますと,エレベーター位置を表示する案内板が不
足していることが判りましたので,安全にかつ円滑に移動できるわかりやすい歩行者
用案内標識への改善を進めて参ります。

なお本市では,今後とも高齢者や身体障害者の方々に配慮した道路の整備を進め
て参りますので,本市の道路行政にご理解,ご協力をお願い申し上げます
とともに,
また本市を訪れられますよう重ねてお願い申し上げます。

 
仙台市建設局道路部道路計画課長  梅村 秀昭

 



8・12

「仙台・東北大学をたずねて 漱石と土井晩翠など」を久々に更新。
7月中は、ブログ漱石サロンランデエヴウだけにかかわったようだ。仙台
への旅は台風さえ来なければ7月中に済ませていた筈だった。ところが空路
となると命の保障はない。急遽、航空券の予約を8月に変更。いやはや台風
と雷は怖い。

お茶友だちである阿部かまぼこの社長夫人は、ご主人が淡交会宮城支部の要
職にある方。仙台の女性は性格がよく、賢い方が多いのではないかしらん。
仙台にお生まれで京都にとついで来られたのが、裏千家第14世家元の淡々
斎宗匠の夫人・千嘉代子奥様。仙台市名誉市民の称号を贈られたことを思い
出した。女性は人を生かすという母性が何より大切であろう。
てなことをいうお前はどうじゃ???



8・12

ずいぶん長い間、更新をしていなかったようだ。
最近、ベルリン発インターネットマガジンBN789が廃刊という知らせを受け
た。私も寄稿を求められて何度か原稿を送ったことがあり、編集者のいちか
さんとの思い出なども拙サイトにUPしている。サイト閉鎖、廃刊というケー
スはよくあるが、やはり正直なところ残念な気がする。

旧くからの投稿者で、立派なサイトを運営されている知人がやはり長く更新
されていなかったがメールを頂き、実は社会人入学で大学・大学院と進んだ。
卒論にお気に入りの作家を論じサイトのほうは放置している状態だという。
私もこれまでサイトに要した時間を自分の研究に向けたいという思いがあり
ネットはどちらかといえばご無沙汰の感じで過ごしてきた。しかし、読者の
方々へはレスを怠らなかった。
心ある投稿者に恵まれていることは何よりあり難いことである。東北大学を
訪ねた最近のレポートはUP寸前のところだ。今のところは苦しみというより
楽しんでいるが、いずれ内容をまとめる時は苦しみの日々となろう。



7・11

「お身代わり 中宮寺・観世音ぼさつの お役目は」を、一部加筆して再UP
した。当時、拝観された方々の中には<御本尊を見に行ったのに、身代わり
なんて>といった不満の声を聞くこともあった。ごもっともと思いつつも、
東京国立博物館のたっての要請に応えられた寺の事情もある事ゆえ、その間
の配慮などをも読者に知っていただいたほうがよいと、私は思ったのである

こたびは ご本尊さまがお留守になれば 参拝の方々に失礼になるという
 ことから 特別にふたつの寺宝が 中宮寺に里帰りなさいました 
 ASAHI.COMの (新聞記事はこちら) ←クリック!        」

以上、本文から一部分の抜書きであるが、新聞記事も公器であればこうした
引用は大目に見てもらいたいものと思う。




7・9

「御本尊様 東京国立博物館御出開帳」は中宮寺門跡の「いかるが便り八回
目」の作品である。UPしたのは先月末になるが、茶会記が見えにくく読者に
不便なので元の大きい画像をお送り頂くよう、日野西さまにその旨を伝えた。
再度お送りいただき今夜こちらで画像処理しサムネイル画像として差し替え
たので、茶会記が読みやすくなったと思う。

昨日は大阪・都ホテルで中宮寺奉賛会総会があり、名誉総裁の三笠宮妃殿下
ご臨席のもと、ご息女の千容子家元夫人のお顔もみえた。会員有志の親睦会
のような和やかなひとときを過ごすことが出来たのは何よりであった。
イランの民族楽器サントゥールの奏者・プーリ・アナビアンさんの演奏がま
た良かった。この感想は、「blog 漱石サロン ランデエヴウ」に写真と共に
掲載した。アナビアンさんは大阪音大講師をされているチャーミングな女性
である。



6・24

「名古屋茶道大鑑」は時々訪問しては知識をもらって帰るサイトである。表
の茶人あり裏の茶人有りで読者は多岐にわたっている。編集者のKIRA氏の美
術品への含蓄は並大抵のものではないと思うし、見栄でない質実なものを好
まれるところがいい。侘びを標榜していても生き方は、、、という場合が多
いからだ。先にUPした「うらく流
 尾張名古屋はお茶でもつ」に追加とし
て「名古屋茶道大鑑掲示板」から一部転載、今回あらたに再UPした。
昨日、「ブログ漱石サロン ランデエヴウ」をたちあげたことも併記する。



