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12・26
「修道女のお招き クリスマス茶会 N学院小学校創立50周年」をUP。
 クリスマスの25日からとりかかったものの残念ながら日を越してしまった。
これは長年のお付き合いがあるシスターCと私との交友の記録でもある。N学院は世界にひろがる
教育の場であるが、日本文化を採り入れながら真善美の倫理を教える小学校が京都にあることを
私は誇りに思った。その思いを自分のサイトから内外に向けて発信するのである。


12・8
今日は釈尊が悟りを開かれた「成道会」の日である。
昨日から制作した「 漱石忌 鎌倉漱石の会 帰源院 2004年 」をUPすることができた。
東慶寺の井上禅定師は昔私が師事したT老師とは兄弟弟子に当たる方である。禅定師が
私に目をかけて下さるのは、こうした禅の法愛によるものであり、まことに感謝に耐えない。
まもなく94歳になられる禅定師の写真を掲載したのも多くの方々に禅僧の自由な個性を
ひろく知っていただきたいとの思いからである。


11・27
 「京のあきんど 思文閣 田中周二」をUPした。
私が娘時代からお付き合いのある京都の実業家が私との出会いを文章に綴られている。
寄稿されたその一文を掲載。京のあきんどのありようを読者に感じ取っていただければ幸いである。
茶道の一師匠と会社オーナーとの心の交流をこのページは伝えることが出来ただろうか。


11・16
「過去ログ ご訪問者との語らい ぞうべ 大亀香合」をUP。
これは2001年11月から12月にかけて拙BBSご訪問者との語らいに投稿された読者・ぞうべさんの
ご投稿と私との対話をまとめてみたものである。3年前の書き込みは今読み直しても面白い。
よき読者・常連に恵まれていることはサイト運営者にとっては何より幸福なことである。


11・5
2日夜から3日にかけてUPしたのが「名残惜しく 坐忘斎家元のもてなし」
毎年10月30日に行われる天龍寺開山忌への今日庵家元の奉仕、献茶式と茶会の記録である。
これは他の献茶式のように一般公開でなく招待者だけに許された貴重な時間であり、参加できない
内外の同門の方々並びに日本文化を大切に想う方々へ、せめてネットでご参加ねがおうと
私の一存で作成するものである。京都・嵯峨の歴史は日本文化の宝庫といえようが
加賀と嵯峨、光悦とのつながり、茶道家元といわれる方々の人間性、季節の表現
それらを旧きよき日本の慣わしとして感じ取って頂ければ嬉しい。


10・26
「和親棚 & 三角形 知恩院にて 青年部茶会」をUPした。
茶道界といえば昔は個人対個人の傾向があったが、昨今は組織の拡張にともない大がかりな
団体になっている。そこでも青年部の存在は次期茶道界をになう意味で継承と新風を期待される。
なかなか難しい役どころであるが、後進の人々を応援する意味で24日の某青年部合同茶会へ
行ってみた。写真と簡単な説明文とで一般の読者にもわかっていただけるようにまとめたのが
この作品である。和親棚という茶につかう用具は変わった処が面白い。


10・22
「特定非営利活動法人 和の学校 初総会」をUP。
ウェブサイト&インターネットマガジン和の学校は、故伊住政和氏が創設されたもの。
日本の総合的伝統文化の発信基地として今や月間5万の訪問者を数える優良サイトである。
オーナーである伊住社長が昨年急逝された為、母体が特定非営利活動法人となった。
その初総会があり出席した際のスナップ写真をまとめたのがこのページだ。
若い女性編集者とオーナー未亡人との信頼関係を読み取って貰えればと思う。。


10・6
「境港の旧家 庄司家知新茶会 第一回」をUPした。
鳥取県境港市、江戸時代から続いているいる旧家庄司家。女優の司葉子さん
の実家としても知られているが、この度ご親族が相協力され年1度の茶会を開催。
ネッとのご縁から私も出席させていただいた。当日のリポートがこの作品である。
小寄せ茶会として質の高い良き茶会であった。


9・28
「岡倉天心が送った猫への手紙」を再アップ。
このページは2000年春、サイトを立ち上げた時のコンテンツ一つだった。
「茶の本」と一対で作成した編集が雑であったし、英語の原文も挿入しないまま
今日まで放っていた。しかし今日読者の声に刺激され思い立って再UPした。
原文を入れることで若い方々にも興味をもって貰えれば幸いである。


9・23
「敬老の日 老を敬います 茶室の洞庫」をUPした。
秋彼岸の中日が敬老の日になったのは戦後になってからであるが、
茶道の世界では老を敬うありかたが連綿と続いてきた。
数奇屋建築と関連がある事柄をわかりやすくまとめてみた。


9・11
『こんな猫のはなし』をUPした。
「漱石を訪ねるカメラさんぽ」も第10回。今回の作者は猫写真家の鈴木ねこさん。
漱石の『我輩は猫である』を読んだのは小学校のときといき以来だという。
再読したその小説に感動し約半年間構想を練ってできあがった作品で、
いかにも現代の若者らしい軽妙さと漱石の風刺をも感じさせるところ、
写真、コメントともに大変見ごたえのあるものとなっている。


8・30
「ざいふ と だいもんじ」をUP。
在釜(ざいふ)とは、今茶席が開かれ釜がかかっております、と
いうお知らせのことである。私の所属する裏千家直門・淡敬会が利休忌の添え釜を
したのが一昨日の28日。そのもようを現家元の写真を中心にしてまとめてみた。
いつもながら深い理解をもって接しられる家元のご厚意に感謝したい。

十六日夜、大文字山の送り火を撮影したものに昨年のスナップを交え、
共に作成した。ことしは外人女性と思われる浴衣すがたもあり、
時代の移り変わりを感じさせられた。


7・19
「七月の縁(えにし)は浪花にて」を昨日UPした。
大阪で開催された三つの会に寄せて頂いた、その小リポートである。
1、生魂神社:玉秀会。2、都ホテル大阪:中宮寺奉賛会。
3、鶴屋八幡本店:淀川21世紀ビューロー担当茶会。


7・1
「漱石を訪ねるカメラさんぽ」第9回目は、endo-rxさんの『こころ』を覗く。
鬱病の苦しかった体験を通して同じ病に呻吟した漱石に思いをよせる作者。
この度ご投稿いただいた見事な写真と書き下ろしの文章に加えて花の写真は私が選び
編集したものである。映像のなかの明と暗をご鑑賞いただければと思う。


6・26
「坐忘斎家元とヤブレガサ 建仁寺献茶式の日」をUPした。
五月雨の季節と破れ傘という取り合わせからはじまる物語である。


6・18 

中宮寺の日野西光尊門跡の写真と原稿をまとめてUPした。
いかるが便りも6回目。『2004年山吹茶会の記』として、去る4月下旬の中宮寺茶会を
主催者であるご門跡が自らの写真と文で記録されたところがユニークだ。


6・11
 昨日10日に作品「加賀の土 炎のひと 大樋長左衛門をUP。
桐蔭会例会6月2日、はじめて席主にお目にかかり、芸術への並々ならぬ情熱に接した。
写真でその一端をお伝えしたいと願うのであるが、つたない画像で申し訳ない。


