椿わびすけの 更 新 履 歴


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2008・1・11

月が変わり、年が変わり、松の内も過ぎた。15日の小正月も真近である。インフルエ
ンザの予防接種は昨年早々と受けていたので風邪は大丈夫と油断していたのかも知れな
い。元日から風邪引きで思うことの一つもできなかった。サイト更新の代わりにブログ
を2件書いただけであった。年末の旅行を取り入れたスライドショーのみだ。

スライドショー漱石忌 マックレイン陽子さん鎌倉・帰源院へ

著名な写真家関健一さんに依頼したマックレインさんの写真がやはり収穫だった。スラ
イドショーの背景の画像は私の苦心したものでこればかりは追随を許さないものと思う。




2007・7・30
こんなに長い間更新履歴を見ることもなく、更新していなかったのを改めて気付いた。
サイトのほうは確かにブログだけの更新で終始してきたように思う。IT新聞の記事も
半年間休んできた。7月になって漸くエンジンがかかってきたというのも変だけれども
漱石についての考察を三篇、6月に一篇書いて掲載された。
私のためのコラムが用意されていることは有り難いし縁を生かさなければと申し訳ない。

日本インターネット新聞 tsubakiコラム 古都つれづれ

7月30日 京都の取材から書かれた漱石の『虞美人草』と『門』

7月28日 漱石が京都で買い求めた高価な半襟

7月13日 夏目漱石の縁(えにし)祇園と多佳女

6月19日 京都の風流を愛した漱石 祇園の多佳女の看病に癒された日々



2006・12・6

12・31JanJanUP
顔見世千秋楽 雨のなかに 中村勘三郎襲名披露 

今年最後の掲載記事である。ブログに書いたものは顔見世の内容には触れていなかった
が、今回は演目を具体的に挙げて見どころや役者についても言及した。写真は3枚だけ
で昨年の顔見世のように舞子さん達の華ある処を撮影できなかった。雨のせいもある。
今月は以下の記事と2本書いたことになる。ささやかな歩みではあるが無事にここまで
来たことを感謝したい。

12・28UPカミーユ・クローデル作の胸像も収蔵する 関西日仏学館

日本インターネット新聞JanJan tsubakコラム 古都つれづれ



2006・12・6

12・6UPスライドショー2006年 漱石忌 鎌倉漱石の会
をアップした。

ブログはエキサイトとニフテイのココログと二つあるが、主としてエキサイトを使用し
ている。わびすけ日記として身辺雑記を綴っているので、11月19日の今日庵におけ
る宗旦忌のもようはそちらにアップした。時事問題も時折書いているが、意外とアクセ
スが多いのに驚くのである。




2006・11・14

スライドショー2006年光悦会 をアップした。

スライドショー2004年 京都鷹ヶ峰・光悦会 と2編作成したことになる。

なお、2005年度は 光悦会2005年 を昨年11月13日にアップしていたので
ここ3ヵ年の記録がインターネットで見ることができる。ブログわびすけ日記も読者の
反響があってたのしい。エキサイト社長の山村幸広様の書き込みもいただき有難いこと
と感謝している。




2006・11・7

更新は
10・21UP
スライドショー
平安神宮から京大正門前 ポールクローデル
・メディアテーク小川通り本法寺 裏千家兜門


その後の更新はブログのわびすけ日記のほうに書いている。読者からのコメントもそち
らにいただいているので談話室は閑散としている状態だ。



2006・10・8

中宮寺門跡 日野西光尊 写真と文 ダックちゃん 第二編 2006年をUP。

斑鳩便り9を編集したことになるが、今年はブログで中宮寺のネコを1編。サイトでは
この1編だけである。



2006・10・4

JanJan tsubakiコラム  10・4JanJan 怨霊の 『源氏供養』

この中には二つの新作のページをリンクしている。

10・2UP スライドショー 紫式部 と 小野篁(おののたかむら

10・3UP ユネスコが紹介する世界遺産 源氏物語


なお、これまでの更新は以下に。9月はIT新聞が3本。あとはブログに。

JanJan tsubaki コラム  
秋彼岸には 手作りの萩の餅

9・16 JanJan  秋風 袴のほころび Gパンの破れ

9・9 JanJan うるわしい相聞歌 紀子さまに親王ご誕生!