6・15

「うらく流 尾張名古屋はお茶でもつ 中宮寺にて」をUPしたが、これは
先に作成した「お身代わり中宮寺・観世音ぼさつはのお役目は」の続編であ
る。これまではcoolを使用していたものの300メガの容量がそろそろ限界
に近付いたので大もとのブロバイダであるniftyに転送している。URLが違う
のはこうした事情によるのである。本館別館とリンクになっている。今回は
画像の作成に手間どった。



6・12

二カ月も遅れてしまった。4月15日に中宮寺の山吹茶会が開催され、参会し
て写真撮影もしたものの、思わしくない結果であった。そうこうする内にP
Cが壊れるという不幸に見舞われ、結局ページを作成できなかった。初日は
、織田有楽の茶を伝える有楽流家元の献茶式ということで、他流のお席に参
るのもよい勉強と、ひとり出かけたのである。「身代わり中宮寺・観世音ぼ
さつのお役目は」をUPした。茶会のページは画像がどうにか救出できたの
でこちらも姉妹編としてUPするつもりだ。

去年私がお家元の献茶式の添え釜をかけさせていただいてから、もう1年が
経過した。ネットでは更新度が以前より遅くなったこともまあ致し方ない。



6・3

表紙写真を前には更新する度にこの最新情報にも書いていたものだ。いつの
間にか止めてしまったが、今日は久しぶりに庭のガクアジサイの画像をアッ
プしたのでそのことに触れてみる。町中の住まいの庭といえばせせこましの
が普通で植物はそれを承知で緑をもたらし季節には花を咲かせてくれる。梅
雨のうっとうしさというより毎年私はガクアジサイの花のうつくしさに見と
れる時間を持つので或る意味では能天気なものと思う。生活に切羽詰った時
ならこんなのん気なことをいってはおられまい。写真は撮ったものの箱入り
にしたままだしノートブックすらなぜか書く気にならない。一つずつ片付け

ていきたい。



5・26

東京行きは、先月から引き続きといったところで自分にしては珍しい事だ。
漱石のお孫さんの松岡陽子マックレインさんからのメールがきっかけだった
来日されたら必ずお電話をくださるのでそれに甘えていたが、やはりお会い
したい気持ちになった。81歳というお歳で常に一人旅。私よりもはるかに
パワーをお持ちの方でも何かしら心配になるのである。でも実際にお会いし
てみるとこちらが恥ずかしくなる程の若々しさ。毎日70回の縄跳び、万歩
計を腰につけてとにかく歩くのを実践される。肉食を避けたベジタリアンで
もある。頭の鋭敏なこと、話題は豊富で最新の情報をお持ちである。学ぶべ
き女性とは陽子先生のことをいうのだとつくづく思う。そうした思いをこめ
て「漱石山房復元へ 新宿区と中村是公旧宅を訪問 松岡陽子マックレイン」
をUPした。座談会は後で挿入するつもりである。



5・14

北鎌倉へ行った先月に続いて今月10日には伊勢に参詣した。裏千家家元の
献茶式に参列するためであった。伊勢神宮は日本のふるさとといってもいい
壮麗な場所であった。神楽殿で行われた献茶式、巫女さん方の優雅な舞と共
に高雅なひとときを過ごすことができた。

昨夜、漱石別館にある「カメラさんぽ 漱石を訪ねる」第12回として、堀
越正光氏の作品『こころ』散歩をアップした。このコーナも質の高い作品が
揃い編集者として感謝にたえない次第である。
              


5・6


先月末にこれまで愛用していたPCが壊れてしまった。使用する時ゴトゴト
と音がするのでそろそろ寿命かと思いデーターをCDに移し変えようとした
矢先、わが愛機はついに逝ってしまった。
そこで同じメーカーのノートで夏モデル最新型を購入。セットアップをなん
とか自分で完了した。電話サポートに力を入れているメーカーなのが大いに
助かった。それにしても失ったデーター、貴重な画像などを思うと自分のう
かつさが実に情けない。あやふやな腕でPCを酷使しすぎた罰であろう。

表紙には夏目漱石のお孫さんであるマックレイン松岡陽子さんのスナップを
入れた。いつも変わらぬ心をもってお付き合いくださる陽子さんが添付メー
ルで送られた画像である。大正生まれの女性の清清しさ、明るさをおもう。



4・8

先月の末に右手の甲に思わぬ火傷をし、外科に毎日通院していた。水仕事が
できないし不便なことといったらない。左手で顔を洗うという毎日だった。
ただ、パソコンのキーボードは打てるのでメールだのサイトの更新はやって
いた。今日でなんとか包帯がとれ、バンドエイドで済むようになったがそう
いえば長年両手の恩恵を忘れていたなあ、と反省。
仏教徒には大切な日である今日、ぼいやれさんの「漱石先生のたのしい欧州
散歩」を制作しアップできたことがひとしお嬉しく感じられる。



