天心『茶の本』について

ノーベル賞を受賞した日本の文学者はすぐれた翻訳者がいたからだと、もしそう言ったとしたらお叱りを受けるでしょうか?でも、約100年前に英語をみずから使って世界に日本を認めさせたひと、西洋にむかって対等に言うべきことを言ってのけた情熱ある日本人がいました。
申すまでもなく、その人の名は岡倉覚三・天心。この天才というべき人については、数々の評論と翻訳がでています。そうした専門家でなくひとりの読者として、こんにちこの本が生活に必要だと痛感していることについて順を追ってお話したいのです。
 
最初にこれまで本屋で購入し自分なりに読んできた書物を。星マークは入手した時のものです。
また行末につけた1・2・3・4・5の数字は、執筆者の日頃の見解についての私の独断的分類です。(後述)
                

    岩波文庫   村岡博訳  1929年初版    ☆1980年60刷       『茶の本』  1
    角川文庫   浅野晃訳   昭和26年初版本 ☆昭和45年25刷     『茶の本』  1
    講談社文庫 宮川寅雄訳  昭和46年初版  ☆昭和58年23刷     『茶の本』  2
    平凡社    桶谷秀昭訳 1983年初版    ☆出版直後         『茶の本』  3
    朝日新聞社  大岡信著  1985年初版    ☆出版直後         『岡倉天心』 5
    新潮社     松本清張著 昭和59年発行   ☆出版直後 『岡倉天心その内なる敵』 4   
    永田書房   浅野晃著   昭和14年新潮社初版 ☆平成元年再発行 『岡倉天心論』
    淡交社    立木智子訳  1994年初版    ☆2000年 『茶の本』『茶の本鑑賞』
    インターネットホームページ   関谷雄輔訳・著   sekiyanete     『天心 茶の本』

この他まだまだあります。手軽な文庫本ですからよろしかったら一冊お手元においていただくと幸せます。和訳は当然訳者の考え方を反映します。その訳注・解説もおもしろいものです。

 天心の思想・業績に全面的な評価をおき傾倒する立場、

 ナショナリズムの煽動的な要素があり、天心は日本をして第2次世界大戦に向かわしめた危険思想の持ち主ではなかったかとする批判から、天心の限界を指摘する立場、

 敗戦によって一転して反動というレッテルを貼った現代の偏見を解き放ち、新しく天心の再評価をとアッピールする立場、

 さらに天心の犠牲者となったひとへのしるし難い記録を公開し世間の常識をただそうとした立場、

 原文である英語の文体のすばらしさを指摘し詩人天心として全人的な観点から論じた立場。

それぞれがなくてはならない価値あるお仕事と思います。

俗にこう申しますとか。親辛抱、子楽、孫貧乏。
3番目の孫貧乏とは、まさに借金大国日本の次の時代の人々になりましょう。
2番目の子楽、翻訳者も別ではないと、数ある訳書を読んでいてふと浮かんだ言葉でした。
いまの世は子であるわれわれの世代。子楽。
辛抱した先人の物的・精神的な遺産を受けている、その事実は認めざるを得ないのではないでしょうか。


天心『茶の本』の和訳について

英文で書かれた著書。
明治39年5月ニューヨークのフォックス・ダフィールド社出版(初版)。原作者天心への訳者の捉えかたはそれぞれ時代をあらわすのとなっています。
ここではそのごく一部、第1章と最終第7章の重要な行を紹介します。


第1章 人情の碗 (最終の文節)
 
  昭和4年発行 岩波文庫    村岡 博訳
まあ、茶でもひと口すすろうではないか。明るい午後の日は竹林にはえ、泉水はうれしげな音をたて、松籟はわが茶釜に聞こえている。はかないことを夢にみて、美しい取りとめもないことをあれやこれやと考えようではないか。                        
 
  昭和26年発行解説満岡忠成のち浅野晃解説で角川文庫に入る。
                (絶版)   浅野 晃 訳
そのあいだ、一碗の茶をすすろうではないか。午後の光は竹林を照らしている、噴泉は悦びの音をたてている、松籟はわれらの茶釜に聞こえている。はかないことを夢もうではないか、そうして、事物のうつくしい愚かさについて思いめぐらそうではないか。