2006・9・7

9・7UP スライドショー 2006年9月 無限忌・清香院さま27回忌 の 直門席

先月末にアップしたスライドショーに続いて、今日無限忌をアップした。 

スライドショー 2006年8月28日 厳しかった夏の終りに 大徳寺利休忌



2006・8・15

スライドショー建仁寺本坊から 茶室東陽坊 元建仁寺寺領 祇園町南側 をアップし

たのは、13日であった。

15日は、
 ブログ 8月15日 終戦記念日 と 独立記念日 を書いた。

8月7日
 JanJan紫式部には家庭がありました 慮山寺(ろさんじ)源氏庭の桔梗

8月2日 書評『現場に神宿る』百年後に真の評価を受ける義人・中坊公平さん



2006・7・30

スライドショー 京都は 古美術の本場です! 古門前と新門前 をアップした。

私が顧問をさせていただいている古美術の思文閣本店で、昨日撮影した写真が殆どである。

あとは同じ大和大路通りの店で親切な女主人のご好意から以前、撮影したもの。これを私

は高麗犬(こまいぬ)の記事にした。JanJanに掲載されたが大判写真のほうが面白いと思

う。



2006・7・19

椿わびすけの家別館・夏目漱石の部屋 に久々にエッセイをアップした。

サンクトペテルブルク〜今むかし〜 夏目漱石『長谷川君と余』

IT新聞では、7・18 高麗犬(こまいぬ)に 角はありません を投稿・掲載された。

ブログは、 次の3件を更新した。

続 茶室・東陽坊へ 建仁寺をあるく

茶室 東陽坊へ 建仁寺をあるく

東山区 古門前 大和大路



2006・7・15

7.14UP スライドショー 宵よいよい山 菊水鉾  をアップした。


ブログのほうは、 7月に入ってからは、次の6件。

これは元noteブック 今は
blog サロン ランデエヴウをクリックすると表示される。

700歳のいのちを得た菊慈童をまつる 菊水鉾 祇園まつり

簡単に諦めてはいけない ねこの病気

京都美術倶楽部 松庵茶会 七月例会

中宮寺奉賛会 の 三ヵ年

白い京鹿の子 ことしにも玄々斎を偲びました

2006年 07月 03日 桐蔭会 7月例会 七夕の趣向でした





2006・7・11


アップしたのは昨日である。7・10UP 中宮寺・奉賛会 の 三ヵ年

中宮寺を支える後援組織である奉賛会は、2004年、2005年、そして2006年
の七月、夫々に開催されている。日野西光尊ご門跡のお勧めもあって私は特別会員にさ
せていただいているので、その日はカメラを持って大阪の都ホテルに赴いた。これはそ
の時の簡単なリポートである。国家から経済補助も受けられない現状で寺の維持管理は
楽ではない。尼門跡のご努力は並大抵のものではないことを記事の中で伝えたかったの
だが、どうであっただろうか?

その後の更新は以下のようになる。

ブログ 漱石サロンランデエヴウ

6・27
JanJan日本美に恋をしたアメリカ人女性『バーク・コレクション展』




2006・6・22


今月の3日に出かけた先で撮影した写真を漸くスライドショーにまとめてアップした。

6・22UPスライドショーミホ・ミュージアムから しがらぎの里へ

画像のサイズが大きい上に45、6枚の写真がダウンロードされるまで時間がかかる。

重くなって見難いことになるのではないかと少なからず心配である。



2006・6・17


6・17 JanJan 京都 東山区 祗園町 南側

janjanの掲載記事ではあるが、祗園の歴史に触れた花街を調べてみた。最初に表示された

のは写真のキャプションもない拙稿だったので失望したのだったが、時間が経つと改訂版

が無事表示された。やれやれ編集部にはお手間をとらせて申し訳ない。でもこれで私の書

くコラムらしくなったと思う。



2006・6・8


その後のインターネット新聞janjanの掲載記事は下記のようになる。

tsubakiコラム 古都つれづれ 

21回目になったが、編集部が番外編と銘打っているのが変わっている。

6・8JanJan 古都つれづれ番外編:ピカソの茶碗でお茶を!ローマ

6・5 JanJan コラム 更衣(ころもがえ) 日本とドイツ



2006・5・26

5・23UP スライドショー京都国際会議場で4300人 茶道の集客力

インターネット新聞JanJan のtsubakiコラムは 拙稿が2本掲載された。

5・26 JanJanコラム フランスの 「 緑茶香水 」

5・18JanJan スイスで緑茶茶園に囲まれた茶室造り?