3・22

京都市左京区百万遍にある思文閣美術館は、30周年記念特別展として
高円宮憲仁親王殿下を偲んで 宮さまの作品とコレクション」を開催中。
18日は高円宮妃殿下を
お迎えして開会式・内覧会があり、私も参会の末席
にいて少しばかり撮影させていただいた。元は民間のキャリアウーマンでい
らした高円宮妃の人々への気配りは笑顔だけでなくやさしい目線があった。
宮さまの撮られた作品がなんといっても圧巻といえるだろう。いずれ会場で
の様子をまとめてUPするかもしれない。30年前開館記念として私が思文
閣茶道部を曲がりなりにも指導し茶会を行ったのであった。関連ページに
拙作「京のあきんど田中周二」がある。



3・17

この月の9日は大徳寺で追善茶会があり、そのお手伝いに芳春院の水屋にい
たが席回りもさせていただき、感深い一日を過ごした。千登三子家元夫人と
いえば麗人の誉れ高い女性であり、ペンをとられれば名文家として高い評価
を受けた方であった。奥様の7回忌と併せてご次男伊住氏の3回忌が本坊で執
り行われた。私など直門の末席にいる者は表立った行事には無関係で陰なが
ら与えられた務めをはたすのみ。それも満足に出来たかどうか反省しきりで
ある。2001年3月9日に行われた三回忌追善茶会、ならびに1999年3月28日の
の利休忌のことは私にとって忘れ得ぬものであった。古いアルバムから当日
の写真を取り出し、その思い出をまとめてみた。15日にアップした「偲ぶ 
1999年 利休忌 かなしみのとき」である。ご逝去のすぐ後であり非公開の
七事式のご奉仕であった。主の役をつとめさせていただいたこと、伊住宗匠
がにこやかに写っていらっしゃること、勿体ない体験をこの度公開させて頂
くことにした。7回忌を過ぎもうお許し頂けるのでは、と自分で判断した。

一日のアクセス数が急に増えて昨日はこれまでの最高890になった。
この利休忌と彼岸の入り、大橋茶寮、noteブック、それらが読者の関心を集
めているようだ。これがその解析結果である。



3・7

最近というより現代といったほうがいいだろうが、礼をわきまえない日本人
が多すぎるのではなかろうか?小泉八雲が愛した日本人の徳性というものが
どこかへ吹っ飛んでいったようで、世情の暗いニュースに心寒くなるのであ
る。自分への反省をこめて感じるのであるが、茶道の本来の教えは倫理にあ
ると思う。利休居士は小間の茶事による「直心の交わり」をお説きになった。
昨日UPした大橋茶寮のページはそのような茶事に逢えた幸運をよろこび、先
達の茶道への精進に教えられた自分のささやかな覚書である。

先日にUPしていた「空中しゃしん 雪のTOKYO 皇居まえ」はこの翌日に撮
影したものであった。



2・17

地球温暖化防止のための京都議定書がきのう発効した。企業は利益追求に走
りひとびとも利便性に馴れきっている内に、地球は取り返しのつかない温暖
化という変調に見舞われた。わが家では、自動車をもたない、運転をしない
とい時代遅れのくらしを長年やってきたので、省エネにはかなり敏感なほう
だ。
京都議定書が発効されたことは、遅まきながら人間の良心の健在なことを感
じさせられ、ほっとするニュースであった。けれども先進国に課された二酸
化炭素(CO2)など温室効果ガスの削減目標は国際公約となり、法的拘束
力が生じる。日本に課せられた2008―12年の温室効果ガス排出量の削
減目標は14%の削減という。8・5%で(約1億トン)。日本にとって、
新たな省エネ技術の開発費用はどれくらいかといえば、「削減コストは1ト
ン当たり1万円程度」と経済産業省は試算。1億トンの削減に約1兆円かか
るという。気が遠くなるような話だが、次の世代には何よりの贈りものとな
ろう。私も出来るところから自然環境の改善につとめたいと思っている。

こうしたkとを考えながら、以前より構想をあたためていた二つの作品を作
成し、UPした。「べるりんから京都にやってきたヴェロタクシー」と、
「べるりん・いちか&椿わびすけ 往復メール」。後者は私の文が残ってい
ず頂いた方からの文脈でなんとかご理解を乞うという、虫のいい話である。
心からお詫びもうしあげる。