5・26
「しのぶ草 ふたり 炭屋にて」をUP。
一昨年、裏千家・名誉師範披露茶会にお招きくださった谷口宗絹さん。
当日の席に後見の役をつとめられた炭屋旅館ご主人。そのお二人が他界された。
その時撮影した写真を探し、まとめてみたのがこのページである。
他にもそうした方々はあり、併せてご冥福をお祈りしたい


5・20
 去る5・12の作品に、引き続いてUPしたのが「山吹茶会その二」。
先のは「山吹茶会・椿わびすけ席 画像は淡交社」であったが、
今回は茶会に参加されお手伝い要員の方々の撮影になる写真たちである。
番外ではプロカメラマン関健一氏の山吹の画像を大分前に頂戴していた。
いずれも皆様方のご好意であり、感謝にたえない。


4・16
 この11日に更新したページがあるのを書き忘れていた。
「おもいでの鎌倉・漱石の会 春と冬」をUPした。春は、毎年4月29日に。
冬は、漱石忌の12月9日。便宜上日曜日に開催されるので9日前後になる。
昨年の漱石忌は12月7日であった。


3・19
「彼岸とひいな人形」 をUP。
雛まつりは日本の美しい伝承の行事である。ところが飾った後、
早く仕舞わないと嫁に行き遅れるとか、縁が遠のくといった言い伝えもあり、
女の子をもつ家々ではそのことに気を使い、そそくさと仕舞ってしまう。
今ごろは既に季節遅れということにしている向きが少なくないのだ。
けれども、本来こうした行事は旧暦で行われたものであるから
新暦にこだわっているのはどうかと私は思う。


3・16
アクセス解析でここ1ヶ月のものを(3/16:12)出してみた。
これををみると季節がかなり大きい位置を占めているのがわかる。
解析を設置していないページはメインページに収録されるが、200以上の
ユニークカウントに絞って一応掲載すると次のような結果になった。詳細は最新情報で

 尼門跡と茶会と猫668 彼岸の入り561 やよいは きさらぎから496 noteブック ランデエヴウ679
私の日記であるnoteブックも、ニュース性のあるものをとり上げているので
そうしたことに要因になっているのかもしれない。


3・7
「やよい(弥生)は きさらぎ(如月)から」と題してUP。
雛祭りのページをと思っているうちについつい日が経ってしまった。
ようやくにして雛の写真と先月28日の大徳寺利休忌に撮影していたものを
一緒にまとめてみたものだけれども、室内写真のピントが甘く
いつもながら上達しないのを残念に思う。


3・4
 英語版に千宗之若宗匠の作品の翻訳をUPさせて頂いた。
今では今日庵第十六世家元であるが、この作品は若宗匠とお呼びしていた頃のもの。
ゲストギャラリー「あなたの撮った茶のある風景」の最後を飾った写真集であった。
なお、拙作も数編の翻訳をThomasさんのご協力でUPしている


2・12
プロ写真家である関健一さんの「カメラさんぽ 第八回 漱石を訪ねる」をUP。
東京大学OBで現在も東大写真部を指導されている関さんは文学にも深い見識がおありで、
漱石と東京大学というテーマで作品作りをお願いした私の申し出をこころよく受けて下さった。
昨年の夏過ぎだったから数ヶ月間アイデアを練られ東京帝国大学旧跡を探訪、撮影された。
モデルになられたうつくしい女性の姿も三四郎の世界に花を添える見事な写真の数々。
「椿わびすけの家別館 夏目漱石の部屋」の「カメラさんぽ漱石を訪ねる」、
自信をもってお勧めしたいと思う。


2・8
「noteブックランデエヴウ」に、玉露の一しずくを書いてみた。
玉露をこよなく愛した文人、夏目漱石。文人趣味という言葉と結びつ煎茶の世界。
先日一周忌があったばかりの伊住正和氏は今日庵家元の弟君だが玉露について、
夏目漱石について、また煎茶道の茶人についても、珠玉の文章を遺しておられる。
それは漱石の『草枕』に触れたものであり、今なお漱石文学が多方面にわたって
共感と時代を超えた感動を与えていることをしみじみと思う。
「noteブックランデエヴウ」はわびすけ日記として更新を続けている。


1・31
更新というほどのことでもないが、29日に「追加 にほんの男」をUP。
昨年11月28日の大徳寺利休忌における淡敬会添え釜の記録は私が撮影した。
けれども、今日庵お家元が席入りされた時たまたま点前の順番が私に回ってきた。
そのスナップを淡交社のカメラマンがちゃんとカメラに収めて最近郵送してくださったのである。
自分の点前のすがたを見るのは恥ずかしさと晴れがましいような嬉しさと、こもごもだ。
ともあれ1月最後の日に、遅れ気味の更新記録とする。


1・21
1200坪の敷地に建つ持ち家。多くの樹木・草花を育て、趣味は飛行機。
カナダ人として同時に日本人としてコンピューター関連の北米大手企業で活動する人物。
thomas.Kさんがその人なのであるが、彼とはネットを通じ、また茶道を通じ実際にお会いし、
心からのお付き合いをしている仲である。夏年夏ころから参加を要請していたのが、
「椿わびすけ別館 夏目漱石の部屋」の連載「漱石をたずねるカメラさんぽ」。
多くの画像がオンタリオから送られてきたのは嬉しかった。
今回、彼の「カナダ移住者の和のある暮らし」を作成しアップした。
漱石が願った日本人の主体性、それをここにご覧頂ければ幸いと思う。


1・15
夏目漱石は印税というものを出版社と取り決めをした
日本で最初の文人だという。大学教授を辞めて朝日新聞社に入社した際
年収について確実な契約を交わしている。日本ではなかなか出来にくいことをした
先進的な人物像が浮かび上がる。noteブックランデエヴウに「月給取り 漱石」をUP。
ことしは更新が少なくなるが、「noteブック」には心して書くつもりだ。


2004・1・4
拙サイトへ寄せられたご紹介文をUP。
ささやかな自サイトを運営していて様々な方々のご厚意からリンクして
いただけることは有り難いことである。そうしたご紹介文を再度まとめてみた。
表紙の下方左に、いささか気恥ずかしいのだけれども、ご厚意に報いる意味もある。

昨年暮れにはべるりんねっとのご依頼を受け、クリスマスと新年のグリーンカードを。
それも併せて表紙に掲載させていただいた。雑事が多くなかなか更新できないが
自分なりにゆっくりと歩いていきたいと願っている。


12・14
プロの撮影で或る月刊誌に掲載された画像があって、
私が中に居るということで出版社がその画像を送って下さった。それを更に自ページに
挿入し、再アップしたのが「追加 精中忌 たむけの七事式 と けいこ場席」である。
あくまで個人的なものを離れて、茶道の一つの儀式としてご紹介したいと思う。
花を生けてその花を歌に詠み短冊にしたため朗詠する。
これも茶道のすがたである。