2006・5・12

更新履歴に書き込むのを怠っていた。まとめてみると以下のようになる。

5・12JanJan コラム 小川一真アルバムから 女性美を見る

JanJan 5・8UP 明治の古写真 茶摘みと茶道

JanJan4.27 奈良:中宮寺の四月 細川ガラシャの歌に寄せて

5・4UP スライドショーマックレイン陽子さんと皇居庭園を歩きました

5/2UP スライドショー 鎌倉・漱石の会  東慶寺へ井上禅定さま墓参



2006・4・25

23日・24日と奈良・中宮寺で開催された山吹茶会の一部を撮影し、スライドショーに
してUPした。未熟な
構成で不満だけれども致し方ない。
4・25 UPスライドショー 細川ガラシャの茶道も 中宮寺 ことしの山吹茶会



24日の今日庵家元の献茶式ならびに茶会は、裏千家ホームページにまもなく掲載される
と思う。茶道に関心をお持ちのある方は是非そちらをご覧いただきたい。

JanJanのその後の掲載記事は以下のようになる。
4.21 JanJan
ほうこく(豊国)さんの 花吹雪のなかで 献茶式
4・16 JanJan さくら色も 寝覚めの色も みやこの花
4・13 JanJan 御衣黄(ぎょいこう)桜と 虞美人草の浅葱桜(あさぎざくら)


2006・4・8

釈尊ご生誕の日である。
花にちなんで賀茂川の志波む桜(しはんざくら)と紅しだれをアップした。

JanJanには内容を変えて記事を投稿したがどうなるか。写真に桜の美しい色調がでないの
が残念であった。左岸と右岸とでさくらの種類がガラっと変わっているのも今回はじめて
気付いたことである。京都府土木事務所の担当の方に電話して取材し、そのことをJanJan
の記事には書いた。その後の掲載記事は下記の通り。

4・3 JanJan 等伯ゆかりの 本法寺のさくらは 三部咲き
4・1JanJan京都・国際会館でひらかれた『和の学校』シンポジューム
3・27 JanJan お土居 の 梅
3/24
JanJanWBCの日本勝利を受けてマスコミは
3・19 JanJanコラム 古都つれづれ 
茶道のせかい帰化人のことなど



2006・3・11

今日3月11日付けでJANJANに記事が掲載された。 

3・11 JanJanコラム 古都つれづれ  大徳寺・千利休居士の毎歳忌

3・6 荒川静香選手にみる「たおやめぶり」「ますらおぶり」

トリノオリンピックは終わったがマスコミでは荒川選手の人気を煽っている感がある。
拙稿が掲載されてから記事ランキングで読者の評価点が上がっているが、私の視点に共感
されたという読者の感想がご意見板に寄せられたのは有難かった。

JANJAN ご意見板より引用

16183] 新鮮な論評に感動をおぼえました
名前:矢山禎昭
日時:2006/03/06 17:06

矢山禎昭です。
「コーチを変え、プログラムも自分で考え・・・論理的に・・・意思決定をし、結果を出した」ことを「たおやめ」、「ますらお」という日本人がわすれかかった言葉をつかって分析された椿記者の自由な発想に新鮮+さわやかな感動をおぼえました。ジェンダーフリーにふれ、「聡明な女性のすがた」を見てとり、「経営者の資質」にイメージがひろげる記者の感性をたたえたいと思います。
 
昨今、テレビや新聞に登場する常連の評論家や、いわゆる識者のかたがたには見られない感性の輝きが感じられます。多くのひとびとに読まれるべき記事です。
 
ところで表彰台上のアスリートたちがもつブーケにツバキが使われていることに気がつきませんでした。ピンクの花はツバキのようですね。濃紫色の花もツバキ? ツバキは日本原産の植物で、遣唐使や遣隋使により中国へ伝えられ、欧州にわたったそうです。日本では江戸時代から、また近代になって欧米でも日本でも人々に愛され、多くの品種が作り出されているそうです(参照:http://blog.livedoor.jp/aki22/archives/2005-12.html#20051212)。
 
