2000年茶会記 2000年8月8日
北野天満宮 明月舎 夏の茶会 8月1日
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京都市・北野神社は菅原道真をまつる 日本でもっとも古く由緒ある天満宮。 かつて秀吉が催した北野大茶会は、まさにこの地。 正面が今出川通り、この北門は反対の方向に。 人通りもすくなく静かです。 | |
境内をあるく。 一説には、利休居士が最期に詠まれたという狂歌を想う。 「利休めはとかく果報の者ぞかし、管宰相になるとおもえば。」 透明な心にある方には、管公がおわしました・・・。 |
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牛は過去・現在・未来にわたって この神社を守っています。 | |
小さい鳥居の東に、茶室・明月舎の入り口がみえます。 広間の茶室の中には、宗旦さんの書になる明月舎の扁額も。 ここには、持ち回りで月釜が懸けられており、 今日の席主は、直門の先輩・UE宗寿師。 |
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待合は裏千家十一代 玄々斎筆 瀧之画。 本席は鵬雲斎お家元 一行 「清座一味友」。 手がふるえ、よい写真を 撮れませんでした。 |
朝はやく席入りしたときは、朝露草が白く美しかった。 でも写真はピンボケで午後再び席入り。朝の花は終り、 代わりにフシグロセンノウが入っていた。 カルカヤ、 糸ススキ、草ボタン、キンミズヒキ。その他計7種。 |
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主菓子、蓮根で作った「西湖」 老舗の料亭 「和久伝」製。 冷やして下さっていて、笹の葉から口の中へ すべるように入りました。 干菓子は「氷室」 鶴屋製。 | |
禁煙の世相でも、薄茶の席では必ずたばこ盆をだします。 風情とともに、正客の位置を示す意味もあります。 灰吹きは青竹。中にすこし水を入れ、消火の役も。 |
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風炉先 紗が張ってある夏用のもの。 長板二つ置き。盛夏は客になるべく火が見えぬような 風炉を。この形は透木風炉という。それに合った釜。 水指は平水指。水をたっぷりとはって夏のもてなしに。 茶碗は黒楽。棗の青貝と調和して。 建水のなかに竹の蓋置き。 竹は花入れとなって晴れて床の上に。 また建水のなかにつつましく入る。 | |
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天竜寺青磁 魚紋 鉢 と作者楠部弥イチは書付しています。 もとは中国で作られたものですが、日本人の創意はコピーを 超えて何かを生んでいったのではないでしょうか。 大蓋は勝手つきの風炉先の枠のところに置いて。 | |
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茶会記は本来席主が書くもの。 先輩であり友人でもある今日の席主は、書の古典を 臨書して自分の書風を身につけているひと。 年賀状も長年、心ある直筆の書で戴いています。 いにしえより書は人なり、と申しますね。 | |
茶会の醍醐味は取り合わせにあるといっていいでしょう。 名器があればそれに越したことはありません。 ただ、利休さんはおっしゃっています。 「茶は寂びてこころはあつくもてなせよ 道具はいつも有り合いにせよ」 と。 北野茶会は毎月一日と十五日に各流派が交代で担当し、年20回、年会費8千円。 公共の場でひろく人々に親しまれています。 茶道家と門弟の人々の地道な努力があることを ひとこと申し上げたくて・・・。 | ||
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わびすけの夏のおもてなし。 アンティークのちいさなガラス製バスケットに 冷水をいれて・・・。 ただ相手は、彼方のくにの・・・かたがた。 そしてどうぶつや生きとし生けるものの上に、 せめてお水を。 いま盆の月。 |