12・1
ファッションといえば女性が主流の時代から最近は男性用へと
様がわりしているようだ。かつらはもとより化粧品に至るまで男性用が売れて
いるらしい。しかし日本人の体型を考えるとなんといっても着物、和服が似合っている。
昨夜アップした、「おとこのきもの 日本の男」は和服を着こなした知的男性をカメラで追い、
他の追随を許さぬ品格ある雰囲気を、ウェブの作品として掲載させていただいた。
裏千家今日庵主、千宗室家元の近影である。


11・22
『2003年宗旦忌 そうたん狐がきたような』をアップした。
恒例になっている今日庵・三大忌の千宗旦居士をしのぶ行事である。
2001年秋に当時若宗匠であられた坐忘斎家元ご寄稿になる写真14枚を編集した
『ゲストギャラリー あなたの撮った茶のある風景 最終回』を関連ページとして
併せて収録させていただいた。私にとっては感激の作品であった。
そうたん狐についてはその中に記述があるのでご参照ください。


11・9
衆議院選挙の今日は時雨であった。
選挙の時に思うことは人間の変貌ということだ。票が欲しい時は平身低頭、
いったん代議士に当選すればその態度は一変する。しかし自然界のものには
裏切るということはない。拙宅の庭の柚子の木には長年の私の想いがある。
「noteブック ランデエヴウ」にそのことを書いた。


11・2
「嵐山の一日 天龍寺献茶式」を昨日UPした。
天龍寺開山忌の10月30日に献茶式が行われ毎年ご宗家からお招きを頂く。
夢窓国師の徳をしのびお家元が茶を点てて奉納される行事である。
今年は茶席のレポートだけで終わってしまった。


10・26
千宗旦は侘び茶をいのちをかけて守り、伝えた偉大な茶匠である。
旧作の「2001年宗旦忌」は表紙に出していなかったので今回手を入れ
 「2001・2002年宗旦忌」として再アップした。


10・23
 拙サイト英語版http://tubakiwabisuke.cool.ne.jp/indexE.html
旧作ではあるが新たに英訳した3作品をUP。
画像は最初のままのわが家の椿の木とドラの写真である。かつて小学館ウェブサイト
岩合さんの「ねこらんど」(テスト版)で掲載された、私には懐かしい画像である。


10・16 
「竹ひとすじ 千家十職 黒田正玄さん」をUP。
竹は日本文化を考える上でなくてはならぬものである。
千家十職という伝統の世界とその周辺、歴史をたずねながらまとめてみた。
日本のしきたりを守る一人のアーチストのレポートとしてご覧いただきたい。


10・6
別館 漱石の部屋「カメラさんぽ」は、
鉄道旅さんの「第7回神田川を歩く」。 源流から神田川の流れに沿って
最後の柳橋までひたすら歩き写真撮影された。鉄道のプロであるのは周知の事実だが
土地柄への洞察もふかい。夏目漱石のふるさととして今回も有意義なページとなった。
「漱石をたずねるカメラさんぽ7 神田川を歩く」


10・1
 ベルリン発、
「インターネットマガジン BN789」 『茶の湯 in Berlin』。
今回は茶事の解説をして欲しいということで原稿を依頼された。
10月号は今日公開されたホヤホヤのページであるが、インターネットの世界は
一瞬の内に国境を越えて世界をかけめぐる。六草いちかさんの巧みなページ作りに
大いに助けられた。私などお役に立てたかどうかわからない。
あらためてべるりんねっと編集部の方々に感謝したい。


9・26
別館夏目漱石の部屋に、芥川龍之介作『漱石山房の秋・冬・葬儀記』
を画像をあらたにして再UPした。前よりは読みやすくなったのではなかろうか。
ただ漱石自筆の書画は色彩が原画と相違する点があり、申し訳なく思う。


9・22
「彼岸の入り 宗家に 町に」をUP。
茶道宗家のたたずまいには常に季節感がある。
秋分の日と春分の日。農耕民族の日本人が古から大切に守ってきたもの。
その昔は秋季皇霊祭と言ったものだと確か亡母から教わったように思う。
そして彼岸、明日24日が中日になる。春分の日・秋分の日ともに、真東から出た
太陽が浄土があるとされる真西に沈む日であることから始まったという。
宗教的にも意味のある日本の伝統行事に思いをいたし、町を歩きつつも
写真を撮りレポートとしたのであった。


9・18
「夏目漱石を訪ねるカメラさんぽ5 なまず『草枕・坊っちゃん』」をUPした。
東京・町田市にお住まいの鯰さんの写真とエッセイ。長年大手新聞社の社会部記者
として活躍されてきた方である。淡々とした語り口。なかなかこうは書けないと
私は自分を省みるのであった。


9・13
今日は昨日に引き続き、中宮寺門跡・光尊尼の作品を編集しUPした。
「いかるが便り4 ダクちゃんの夏日記」。昨日は「北海道毘沙門堂参拝記」。
これらは、現代日本の尼僧がどのような活動をされているかという一つのリポートである。
私はその志を多くの方々に知って頂きたいと願いつつお手伝いをさせていただいた。
私信公開は失礼とは重々知りながらも、リアルに記録したいという私の思いを
なにとぞご理解いただきたいと思う。


9・10
「無限忌 淡々として…」をUPする。
茶道の宗家ということについて、世間一般の理解はどうなのだろう。
家の概念がまず封建的な遺物という見方で、若い世代には誤解されているようだ。
けれどもやはりもう一度見直すことがあっていいのではないだろうか?
なにごとも長短はあるが、日本のよさを見直すことが大切ではなかろうか。


9・2
カメラさんぽ「漱石を訪ねる」第4回目はプロ写真家・村岡秀男さん。
明治の建築とその時代に生きた人々の佇まいをご鑑賞いただけたら幸いである。
実は昨日UPしたもののサーバーがどうも不安定で画像が乱れる。
何度も画像を差し替えたりしてどうにか正常な画面になった。


8・27
「楊貴妃に似ているといわれても 酔芙蓉」。
わが家の庭のことし初咲きの酔芙蓉を撮影したものである。
このところサーバーが吸収合併ということで約2週間ものメンテナンス。
そのため更新もままならなかったが、昨夜から復旧したのでさっそくUPした。
吸収合併は株式上場によるものと聞くが、ウェブサイトも社会性が認知されたと
いっていいかも知れない。バーチャルという概念から現実のものになってきた。


8・18
別館に連載中の「カメラさんぽ 夏目漱石を訪ねる」は、
かねてからウェブ上のお付き合いを頂いている写真家の方々にお願いして
漱石に関連のある写真を撮ってもらい、それを私が構成するといったページである。
今回第3回目としてゲストギャラリーでもお馴染みの挿絵描きの伴義之さんがじつに
48枚の撮りおろしの写真をもってコメント共に堂々たる力作を送って下さった。
お仕事がある身で2日もの時間をかけられ史跡探訪をされたご熱意に
ただ感謝あるのみ。まことによき方々に恵まれた当サイトを思う。
「カメラさんぽ漱石を訪ねる 3 伴義之」