トリノオリンピックで、表彰台に立つ世界のトップアスリートたちの晴れ姿に、花を添えることができてうれしい気分です。しかも、記者のお名前が椿さんです!
16195] お久しぶりです
名前:東堂一
日時:2006/03/07 08:56

椿様

 実に椿様らしい記事で、感銘を受けました。
 「たおやかなますらお」・・・荒川選手を表現するに、これほどのモノがありましょうか。
 世は「イナ・バウアー」ばかりですが、(昔風に言えば)Y字バランスの美しさは絶品でございました。
 鍛えに鍛えた足腰と自分の判断・バランス感覚に対する自信。
 それが無ければ、挙げた足を支える手を離せるものではありません。
 「ビールマン・スピン」がデビュー当時“彼女以外には不可能!”と言われたのと同様、荒川選手の「イナ・バウワー」は、今後、定番と成って行くでしょう。

 そう、彼女は“歴史”を作りました。
 あえて申し上げます。
 彼女の“金メダル”は「national gold medal」ではありません。
 次世代が越えるべき「gold medal」でございましょう。
 それが証拠に、“唯一の金メダル”だった日本の興奮を他所に、世界中で彼女の演技映像はリフレインされておりました。(笑)
 「未来を目指す」少年少女の脳裏に、しかと焼きこまれたことでしょう。(ブレてもイイから跳ぶ(チャレンジする)んじゃない。シッカリ着地できる跳び方を覚えたい! ってガンバって欲しい。)

[16201] はやりすたりのない魅力
名前:浜地道雄
日時:2006/03/07 12:16

何であれ、「勝てば官軍」で勝者を褒めはやし、煽り立てる
メディア、評論家、識者の過剰姿勢にいつも疑問をもちます。
それは視聴率至上のワイドショーの手法です。
(ホリエモンの天国から地獄へ報道など、実に哀しい)

ということで荒川嬢の快挙に喜びながらも、消化不良の
「イナバウアー」とか「トゥーランドット」といったカタカナ文字
が瞬間的に巷にはやるのを憂いていました。
「自分は愚民になるまい」とこころしております。
今後の日本にとり一番恐ろしいのは「愚民化」です。

そこへ、「美しさ」(私の主観ですが、はやりすたりのない魅力度)に焦点を当てた、
この素晴しい記事。感心します。
(思わず、パクりたくなります。)

まったくの主観と独断で言えば、こんな素晴しい、示唆的な記事に19点(6日)しかクリックされない世界が残念です。

16226] 私も感動しております。
名前:藤原道夫
日時:2006/03/07 22:05

椿様

お久しぶりです。いつぞやはご助言ありがとうございました。
今もなんとか生きております。
今も椿様からみてまだまだと見えるでしょうが、最近私自身が昨年12月に書いたコメント見てみると「ずいぶん力入ってるな」「表現が過激」というものが多々あります。まるで別人が書いたみたいなものまで(おおげさか)。

>テレビから得た情報によれば、遠征先の外国で彼女はノートパソコンを前に自分のホームページへのファンの書き込みを見ていた。

多分、私も同じ番組を見ました。NHKスペシャル。
荒川選手は、自分の意思を強く持った方だと感じました。
大学の卒論が「マスコミ研究」だったようですが、その論文を纏め上げる過程で、相手だけでなく自己も含めて客観視できるようになったのだろうなと思います。

話は変わりますが、今回メダルの数が少なかった事、世代交代ができていなかった事は、ゆとり教育の影響が出始めているのかなと思っています。
(ユニークな意見だと思いますが、
(http://plaza.rakuten.co.jp/yizumi/diary/200602270000/
からの受け売りです。)


先週(2006/03/03〜03/10)のTOP5
中小企業にとって死活問題 電気用品安全法の問題点
75point
わたしはこう思う:荒川静香選手「たおやめぶり」「ますらおぶり 66point
パソコンと携帯電話がもたらした新たな環境問題
48point
電気用品安全法で搾取されたのは、議員の気持ち
40point