   昭和46年発行 講談社文庫   宮川 寅雄 訳
さてここらで、茶でも一服すすろうではないか。明るい午後の日は竹林に映え、泉水は心地よげに泡だち、松籟はわが茶釜にひびこう。はかないことを夢にみて、美しくもとりとめもなきものに、しばし心をとめようではないか。             
                        

   昭和58年初版発行 平凡社     桶谷 秀昭 訳
その間に、一服のお茶をすすろうではないか。午後の陽光は竹林を照らし、泉はよろこびに泡立ち、松籟はわが茶釜にきこえる。はかないことを夢み、美しくおろかなことへの想いに耽ろうではないか。   

  
   平成6年初版    淡交社    立木 智子 訳
それまで、しばしの間、お茶でもすすろうではありませんか。昼下がりの太陽の光は竹を照らし、泉水は喜びとともに泡立ち、茶釜からは松籟が聞こえます。はかなさを夢み、美しく、とりとめもないことに、心を馳せようではありませんか。 

 
  平成10年インターネットホームページ   関谷 雄輔 訳
さてここらでお茶を一服、昼下がりの陽が竹林にきらめいています。泉は楽しげに泡立ち、松風の音が釜に響きます。はかないものを夢み、美しいけれどどうということもないものにしばし心をうつしてみませんか。
       


村岡氏は開拓者の名文。もっぱら和訳を読む者として最初の訳はさぞ大変だったでしょうと思います。どの訳も似たり寄ったりなどとうっかりいいそうですが、微妙なちがいもあるのに気づくのです。

浅野氏訳には日本語のうつくしさを私は感じますがいかがでしょうか。
桶谷氏はどちらかといえば浅野訳に近いように思われますが、残念なことに浅野訳は現在絶版となっている書物です。格調の高さと天心の心をつたえる意味では貴重な一冊であろうと思います。ただ、読みやすさということにおいては現代向きでないかもしれません。
 
「事物のうつくしい愚かさについて思いめぐらそうではないか。」
浅野訳のこの一行は好きな文章です。殆どの訳者の方が第1章The Cup of Humanityを「人情の碗」とされているのに対し、浅野訳のみ「人間性の茶碗」となっています。
最後の「茶の宗匠、利休の最後の茶の湯」の第8章にも相違点があります。
 


『茶の本』訳者の訳注について

村岡訳  「火鉢にかかって沸いている茶釜の音には、ゆく夏を惜しみ悲痛な思いを鳴いている蝉の声がする。」
 
宮川訳  「風炉のうえでたぎっている釜の音は、ゆく夏を惜しみ、その悲しさを鳴く蝉の声かとも思われる。」
 
桶谷訳  「風炉の上に沸いている茶釜の音は、ゆく夏を痛く悲しんで鳴きたてる蝉の声に似ています。」
  
浅野訳  「火にかかってたぎっている茶釜の歌は、逝く夏への悲しみを鳴きしきる蝉の声かとひびている。」

 他の方々の訳は「火鉢」「風炉」となっていますが、浅野訳は「火」となっていることに注目していただきたい。The singing Kettle,茶釜の「歌」という直訳は、後につづく蝉の声にかかっているのですが、問題はbrazir直訳なら火鉢でしょうか。
しかし天心は実際茶の宗匠に師事したこともあり、利休の亡くなった時期が二月であり、茶では炉の季節であることを充分理解していたのではないかと思います。ただ外人には表現しにくかったのでこの書き方になったのでしょう。
その微妙なところを詩人の浅野氏は火という一字で表現されたのであろうと思われます。

浅野氏は訳注で桑田忠親氏著『千利休』のなかの(利休居士伝書)に拠るとして、利休居士は釜湯のたぎりを聞きながら切腹し自在の蛭釘に--、とその間の迫力ある記述をあげています。
自在とは自在竹のことでもとは囲炉裏に鍋釜をつるす農家の用具を侘び茶の道具に見立てたものです。ことの真相はともかくとして当然利休最後の茶事は寒中の炉の火であり、炉の釜であったと思われます。
 淡交社から出ている立木智子氏の訳を最近拝見しましたが、茶道の稽古をしているという氏の文は次のようになっています。

      「炉には茶釜が煮えたぎっており、その音色は行く夏を惜しむ蝉の鳴き声のようです。」

直訳と意訳の違いといえばそうなりますが、文献上の翻訳の作業と実際に茶の稽古をした人の作業のちがいでしょう。ただ、原文に添うということに関してはまた別の見方があると思います。 
                           

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