8・15
京都には公家文化と町衆文化とがあり、それは今も生き続けている。
町衆が創りあげた祇園祭。その宵々山のレポートをいつものように写真&エッセイで
まとめた。約1ヶ月遅れとなったが、はや秋の気配がするこの頃、夏の思い出にUPした。
「よいよい山 歩行者天国 京の町」
車をすべてシャットアウトした人間のための歩行者天国!こうした試みは世界に
どの位あるのだろうか?幸せな時間をウェブで表現できたとしたら望外の喜びである。


8・13
常連のzidonさんが山口百恵の歌、『いい日旅立ち』に私の画像を使用して
制作されたページがある。更に、聖路加病院・日野原重明理事長の著作がzidonさんの
朗読によって親しく聞くことができる。その二つのページを拙サイト表紙にあわせて掲載。
『BGM いい日旅立ち』  『zidon聞く生きかた上手』
ぜひ、お聞きいただきたい。


8・10
オペラ椿姫のモデルはマリ・デユプレシというクルテイザンヌ(高級娼婦)
であったとされている。かつて日本では廓があり遊女と呼ばれる女性たちがいた。
京都北区鷹ヶ峰の常照寺は江戸時代の吉野太夫ゆかりの寺として有名である。
吉野太夫二代目にあたる太夫のことを「noteブック ランデエヴウ」に書いた。
25歳で身請けされ京都町衆の文化人佐野(灰屋)の妻となった吉野は
京に住む者にとって懐かしいそしてまことに魅力的な女性なのだ。


8.2
蓮といえば仏事だと世間の相場が決まっている。
けれども、これほど人生にかかわりが深い花もないのではなかろうか。
思想・哲学という範疇になるのだろうが、実生活においては日本人の生活
そのものといっていい。花を愛で、蓮の実や蓮根を食し、葉には食べ物を載せる。
私自身この植物へはひそかな感動をもって今回制作したのであった。
「蓮池と百観音のお山へ」を、UP。


7・29
追加 『小泉八雲と夏目漱石』をUP。
先のページに対して小泉八雲のお孫さんである小泉時氏からご芳書を
頂戴した。あまりにもうつくしい内容でありその謙虚なお人柄に感動する。
失礼をかえりみず、差しさわりのない部分を追加としてページに飾らせていただいた。
また「noteブックランデエヴウもどうにか更新を続けている。


7・23
昨日UPしたのは、「桐蔭席 2003年夏 兄と弟と 半僧坊と」であった。
利休百首に、茶の湯とはただ湯を沸かし茶をたてて飲むばかりなる
もとをしるべし、とあるけれども茶会の道具組ということは大切なことである。
芸術といってもいい程の充実した一会には席主のものの考え方がおのずと出る。
今回、これまでどちらかといえばタブーとされていた他流の記事をとリ上げてみた。
先の「もとを知るべし」というところに、現代はさしかかっているのではなかろうか。
自戒をこめてこのページを作成した。


7・19
「カメラさんぽ 漱石を訪ねる2」をUP。
このサイトにはPhotBBS と別館漱石の部屋・画像掲示板と写真を投稿するための
ボードを設置しているが、それぞれが貴重な作品であり、なんとかしてページに
保存して残しておきたいと考えていた。第二回目として群馬在住のNiCoLeiさん。
その風格ある自然の風物写真の数々。殆どがこのサイトへ投稿された作品である。
もともと別館のほうへ掲載するべきところ、こちら本館でも是非とも多くの方々に
ご覧頂きたいと、あえてこの場でもお知らせすることにした。


7・16
『ベルリンの壁ふたおき物語 の 反響!』をUPした。
今京都は祇園祭の真っ只中。昨年の夏祇園祭を撮影した写真を挿入したことも
関連して、拙作の反響を残そうと考えた。ドイツ在住の知人。ベルリンの壁を一貫して
撮影し、歴史の検証を続けてきたM写真家。壁の崩壊が何を意味するのかを分からず
当時小学生だった頃を思い出して語る読者の率直な感想。これらの貴重なご投稿は
まことにかけがえのない記録であって、私はぜひとも採録しておきたかった。
今は消滅している「椿わびすけの家ご訪問者との語らい」は充実したBBSであった。


7・13
『小泉八雲と夏目漱石』を作成しUPした。
ラフカデオ・ハーン小泉八雲と夏目漱石は明治の文学者であるが
それぞれ個性ある生き方、作風で読者を魅了してきた。この二人にはきわめて共通した
ものがあることを知り、なんとか自分の手でそのことを書きたいと思っていた。
小泉八雲のお孫さんである小泉時氏のご好意により、こうしたページを
公開することになったことを感謝する。


7・7
現代日本人の顔はどこか幼児化しているということはいえないだろうか?
若い女性も外国人が評するには「まるで子どもじみて成人の顔ではない。」と言ったとか。
男性にしても同じことがいえよう。坂本竜馬や吉田松陰の風貌。女性なら樋口一葉。
しかし幕末から明治の時代、わずか十歳にして裏千家に養子に入り十七歳で第十一代家元となった
千 玄々斎精中という傑出した人物のことに簡単ではあるが触れておきたい。
「精中忌 手向けの七事式 と けいこ場席」をUP。


6・27
拙サイトの更新は表紙の写真、掲示板など日々新たにしているつもりだ。
それでも日付を見ると今月は7日から作品をUPしていなかったのに気付き、自分としては
珍しいことと思った。「noteブックランデエヴウ」へのアクセスがこのところ多くなっているので
気がゆるんでいたのかもしれない。昨夜から作成しUPしたのは、「いかるが便り3 仲良しのお友達」。
中宮寺尼門跡・日野西光尊師の撮影になるデジカメ写真14枚と自筆原稿を私がまとめたものである。
佛教界において尼僧の活動はどのようなものか一つのレポートになるのではなかろうか。
大々的な慈善活動や募金といったものでなくとも、このような家庭的な在り方もある。
もと皇族の方へもネコにも同じ視点で愛を向ける光尊さんは私の茶友でもある。


6・7
戦後、日本では「家」が解体されたということがよく言われる。
家の重圧に苦しんだ人々、ことに女性にとってアメリカ直輸入の自由主義は
大きい救いであった。けれども伝統文化の世界には依然として「家」が生きている。
それなくしては存続することも難しいのである。茶道宗家の直弟子(業躰家)、四代にわたって
伝統を守り家元を支えてきた人々、そうした現代の「家」と人間模様を取り上げてみた。
建仁寺献茶式でのレポート。一口には言えないご苦労があったことと思われる。
「四代目の家系 ある業躰家(ぎょうていけ)」


6・2
「更衣 (ころもがえ) 」
もとは中国から輸入された文化である更衣。
平安時代から明治にかけて日本人の生活にとけこんでしまった「ころもがえ」の風習
旧暦である太陰暦と新暦となった太陽暦とのかかわりから変化するようになった。
けれども今、忘れさられつつあるこうした生活のけじめ、日々の感動というものを
現代の生活に見直してみることもまた必要ではなかろうか?
これは6月1日に経験した一つのリポートである。