2006・2・28

JANJANの掲載記事は、次のようになる。今日の記事を併せると2月中の記事7件になる。

2.28 オレゴン州の環境破壊の取り組み〜松岡陽子マックレインさんからの通信〜
2・16 なみだする きのこ スペインの環境破壊?
2・15  鎌倉・東慶寺の名僧 井上禅定さん密葬の日
2・12
 凍った海を散歩するフィンランドの人々と ハロネン大統領再選

2・ 7  ポール・クローデル仏大使を歓迎した皇室 大正10年
2・ 6  光悦忌
2・ 4  雪の白川郷 ほこらの中のお地蔵さん


なお、編集部のお計らいにより、椿コラム「古都つれづれ」を作っていただいた。
これまで5件入っている。上に記載していないもので最初に掲載された拙稿が漱石を取
り上げたものであった。未熟な記事であるがこうした記事も表紙にリンクしている。

1・30  新聞記者になった夏目漱石の「京都」



2006・2・10

「永遠に生きておわします井上禅定さま」をUPした。
1月29日の密葬に北鎌倉へ駆けつけた折の記録である。鎌倉は京都より気温が低いの
だろうか。1週間前に降ったという雪が境内に残っていた。
駆込み寺・井上禅定和尚の高徳を慕って参列する方々の、義理ではない心からの供養の
心が伝わって来た。本葬は3月に大本山・円覚寺で執り行われるという。つつしんでご
冥福をお祈りする。

 JANJANがシステムの故障で昨日から閲覧不能になっている。2月は既に何本か入稿し
掲載されているが、1日も早い復旧が待たれる。



2006・1・12

 JANJANに掲載された記事は今日の分を含めて計16件になった。
1・12京都 初釜 小川通り」、10月半ばから寄稿するようになったメデアである。
自サイトには昨日、「和の学校のお正月」をアップした。若い友人でありいい読者でも
ある和の学校編集長・吉田りえこさんの談話室へのほほえましい書き込みも挿入した。

それから2003年にリンクしたことのあるzidonさんの「いい日旅立ち」ほかののページ
を再びトップページにリンクした。ヨートーマの曲とzidonさんのエッセイも味がある。



2006・1・4

「2006年北野天満宮 書き初め「天満書」絵馬所をめぐる」をアップした。
昨年10月からインターネット新聞への記事掲載が続き、こちらでの更新が遅れていた。
2日に初詣に出かけた際、書初めと「天満書」のこと、絵馬がどのように納められるか、
そうしたことを撮影した。手動のスライドショーとしてまとめたものである。

なお、この写真の中から18枚選んで投稿したところ、1/4付「JANJAN」での記事掲載と
なった。これまでの投稿15回。記事掲載15回という結果。編集部に大変お世話になっ
ている。



12・10

「ノートルダム学院小学校は 生徒・保護者の方々が恩人!」をアップした。一昨日12
月8日は太平洋戦争開戦の日である。暗い歴史を思うのは苦しいことであるが、現実の暮
らしには楽しいお招きもあり、胸をあつくすることもある。ノートルダム学院小学校から
先々月に、創立50周年記念”感謝の会”へのご招待状をいただき、その折の記録をカメ
ラにおさめた。子ども達が安全な環境で教育されることは、昨今の世相から最も願われる
事柄である。



12・5

「スライドショー 東慶寺松が岡文庫と鎌倉漱石会」をアップした。3日から東上し4日
の漱石の会へ出席した。12月9日が漱石の命日なのであるが、会員が出席しやすいよう
日曜日に開催されるため、この日に繰り上った。常連のお仲間の方々にお会いし談笑する
のも皆の楽しみである。午前、午後にわたりふたりの講師がまことに充実したお話をされ
た。利害を離れた純粋な生き方に感銘を受けるのであって、テクニックの巧拙は問題外だ。

3日の日には、ひとり東慶寺へ。井上禅定和尚さまのお身内の方が快く私を待っていて下
さった。鈴木大拙博士がお住みになっていた松が岡文庫にも、長い石段をのぼりご案内頂
いた。夕暮れの高台から望む円覚寺をカメラに収めた。あくる朝は友人がホテルに迎えに
来てくれ一緒に帰源院へと。読者にスライドショーを楽しんでいただければ嬉しく思う。