2・05

3日の節分が過ぎると立春雪の庭に咲く椿を表紙に出していたが、いつま
でもこれでは季節感に欠けるので太陽光線が出るのを待って一枚撮ってみた。
広間の庭のつくばいのうしろについ先日植えたばかりの玉之浦が小木ながら
花をつけている。茶事をしていた頃には考えられないことだ。茶席に入れる
花は目につかない裏の場所におき、茶事の時にはじめて人目につくように配
慮するのが茶人の常識であった。
ところが、年齢を重ねるに従って、生活の場を楽しもうという気持ちが強く
なり、居間のガラス越しに庭のふぜいを見る事を最優先にしたのであった。
尤も茶人というにはおこがましいような自分であるからまあこの程度が自分
らしいのかもしれない。手入れもいい加減な庭であるが立春の恩恵は充分受
けている。

ITについての話題で談話室に書き込みがあった。noteブックにも私がIT
に関して書いたことから多くのアクセスがあった。旧帝大あたりの大学も常
連(?)さん方が色々おられるようである。このような無名の小サイトによ
くぞ、と恐縮する。



2・02

昨日から全国的に大寒波の到来で、今朝わが家の庭もすっぽりと雪で覆われ
ている。さっそくこの間初天神の植木市で買ってきた椿、玉之浦に雪がかか
っているところをカメラにおさめ表紙にUPした。表紙の更新も変化がなけ
ればならないし、気をつかうものである。屋根に乗っている家猫を昨日まで
は出していた。猫も15歳にもなれば人間の81歳に相当するという。
まだまだ元気でいてくれる家猫がいとおしい。

過去ログ2003年と2004年の一部がみつかったので、談話室にこられ
る方々も興味をもたれることと思う。ことばの重みということを感じていた
だければ幸いである。
       


1・20

昨年度に作成するはずであった「山吹茶会その三」をようやくにしてまとめ
UP。参加された方々や読者の方々から有り難いメールを頂戴していたので、
それを編集る時にPCの異変が起きたのだった。一瞬のうちにデーターが消
滅してしまった。ダウンロードしていたものも調べてみると不完全なもので
表示されない。後悔してもはじまらないが自分のいい加減さにあきれてしま
う。でも文書で下さった方々の礼状はありがたく編集させていただいた。
いずれも心ある素晴らしい文章である。写真を提供された方々にもお礼を申
し上げたい。



1・17


阪神大震災が起きたことを思い起こす日であるが、スマトラ大地震等でこの
ところ国内の被災者の苦しみは影うすくなり、お気の毒に思われる。やはり
報道は平常の自分達の足元からしっかり見ることが肝要ではなかろうか。

談話室にも書き込みがあるように、インターネットの功罪について話題にな
っている。顔がみえない世界であり、礼をわきまえないやり方で発信する人。
ニュースにもなり困ったことと思う。せっかく開かれたITの機能を向上さ
せ良き方向につなげていきたいものだ。  

  




1・9

トップページは5日からオレゴン在住のマックレイン松岡陽子さんお手製の
年賀カード
を掲載している。毎年いただく陽子さんの年賀カードには私はと
りわけ愛着があって、なかなか更新できずにいた。和紙に版画を挿入されて
年毎に花を替えられるのも細やかな心遣いが感じられ嬉しいものである。
漱石のおまごさん Mrs.マックレイン陽子の 年賀状


明日は10日だ。そろそろ更新しなければと画像を探してみる。庭に咲いた
侘び助を一輪撮っていたのでそれにしてみよう。三脚も使用せず相変わらず
お粗末なものだ。撮る者に似るのだろう。




2005・1・1


平成17年の元日にこれまでの最新情報のページはそのままにして、新たなものを作ってみた。表紙の画像は何にすべきか、毎年悩みの種である。富士山のような定番画像があればいいのだけれど、自分が撮影していないしどうにもならない。そこで、昨年春に奈良は斑鳩、中宮寺の山吹茶会に於ける坐忘斎家元の献茶式に副席を担当させていただいたその日の画像を入れようと思いついた。床にかけた横物はお家元から「贈呈」として頂戴したもの。まことに新春にふさわしい書ではなないかと思う。感謝にたえない。




最新情報過去ログ





2004・12・26

 クリスマスの25日から制作した新作は夜になり日付が変わり今日のUPになった。
「修道女のお招き クリスマス茶会 N小学校創立50周年」は、長年のお付き合いがあるシスターCと私のこれまでの思い出につながる記録でもある。もう一つ既に公開している「ベルリンの壁蓋置き物語」の続編と思っていただければ解りやすいと思う。シスターは数年間私の貧しいけいこ場へ足を運ばれた方であった。水屋のことや道具の見方、茶の文献についてさまざまな話をしながらご一緒に楽しく過ごしたのを思い出す。もちろん友人としてのお付き合いであり、私もまた多くのものを学んだのである。カトリックは禅の心と通じるように思う。
ウイーン・ノートルダム修道女会マザーハウスでの写真を併せて掲載した。小学校の本来の質実な感じが日本全国の進学校化したありようと余りにも離れ、国情の違いを感じたのも事実であった。