5・30
「道 愛 ひと そして 茶 初夏の大徳寺利休忌」
昨日UPしたものであるが、今日は雨もよう明日は台風がくるという。5月の空は
秋の空ではないけれど事実変わりやすいものだと思う。新作を作成した時は確かに
初夏の光がまばゆいばかりの天候だったのに…。世相は天候だけでなく経済の混迷、
依然として楽観できる状態ではない。ならばせめて束の間ほっと息をつけるページを
訪問者にご提供できたらと、これはひそかに自分の念願してきたことであった。
ほんの僅かでも読者に来てよかったと思っていただければ何よりである。


5・20
 noteブックランデエブウ。
現代のひとりの若者像である。18歳の詩人はいかにしてにして詩を書いたか。


5・15
イラク戦争によって世界は何を教訓としたのだろうか?
アメリカの自由主義が勝利したということであったのか?石油資源の問題や
戦後復興のための米国企業の野心がメデアでは早くもクローズアップされているようだ。
国連という組織が無力化されているといわれて久しい。ただ、かつての第2次世界大戦に
おける日本の追い詰められていた状況と中東とをダブラせて見る者は少なくない筈である。
国民の存在を忘れた政治家の野望が罪なき一般人をいつの世にも苦しめるのは古今東西
変わることがない。幸いにして敗戦から見事な復興を遂げたわが国の平和な今を感謝したい。
イラクとイラクの人々が一致協力し、よき国へと再生することを祈りつつ…。
「さつきの雨 茶会 ひと 生物 えにし」を昨夜から今日にかけてUPした。


5・5
「いかるがだより その二 日野西光尊」をUP。
中宮寺の尼門跡はきわめて多忙なご生活であるが、趣味の一つに
デジカメ写真があり、その上ウェブ作品にも興味をもたれている「ナウイ」方だ。
みずから撮影された画像10枚とワードで書かれた文章が先だってメールで送られて来た。
子ども好きの光尊尼の(拙サイトに於ける)第2作目はやはり子どもの日にふさわしいネコの話。
無心に暮らす愛猫ダクのおかあさんからこれまたあどけない作品が生まれたという訳である。
詳細は最新情報に書きました。併せてご覧いただければ幸いです。


5・1
「鎌倉かけこみ寺 東慶寺墓苑を井上禅定師と」をUP。
4・29の鎌倉漱石の会に出席するために東上したのは28日であった。
西田幾多郎・鈴木大拙ほか日本の文化人が多く眠る東慶寺墓苑は書物などで
見てはいたが今回はじめて参じることができた。それもことし92歳の東慶寺閑棲井上禅定師が
かたじけなくも私ひとりの為に竹杖をついて広い墓苑を案内してくださったのである。
老師のお話と共に写真におさめたものをささやかなページに作成しUPした。


4・23
「ドラと 師匠の たいぼく」をUP。自国を守ることに関してわが家のネコ
の立場を思わずにはいられない。他の侵入ネコたちの糞被害を防ぎ庭の平穏を
守ってくれているのはひとえにドラのおかげなのだ。彼は身をはってささやかな領域を
守ってくれている。時には大怪我をしながらも。ドラへの感謝をこめる気持ちで作った。

別館夏目漱石の部屋に特別寄稿として掲載させて頂いている井上禅定師。
この記事に今日追加として関連リンクを貼った。「鈴木大拙と夏目漱石のこと』
ことし92歳の師には日本の女性がぜひとも知らねばならない貴重な著作がある。
その名は『駆込寺東慶寺』。北条時宗夫人...覚山志道尼が山ノ内に 東慶寺を開創。
尼は悪しき夫に苦しむ女性を不憫に思い、この寺に駆け込む ことによって女性を救う「縁切」
の寺法を始めたと伝えられる。世界でも珍しい公的な女性救済の機関がわが国にあったこと
そしてそれが同じ女性によって為されたことを誇りに思う。若い方々もこうした歴史を知ってほしい。

「東慶寺駆込寺』がウェブ化されているのを知ったのはつい先日。鈴木小太郎氏製作によるもので
拙サイトと相互リンクということで許諾を得、そのURLをリンクをした上で再アップした。


4・15
折々の記であるnoteブックランデエブウに桜の画像とともに日本の心について書いた。
2003/04/15 Tue 01:43 人の心は昔のままでした
今朝からさくらの写真を「京にはこんなさくらもあります」と題してまとめ午後になってUPした。
不満足な写真であるが自分の思いに共感してくださる方があれば幸いと思う。


4・8
ブッダがお生まれになった日に、「戦がない世の花に酔いたい」をUPする。
イラクでは多くの戦争犠牲者が毎日どれほどの苦しみを受け死に追いやられていることか。
一日もこの戦争が終結することを願ってやまない。断食をすることも出来ずにいる自分の思いを
ささやかなこのページにこめて作成したが自己満足にしか過ぎないかもしれない。
花まつりの日に、しばし花のかぐわしさをお伝えしたいと思う。


4・4
「 椿の 花さく 家に 」をUPする。
もう遠い日々になったけれども、私は母と椿の木を植えた。
親から譲り受けた家のささやかな庭に椿は大きく育った。消えていった木もある。
胡蝶ワビスケはどうしてかここの土にあわなくて何度植えても根付かなかった。
けれども今10種類くらいの椿があり、年々花をつけて春の幸を恵んでくれている。
イラク戦争、北朝鮮のこと、また経済不況から失業者の増加、自殺者・ホームレスの悲惨。
のんびりと花を愛でるのもどこか後ろめたい感があるのだけれども、まだ平和な日本の国を
感謝し、いつまでも花に親しむことの出来る国であってほしいと願う。


3・30
「宗家利休忌 けいこ場席 半東(はんとう)の役」をUP。

茶道界をひろく俯瞰する目も時には必要ではなかろうか。
ともすれば名器に執着するあまり道具茶といわれ、また地位名誉を前面に出す
世俗的な傾向なきにしもあらず。こうしたことは茶道でなくとも一般社会で多くみられる
現実である。けれども、なぜ茶道であるのか、という原点を踏まえる事こそ肝要なのではなかろうか。
自分を反省しつつそうした思いをこめてこのページを作成した。
未熟な私の不遜な言であるがお許し頂きたい。

3・26
「裏千家名誉教授の方々」をUP。
これは昨日作成しUP済みだが、ここへ書きこむのが遅れてしまった。
学校教育でマスプロ的な傾向が大きな問題になっている時世だ。
茶道の世界はマンツーマンの指導がなされてきた。教える側と教えを受ける者。
もとは茶道の基礎を作ったとされる珠光、紹鴎、利休といった禅の師弟関係が
踏襲されたものかもしれない。人間的なふれあいを得ることは
縁ということがあるが、稽古は緊張感と楽しさがあいまってこそ続くと思う。