11・13

「光悦会 2005年」をアップした。今日は待ちに待った光悦会。鷹が峰の光悦寺へ出
かけて先ず紅葉の風景を撮影した。昨日よりは天候もよく全国各地から参集された数寄者
の方々が約800人とか。3日間で累計1800人という。会記はいずれ後日スキャンし
てからUPする積りである。


11・3

「紅葉する 嵯峨・天龍寺」に雑部さんの原稿を挿入して追加UPした。私の撮影した画
像18枚に解説をつけられたものと、天龍寺の感想など書かれた原稿がメールで送られて
きた。尤も画像の中にはぞうべさんがシャッターを押した1枚も入っているが。



10・31

「紅葉する 嵯峨・天龍寺」をUPした。昨30日はご宗家からのご招待で、天龍寺開山
忌献茶式へことしも参じることができた。感謝にたえない。その風景画像をまとめてみた
だけのものだがサイズが大きく重くなった難点がある。茶室内部は以前から撮影をご遠慮
している。ブルガリアからの茶道留学生たちにカメラを向けると喜んでいるようだった。

今月のサイト更新はブログを5編UPしただけであるが、「市民メデア・インターネット
新聞JANJAN」へ記者として書いたことなどそれなりに時間を使ったと思う。



10・19

報道はどのように変わったかが「市民メデア・インターネット新聞JANJAN」に
掲載された。トップページでの要約は次のようになっている。

10/19 特養老人ホームで起きた小さいけれども悲惨な事件は、わが国の福祉の後進性を
はからずもみせつけたのではないだろうか。 (椿伊津子)

私のブログでは18日付けでこの記事をUPしているが、読者の関心を呼んだようで多数
のアクセスが記録された。各新聞社の社名を出し記事をピックアップして比較したのがミ
ソである。


10・13

「市民メデア・インターネット新聞JANJAN」に、市民記者として書いた記事が今日
掲載された。
猫にかじられて足の指を失った記事については「暮らし」のカテゴリに
入っている。埼玉の特養老人ホームで起きた事件から幾つかの疑問点をあげて考証した。
最新情報にJYANJYANの簡単な紹介をしているが、私としては堅実な気風があって
いい会社だという感触を受けた。このご縁を感謝する。



9・26

「blog 漱石サロン ランデエヴウ」のほうへ、「小泉八雲忌の今日」をUPした。
漱石と小泉八雲は因縁が深い間柄であり、そうしたことは既に漱石別館サイトで掲載して
いる。白人である彼が日本を愛し仏教に親しんだことを思えば、今のイラク戦争がキリス
ト教の不遜な正義に立っている矛盾を感じてしまう。こうしたころにも触れてみた。

この21日にYahooの歴史的な作家・夏目漱石のカテゴリに、拙サイトが登録・紹介されて
いたことから、別館夏目漱石の部屋へのアクセスが増えている。更新も少ない時期なのに
よく言えば蓄積があったということだろうか。ここ一週間のアクセスログを出してみよう。
管理人である私のアクセスは除外しているので、訪問者だけの数字となる。
一日 平均値 ユニーク:602 トータル:1229.62 この数字は今だけのご祝儀だろうと思う。
いや、中傷するための「荒らし」も少ないないから喜んでばかりもいられない。


8・12

「仙台・東北大学をたずねて 漱石と土井晩翠など」をUPした。
思えば7月中は、ブログ漱石サロンランデエヴウ の更新をしており、本館サイトは一度
も作品を作らなかったことになる。仙台への旅は7月中に航空券を予約していたのだけれ
ど、台風のために日程を変更したのであった。今回は漱石友だちではなく、お茶友だちの
お世話になった。阿部かまぼこの社長夫人は、古風で穏やかな仙台女性。七夕祭りにぜひ
にと声をかけて下さったのが、この作品になった。


6・29

「御本尊様 東京国立博物館御出開帳」をUPした。写真と文 中宮寺門跡日野西光尊師
の「斑鳩たより」も第8回になった。思えばご門跡がインターネットのページ作りをされ
るようになったのは、3、4年も前のことであった。ちょうどパソコンを買われて話題が
そちらに移ったので、それではデジカメで写真を撮って文章をお送りになればと、私がお
勧めしたのである。宗教活動はもとより茶道においてもご多忙な方だけれど柔軟心がおあ
りで且つ勉強好きでいらっしゃるので、実現にこぎつけることが出来たのだった。お手伝
いさせて頂いている私としても回を追って内容が濃くなっていくのは嬉しい限りである。
なお、先般たちあげたブログ「漱石サロン ランデエヴウ」のことにも触れておく。