3・25
別館 夏目漱石の部屋に「カメラさんぽ 夏目漱石を訪ねる」をUP。
昨年秋から画像掲示板に投稿されてきた廣井信男さんの力作写真20点を
サムネイル画像でまとめてみた。Photo Artisanというウェブサイトで堅実な社会派
カメラマンとして知られている廣井さんは本業がエンジニア。ご多忙なのに私の求めに応じて
何度か漱石の足跡を訪ねて撮影してくださった。多くの漱石ファンと共に感謝したい。
なお、これは第一回であり、他の方々の作品もおおいに今後とりあげて行きたいと思う。

3・15
この9日今日庵の梅の井の脇にあったお供えに椿が添えられていた。
写真に撮らせて頂いたその一枚を思い、わが家の雨の庭に咲く椿をさっと撮影した。
登三子夫人の追憶を最初にかかげ、「わびすけの花がいろいろ咲いてます」としてUP.
アメリカのイラクへの軍事攻撃が刻々と迫る昨今、苦しい胸のうちをネットで癒している自分。

3・5
昨3月4日は京都市内は雪が降った。弥生の雪はなんねんぶりかと書いた拙ページ
を思い起こした。2年前の平成13年3月9日 千登三子夫人3回忌のページも雪の日であった。
今回は夫人の香気がいまもただよう裏千家宗家のたたずまいを「やよいの雪 茶道宗家」としてUP。

2・26
「京都に明倫小学校がありました」をUP。
10年前は小学校、廃校になった後は京都芸術センター。市民に開放されたものの
複雑な思いが残る。立派な建物であっただけにもう少し気長に児童のことを考えてはと…。

2・20
宗家の稽古日に撮影を許していただいている幸せを噛みしめている。
「春ちかし 裏千家宗家周辺」をUP。 昨日撮ったばかりの画像でまとめたものである。
京都の町といってもどちらかといえば田舎であろう。その一端をご覧くださればと思う。

2・14
別館に漱石関連の貴重なリンク集「Links]をUP。
私の独断と偏見で選んだ学ぶべきことの多いサイトである。

2・11
別館 夏目漱石の部屋」への更新もしるしておきたい。
掲示板「夏目漱石が好きなかたへ」。画像掲示板AVタイプ「夏目漱石」。
そして夏目漱石の書画をその都度掲載している私の日記風随筆「noteブック ランデエヴウ」。
それぞれ時間をかけ心して更新をつづけている。

2・6
今月2日に急逝された今日庵家元の弟君、伊住宗晃宗匠が急逝された。
拙サイト掲示板にも追悼の書き込みが続いている。私なりの思いをもって写真をまじえUPした。
「伊住宗晃宗匠遺影」

2・1 
1月20日で満92歳になられた鎌倉東慶寺の閑せい、井上禅定師の書き下ろしの玉稿、
「鈴木大拙と夏目漱石のこと」をUP。歴史の生き証人の貴重な証言である。

1・18
「京都文化博物館 別館にて」をUP。
ロアレル賞ワークショップ2003 京都の催しに参加、定員200人のこじんまりとした講演会。
しかし内容の濃いまことに感じのよい会であった。主催者の方々、お世話された方々に感謝する。

1・12
「今日庵・坐忘斎家元 吉祥の初釜式」 「その二 吉祥の初釜式」
二編を作成UPする。中宮寺の作品もそうであったが夜中の作業になり日付が変わってしまう。

1・7
「いかるがだより 中宮寺の猫ダクちゃん」 
中宮寺門跡・日野西光尊さまから写真3枚と原稿をいただいたのでUP。

2003・1・2
椿わびすけの家別館 夏目漱石 サイトに『あの頃の自分の事 芥川と松岡譲』をUP。
松岡陽子マックレインさんからお父上松岡譲氏と筆子夫人(漱石長女)を中心にご家族ご一緒の
記念写真をお送りいただいたので、思い立って芥川龍之介著『あの頃の自分の事」の五のところを
抜粋して画像をいれ、大きい字にして読みやすくまとめてみた。

12・24
ベルリン発インタネットマガジン「BN789」のクリスマス特別号にグリーンカードを掲載して頂いた。
7月の暑中見舞いカードについで2度目のカードである。若い編集スタッフの方々に大変お世話になった。

12・20
夏目漱石の別サイトを立ち上げているものの、お気付きでない方もあるようだ。
そのため表紙へリンクを貼らせていただいた。「椿わびすけの家別館 夏目漱石」
NIFTYのさまざまなサービスである、掲示板、AVタイプ画像掲示板、NOTEブックの三つを活用。
ノートは日記であるが、二つの掲示板は投稿してくださる方々のご熱意によって成り立つもの。
もし投稿が無い場合は自然消滅することになろう。願わくば続いてゆきますように!

12・18
「シロワビスケの花が庭に咲きました」をUP。
わが家のささやかな庭に、もうずいぶん前北野天満宮の縁日で買って帰った手植えの木。
まだ細い木のシロワビスケは年々花の数が多くなって美しく咲いてくれる。
写真ははじめて三脚を使用して撮影した。考えればいつも手ぶれして閉口していたのだから
ズボラもいいところである。花の写真にすこしばかり興味がわいてきた。

12・12
「ヨコハマ山手洋館めぐり」をUP。
拙サイトのゲストギャラリーあなたの撮った茶のある風景を始めた時、二人目に
投稿をお願いし快諾されて写真を出展されたのが、著名なプロ写真家である村岡秀男氏であった。
ネットを通じて多くのことを学んできた私は、ことに写真では非常にレベルの高い方々とご縁を頂いている。
村岡さんの人間としての謙虚さ、あたたかさには尊敬の念をもっていたが今回の面語でその思いを強くした。
プロとアマの技術的な違いが如実に出ている二人の作品をUPできたのはお蔭さまと思う。

12・5
「今日庵業躰 高橋宗健師 席へ」をUPする。
先に制作した北野天満宮最後の献茶式の副席を担当された今日庵の重鎮の指導者。
広島のある小島のご出身とお聞きしているが、師を慕う人々は全国津々浦々にある。

12・3〜4
「今日庵第十五世・鵬雲斎家元 北野天満宮最後の献茶式」をUPする。
今年をもって家元の職を退かれることになった鵬雲斎家元。
制作しつつ、胸がこみあげるものがあった。なんといっても育てていただいた道の親である。
心からの感謝をささげたい。

11・23〜26
椿わびすけの家別館夏目漱石のページに『芥川龍之介作 漱石山房の秋・漱石山房の冬、葬儀記』
をUPする。漱石山房の貴重な写真、漱石自筆の画像数枚をともに掲載。
作品の文字も読みやすいように大きくした。ウェブならではの自由な作業ができるのは何よりだ。

11・12
「兼好法師ゆかりの吉田神社献茶祭」をUPする。
去る4日がその献茶式の日であった。吉田山はは吉田兼好で知られ、また吉田といえば東大の本郷とならび
称される元帝大・京大のある場所である。個人的には夫や甥・姪たちがお世話になった親しい地名であるが、
今日庵第15世家元のこの神社での献茶祭には何はともあれ心して参じたいと念じていた。
あと来月の北野神社の献茶を最後に、当代家元としての献茶はもう拝見することができないからである。
厳しくとも内外の門人の尊敬の的になっている方であり、世界平和への実践で広く知られる活動家でもある。
末弟子のその末席をけがす私であるが、つたない写真を添えてわが一期一会の記録とする。

11・4
「こうよう(黄葉・紅葉)してまっせ〜」をUP。桐蔭会の風景と、
3日午後に京都駅〜ホテル内でドイツから来日したクライン孝子さんと面語。友好を暖めることができた。
講演旅行の合間に私のために会いに来てくださった孝子さん!得がたい一時であった。

10・30
天龍寺開山忌。今日庵千宗之若宗匠のご奉仕で献茶式。
招待客として参じた私だけれど、そのレポートとして「天龍寺開山忌・献茶式茶会」をUP。
天候が不順であったが無事過ぎて、まことに恵まれた一日であった。

先月下旬に開設した「別館夏目漱石の部屋」もおかげさまで常連の方が支えて下さっている。
今日の天龍寺の写真もその画像掲示板で4枚UPさせてもらった。ゆっくりと歩いていきたい。

9・25〜26
『京をんなと利休井戸』をUP。
裏千家宗家直門のおなかまの若い友人達。その交流を記録したものでもある。

9・22
9・22 表紙になった写真たち4 をUP。

9・1 
「過ぎゆく夏 京の町」をUP。先月28日大徳寺における利休忌の懸け釜や
京都の町のスナップ、不充分な撮影であるが、夏から秋への風情がでていればと思う。

8・8
アメリカのプロ写真家ジョージさんのアルバム3回目として「George's ALBUM 3」をUP。
容量の充分あるサーバーでに移転したので、サイズを気にすることなく制作できる。何よりよりと思う。。

7.29 
「平和 ベルリンの壁ふたおき物語ー京都ー」をUPする。
7月8月は日本という国にとって忘れることのできない敗戦記念の月である。今日庵家元が命名された「平和」
それは、ベルリン崩壊後の壁土をもって作られた小さな茶道具「ふたおき」のことである。
京都・祇園祭り、宵山まつりのスナップを交え、平和の日本をお伝えする。

6・29
6月はドメイン取得と新しいサイトアドレスへ移行ということに終始し、更新もままならなかった。
4月8、9日と漱石の孫・「ミセス松岡陽子マックレインの京都』その滞在の記録を漸く写真とともにUPする。
この旅は昨年「漱石夫人の鏡子おばあさまを京都でしのんでください」と、マックレインさんに声をかけたことに始まった。
招待というほど大げさなものでなく、花見をかねて京都見物をお膳立てした位のことであったが、私には
大文豪漱石先生を身近に感じることのできた有り難い2日間であった。
ほんとうに明るい陽子さん、そして今日庵のご宗家の温情、水屋の方、
行く先々でカメラのシャッターを押してくださった見知らぬ方々、
多くのご厚意に対し心から感謝申し上げます。

6・16
ドメインを取得し、これまでのNiIFTYから容量限度300メガというCOOLに移行する。http://wabisuke.jp
リンクして下さっている各サイト、お気に入りに登録して下さっている方々に、再設定のお願いをすることになった。
皆さまのご期待に応えることができるよう、たどたどしくも精進していきたいと思う。

5・12
椿わびすけの「漱石展から鎌倉漱石の会へ」をUP。
4月28日29日と東上した折の、神奈川近代文学館「漱石展」と「鎌倉漱石の会」の記録である。

4・13
「我輩は猫である」をヒントにして作り始めたドラシリーズ。他からのご要望もあり、今回「老境に入ったドラ」をUP.

4・8
夏目漱石のお孫さん・松岡陽子マックレインさんを京都へ1泊2日ご招待。
その行動記録の写真を連日表紙に掲載できるかもしれない。

3・24 
声・反響「茶のある風景」 をUP。
インターネットはバーチャルなものなのだろうか。
ホムページを立ち上げた時「直心の交わり」を求めるきもちがあった自分。
その初心を想いこのページを作成した。

3・3
表紙になった 写真たち 」をUP.
ひな祭りにちなんでこれまで表紙に出したことのある桃の生菓子、貝香合などをまとめてUP。

2・27 
「スケッチ・北野天満宮梅花祭の縁日」をUP。2月25の夕刻の撮影。ことしは露店を。 梅花祭は昨年UPしたので。

2・22 
「ジョージさん夫妻のとっておきのアルバム1」を通常画面で制作しUP。先し制作したスライドショーは削除。

2・15 
ジョージさんの「とっておきのアルバム2」をUP。アメリカとカナダの冬から春の雄大な作品で画面を構成した。
前回のスライドショーはPCとソフトの機種により表示されない場合があるようで、その為スライドショーを中止。

2・8 アメリカはテキサス在住の著名な写真家ジョージ(George Lanterstein)さんからご自作の写真CDを恵贈さる。
その一部をスライドショー「ジョージのとっておきのアルバム1」としてアップ。

2・3 
kumi bujinoさんの作曲になるピアノ曲「海に消える雨」、当サイトの表紙に設置。

2002・1・25
「椿 わびすけの 表紙になった写真たちNO.2 」をUP。

2002・1・22
これまで表紙にしてきた拙作写真を30枚、サムネイル画面としてUP。題して「表紙になった写真たちNO.1」。

2002・1・14
例年のことながら裏千家宗家の初釜に出席させていただいた。直門は最後の日。俗に「まな板洗い」というとか(笑)。
いつも感激するひと時、「うま年宗家初釜と女子駅伝」をUP。
1・13に行われた第20回全国都道府県対抗女子駅伝、地元京都は優勝したのであった。
競争世界のなかでのどかな「茶の心」を持つことができるなら、日本も変わっていくのではなかろうか。

12・23 
長年交友関係にあるシスターから写真を拝借し、猫ページを制作。「修道院のねこドピイ」をXmasを前にしてUP.。

12・2
「今日庵宗旦忌2001年」をUP。昨年「今日庵宗旦銀杏のもとに」の拙い写真を制作をふりかえり微苦笑。
あれから1年、すこしは進歩しているであろうか?