6・24

先にUPした「うらく流 尾張名古屋はお茶でもつ
に追加として「名古屋茶道大鑑掲示板
」から一部転載の許諾を得て、今回あらたにページに組み入れてみた。「名古屋茶道大鑑」
はきわめてレベルの高いウェブサイトである。編集者のKIRA氏の見識と公正なお人柄によ
り、常連の方々も探究心に富んだ方が多く、訪問する度に何かを学ぶことができる。有楽
につながる尾張の茶人・土岐二三について、投稿者の方々との交流は楽しいものであった。

       

6・15

「うらく流 尾張名古屋はお茶でもつ 中宮寺にて」をUPした。先に作成した「お身代
わり中宮寺・観世音ぼさつはのお役目は」の姉妹編である。2005年度の山吹茶会は4月15
日と16日に開催され私が参会したのは初日であった。次の日のお献茶は官休庵家元であっ
たと伺っている。織田信長の実弟・有楽を先祖にもたれる織田宗澄家元の茶会をカメラに
おさめたが雰囲気が伝わっていれば何よりである。

「お身代わり中宮寺・観世音ぼさつはのお役目は」は一昨日の12日にUPしたので併記す
る。
  

5・26

別館夏目漱石の部屋にアップしたのは、「漱石山房 復元へ 新宿区と中村是公旧宅を訪問
松岡陽子マックレイン」。まだ未完成のものだが、最近、漱石ファンの関心事となったも
のに朝日新聞社のニュースがあった。漱石は朝日新聞社に三顧の礼をもって迎えられた記
者であったから、今なお朝日はこの文豪を尊く記事にする。新宿区が管理する漱石公園が
かつての漱石山房であり、今回3年計画で本物思考の書斎の復元にとりかかるというお話
をお聞きしまことに愉快であった。私の敬愛する松岡陽子マックレインさんがたまたま来
日されたので私も上京。新宿区役所を訪問されるお膳立てをさせていただいた。お伴がで
きて光栄であった。また愚昧の私をご親切にサポートして頂く友人のお蔭と感謝あるのみ


5・14

漱石別館所載「カメラさんぽ 漱石を訪ねる」第12回は、堀越正光氏の作品『こころ』
散歩。昨夜漸くまとめてアップした。小説のなかで主人公が行く先々の道筋や由緒来歴は
読者にとって興味あるものであるが、東京『探見』の著書を最近出されたばかりの高校の
先生、堀越さんは綿密な調査をされ、撮りおろしの写真と共に原稿をお送りくださった。
『こころ』が世に出たのは大正3〜4年であり、晩年の漱石の考え方を知る意味で貴重と
思える松岡譲の随筆を私は一部引用し、この作品の内容に色を添えた。当時の東大生と先
生との会話は、小説にも一脈通じるものがあるのではないかと思う。


4.16

「いかるが便り7 中宮寺門跡日野西光尊 墨蹟展」をアップした。
作者は申すまでもなく日野西光尊ご門跡である。自らデジタルカメラで撮影され、文章を
添えた原稿を、私宛にワードで送信して来られるのだ。きわめて多忙なご生活の中でネッ
トに挑戦されるその若々しさには頭がさがるのである。墨蹟展の実際の日付は昨冬だが、
このいかるが便りが7回目を過ぎたことを感ふかく思う。


4.8

「夏目漱石を訪ねるカメラさんぽ」の第11回は、フランス在住のぼいやれなおこさんの作
品、「漱石先生の楽しい欧州散歩」をUPした。昨年からぼいやれ家の家族写真を見せて
いただくうちにこれは!と私は確信に近いものを感じたのであった。漱石は英国に着くま
でにイタリー、フランスと立ち寄っているがそうした国の写真もあり、私はその画像に合
うように漱石の旅程を調べエピソードの記録なども挿入した。私のサイトの愛読者である
ぼいやれさんとの心の交流、協働によってこのページは生まれたと思う。
お釈迦さまがお生まれになった日の今日、漱石への供養になればとの思いがある。