11・20 
漱石をしのぶ会合の翌日(10.30)東大構内の三四郎池をひとり散策した。
江戸第一の名園として謳われた「育徳園心字池」。東大病院の歴史の一端にも触れ、「 三四郎池 」と題しUP。

11・7
立冬の今日UPしたのは、「夏目漱石を慕う人々の会」。先だって10・29の漱石墓参、漱石史跡めぐり、
そして漱石のお孫さんにあたるマックレイン松岡陽子さんを囲む夕食会の模様を。

10.31
あるじの屑篭をあらたに随筆のページとして構成。もともと私の夫の随筆をここにはUPしたのだが、
かつて他のウェブ雑誌に掲載された私の随筆2篇も、ここに再録させて頂いた。
「ケンブリッジで過ごした夏」 と 「ウイーンの教育者・優雅なシスターベアトリックス校長」

10・19
「あなたの撮った茶のある風景」ついに最終回を迎えた。30回目にお願いした方は裏千家若宗匠・千宗之氏。
撮りおろしを含む写真14枚を、宗旦さまの命日にUP。若宗匠の広いお心にに感動する。
そしてこれまでご協力戴いた皆様に感謝!。

7・12 
「あなたの撮った茶のある風景」に東京大学写真部指導、OBでもある関健一さんの撮りおろしを含む写真11枚
を。
トップはうら盆にちなみ、石燈篭。
6・20
「あなたの撮った茶のある風景」にドイツ在住のゆーみんさんの現地撮りおろし写真7枚を

6・12 
「 建仁寺開山忌献茶式・茶会 」をUP。トップにはホタルを毎夜更新。

5・30
大徳寺利休居士月忌茶会をUP。トップはうつろう色額あじさいを差し替えず。

5・28
「あなたの撮った茶のある風景」に米国在住の藤澤隆さんの現地撮りおろし写真4枚を。
トップは連日更新を義務づけているが、植物から古寺の風情へと。

5・18 
「あなたの撮った茶のある風景」にプロ写真家三輪薫さんの撮りおろし写真[京都散策」4枚を。
トップを等持院庭園で撮影したカットを。

5・4 
「あなたの撮った茶のある風景」に2度目・プロ写真家村岡秀男さんの撮りおろし写真6枚を。
トップは2、3日大山蓮、4日春牡丹に差し替え。

5・1
トップを坪庭・沓脱ぎ石に。簾に初夏の風情を。先の宗家稽古日に撮影したもの。

4・29
英語版ゲストギャラリーにジョージさんの作品をUP。私信からのコメントを挿入して。

4・22
「あなたの撮った茶のある風景」に2度目・米国のプロ写真家ジョージさんのさんの撮りおろしを含む写真7枚を。

4・19
ドラ梅雨の晴れ間に をリニューアルUP。初夏につづく写真の更新。

4・15 
ヤフートピック「 夏目漱石が好きな方へ 」をトップメニューに加える。トピを立ち上げたのが昨年7・15、丁度9ヶ月に至る。
是ひとえにご投稿下さった方々のおかげと感謝!


4・14 
一碗の茶を晩春 リニューアルUP。茶碗の写真を取り直し、差し替える。
トップは連日更新の鴨川にてシリーズ。


4・12
英語版ゲストギャラリーを更新。次回予告にUSAジョージさん2回目を。

4・11 
「あなたの撮った茶のある風景」に挿絵描き伴さんの撮りおろしを含む写真6枚を。
トップを 鴨川にて に差し替え。 
4・8
200年茶会記春の桐陰席をリニューアルUP。

4・7
トップを 「しべを染めて月光椿」に。

4.3 
「あなたの撮った茶のある風景」に女性初登場かじゅ小林架寿恵さんの自作粘土作品と撮りおろし写真6枚を。
トップを裏側からのぞむ又隠(ゆういん)に。

3・21
 「あなたの撮った茶のある風景」に廣井信男さんの未公開写真4枚を。

3・20 
裏千家今日庵千登三子夫人三回忌追善茶会をUP。彼岸の日夜半に。
トップを家の庭に咲いた牡丹に差し替え。

3・11
「あなたの撮った茶のある風景」にKENJI 森田さんの撮りおろし写真4枚を。

3・9
裏千家 千登三子家元夫人の三回忌のスナップを大徳寺で撮影。その1枚をトップに入れる。
行われた記念茶会のもようは後日UPの予定。
リンク集をシンプルなものにしてリニューアル。YAHOOトピックでご縁を頂いた方々と相互リンクに。

3・5
弥生の茶会へ を。裏千家名誉教授渡辺業躰夫人の茶会。

3・2
如月をふりかえりを。北野梅花祭茶席。

2・25
「あなたの撮った茶のある風景」にNiCoLei Yamanouchiさんの写真5枚を。

2・15
「あなたの撮った茶のある風景」にフルキミさんの撮りおろし写真4枚を。

2・5
節分と宗家と茶会。

2・3
「あなたの撮った茶のある風景」にアメリカ人George Lautersteinさんの撮りおろし写真5枚を。
BOSSさんのお世話により実現したものであり、深く感謝いたします。

1・29
「あなたの撮った茶のある風景」に
endo-rxさんのの写真4枚を

1・20
「あなたの撮った茶のある風景」にキカイダーさんの撮りおろしを含む写真4枚を。

1・17
英語版に、kyotosktch 1と2をUP。歳末と新春風景。

1・14
洛中 新春スケッチを。

1・10
「あなたの撮った茶のある風景」に野本さんの撮りおろしを含む写真6枚を。

2001・1・6
 英語版トップページを不完全ながらたちあげる。”tsubaki wabisuke's Essay & photo”

2001・1・3
「あなたの撮った茶のある風景」に古濱さんの撮りおろし写真5枚を。

12・29
ドラ へこ とこ ねこ。

12・25
「あなたの撮った茶のある風景」に安田さんの写真12枚を。

12・21
洛中の歳末スケッチ。

12・18
尼門跡と茶会と猫。

12・14
「あなたの撮った茶のある風景」に桑原さんの写真4枚を。

12・8
「あなたの撮った茶のある風景」に岡さんの未公開写真4枚を。

12・3
今日庵・宗旦銀杏のもとに。

12・1
「あなたの撮った茶のある風景」に倉谷さんの写真3枚を。

11・24
「あなたの撮った茶のある風景」に中島さんの未公開写真6枚を。

11・17
「あなたの撮った茶のある風景」に鈴木さんの初公開写真4枚を。

11・16
エッセイ あるじの屑篭。

11・10
「あなたの撮った茶のある風景」に藤沢さんの写真3枚を。

11・9
5つ星茶懐石・開炉の茶会。 

11・2 
植物図2、千両・薔薇。 

10・25
「あなたの撮った茶のある風景」に菅原さんの初公開写真3枚を。

10・15
「あなたの撮った茶のある風景」にhosakaさんの作品3枚を。

10・8
ドラの ちいさな 秋。

10・2
「あなたの撮った茶のある風景」にらでぃげさんの作品4枚を。

9・29 
ドラ 接写。

9・19
  植物図1・酔芙蓉。

9・15
ゲストギャラリー「あなたの撮った茶のある風景」に五十嵐さんの作品4枚を。

9・8
「あなたの撮った茶花のせかい」 を改名、
「あなたの撮った茶のある風景」 として村岡さんの作品3枚を。

9・3
「あなたの撮った茶花のせかい」に、たかはらさんの作品2枚を。

8・14
身近にあるものの中に

8・8
北野天満宮夏の茶会

 8・4
その他(リンク ・更新履歴・お願い)

7・30
茶花のせかいへ

7・8
ドラ梅雨の晴れ間に

 6・28
雨の日のドラ

 6・19
京都府立大学茶道部創立45周年記念茶会

6・4
一碗の茶を 初夏

2000・5・23
ホームページ  『 伝統文化コミュニティ 椿わびすけの家 』  開設
コンテンツは四つのみ。一碗の茶を。ドラという名の日本猫。2000年茶会記。天心が送った猫への手紙。
思考錯誤の日々ながら、なんとか立ち上げることができた。




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