3.16

「偲ぶ 1999年 利休忌」をアップした。
この年の宗家利休忌はまことに悲しい日であった。今日庵第15世家元夫人の思いもかけな
いご逝去。門人のひとりとしてその悲しみに耐えた。当日は全国から応募された参拝の方
々にご宗家からご遠慮のお知らせがいったのではなかっただろうか。非公開でお供えの七
事式は内内で奉納させていただいた。その貴重なメンバーに加えていただき、未熟者の私
には身に余る光栄であった。本来は秘すべきものであろうが記録の一端としてこのページ
を作成した。追善茶会の画像も加えた。


2005.3.6

「いのちをかけた茶人 守貧庵のあるじ 大橋宗乃さん」をUPした。
昨春桐蔭席での今日庵主宰の春の大会でおめもじし、すっかりお人柄に魅了されたことが
ご縁のはじまりであった。中宮寺のわびすけ席へもわざわざ東京からお越しくださり、感
激したのであるが、大寄せの客のおひとりとしてなんのおもてなしも出来なかった。その
大先達の方のお茶事にお招きを受け小間の侘び茶の醍醐味を味わうことができた。茶事の
写真撮影は本来失礼なものであり、大橋茶寮の茶事の雰囲気を伝えることに主眼をおいた



2005.3.2

「空中しゃしん 雪のTOKYO 皇居まえ」をUPした。
上京した翌日の25日には、雪がつもった皇居を目にすることができた。眼福という言葉
はこうしたことをいうのだろうと思う。日本の象徴である皇居、その美しさは例えようも
ない。高所から撮影したのであるが、いつもながらイマイチの写真であった。


2005.2.17

『祝! 京都議定書発効 べるりんから京都にやってきた自転車タクシー」と、姉妹編も
UPした。「べるりん・いちか & 椿わびすけ往復メール」である。
べるりんねっと789さんには拙文を掲載していただいたりお世話になっており、感謝の
こころをもって作成した。


2005.2.12

昨夜、noteブック ランデエヴウ を更新した。タイトルの「おあしが 無い」は夏目漱石
と樋口一葉に関して書いたものである。葦葉達磨(ろようだるま)の画題は古典のなかに
あるが大名が描いた絵としては珍しいし良い絵なので、収蔵先のサイトへ掲載許諾のお伺
いをした。昨年のことである。快くお許しを頂き、すぐにも記事にすべき処、のびのびに
なっていた。
アクセス解析のよれば、わびすけ日記とでもいう、このnoteブックランデエヴウ がトータ
ルでは常に上位を保っている。常連さんというべき読者の方々であろうか。
tokyo, kyoto, tohoku, kyusyu.等の大学アドレスも記録され、こちらもしっかりしなけれ
ばと励まされるのである。


2005.1.31

「談話室過去ログ2004年」「談話室過去ログ2003年」の談話室過去ログをまとめて
UPした
PCの不調から受信メールが破損し諦めていたものであるが、マイドキュメント
に一部保存していたのが不幸中の幸いであった。
中宮寺・山吹茶会に寄せられた読者の声は私にとってまことに貴重な宝である。
ダウンロードが不完全であったのを相互リンクのお仲間であるのりまきさんのサポートで、
なんとか息を吹き返したのである。


2005・1・19

「山吹茶会(2004年)に寄せる」をUPした。
これまでその一、その二は既に公開しているが、その三がなかなかできずにいた。
文書で礼状をいただいた方に限って掲載させて頂いたが、画像も数人の方々から寄せられた
ものを編集したのである。参加された方々のご協力なしでは私の茶会は成り立たなかった。
非力の自分をおもうと同時にあたたかい心を寄せられた方々へ感謝するのである。


2004年までの更新履歴はここに


                                 
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2004・12・26

「修道女のお招き クリスマス茶会 N学院小学校創立50周年」をUP。
 クリスマスの25日からとりかかったものの残念ながら日を越してしまった。
これは長年のお付き合いがあるシスターCと私との交友の記録でもある。N学院は世界に
ひろがる教育の場であるが、日本文化を採り入れながら真善美の倫理を教える小学校が京都
にあることを私は誇りに思った。
その思いを自分のサイトから内外に向けて発信するのである。