2000年春
こんにちわ洋猫です スコットランド製の陶器の猫がわが家にやってきました。 スリムでキュートでしょう! そのあとから今度はほんとうの猫がやってきて、 家族の一員になったのでした。 いえ、もう一昔もまえのことです。 でもね、生きたほうの猫はすがたも性格も どうも日本ふうなのです。 くだらないとおっしゃらないでどうかこの話を 聞いてやってくださいませんか。 |
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ド ラ と い う 名 の 日 本 猫 |
わがはい 当年とって 10歳。 この写真 ピンボケちゃうか。 |
1. 胴長短足といえば日本人の体型で、猫には当てはまらないという人もいるが、実際この眼で確かめた近所の洋猫はシャムとかペルシャとか4本の足が長いのだ。長い手というか前足では喧嘩になった場合短いほうは不利である。 あっという間に長い前足の爪でひっかかれ傷を負ってしまう。 輸入ものの猫をうとましく思うようになっていったのは、雑種の日本猫がわが家に住みついたからである。 生後2ヶ月の黒白の子ネコがわが家にやってきたのは、私のひとつの煩悩の結果だった。 広告を主としたタウン紙がポストに投げ込まれていたのにひょいと眼をやると、「ネコの子貰ってください。飼育道具一式つけます」とすみっこに小さく出ていた。まだ見てもいないその子ネコが急に愛らしい姿で目に浮かんだのも不思議だった。 飼い主の人はトイレ用の箱、人工砂、爪磨き板、ネコ缶6コ、チクワ一袋をつけて当の子ネコを抱いて車でやってこられた。これまでも親猫が出産したらみなそのようにして里子に出し、この子のきょうだいも先だって貰われていったばかりだという。穏やかな母子のおふた方からそうしたお話を聞いた時の情景は、10年経った今も忘れることができない。 2 「この傷は向かい傷といって正面きってやり合ったものだね。相手にもそうとう怪我させとるな」 何年か前たしか獣医さんはそう言った。 オスだからとドラという名で呼んでいたが、その為だろうか、とにかく争いが絶えないネコだった。毎日怪我をしては帰ってきた。傷が化膿して手術もした。 子ネコの頃からあまり人になつかないほうで抱くとスルリと逃げた。 機嫌がいい日でもドラは他の猫と喧嘩を止めなかった。相手を威嚇する時の声は高く低くまるで銅鑼を打った余韻のように響いた。年をとった今では以前の威勢はないもののそれなりにしぶい枯れた声で折々やっているのが聞こえる。 わが家はごく小さな藪のなかにある。すこしの野菜や果樹を植え、猫が自由に動きまわるには適した空間がある。 ドラがまだいない時にはどこからとなく多くの猫達が集まり、植物が枯れるという被害に困りはてていた。それが家猫が住みつくようになると事は一変した。 縄張りの動物本能だろう。侵入するものをみつければ猛然と攻撃・防御するのだ。いま多くの猫達による糞被害がまったくないのは、ひとえにドラの身体をはった永年の防御のおかげである。短足の不利を気力と独特の威嚇声でカバーしてきたのはあっぱれとしかいいようがない。 3 近所に篤志家といっていい猫愛護の方があって私はその方をセンセイと呼んでいる。 センセイは独身のピアノ教師でその自宅のレッスン室をのぞいたら、グランドピアノの下に新聞紙がしきつめられていて老猫が何匹かうずくまっていた。病気と老衰とで垂れ流しの状態だという。管理がゆきとどいるのでけっして不潔ではなく、においもないのにすこし驚いた。レッスンを受ける生徒たちはセンセイとの信頼感から、猫の生態、飼う人のありかたをも感じとってゆく。 センセイは野良猫をみると苦労して捕らえ、避妊・去勢手術を獣医さんに依頼して代金を払う。仕事から得た収入はこうして地域の環境のために人知れず使われる。地域猫を守ろうというボランテアのリーダ的存在なのだ。 ドラもじつは手術をしている。オスは発情すると野良猫を作る原因になるし遠出して帰らなくなる、その為に去勢をとセンセイから勧められたからである。
5 「人間は騙されても猫は騙されません」とはある有名な料理人のことばである。料理、魚肉の鮮度にかけて人は見た目に惑わされるが、猫には通用しないらしい。家でも魚など賞味期限不確かなものは、時々このご指南をあおぐことにしている。 猫のはたらきは人間の浅知恵を超えているのではなかろうか。中世ヨーロッパでは、猫を悪魔のたぐいと見て殺しまくったという。そのために病原菌を運ぶ鼠が増殖しあのペストの大惨事に至ったというのだ。 日本では他の国とは比較にならないほど發生が少なかったというのも猫あってのことではなかっただろうか。もともと猫は中国から仏教の経典を請来したとき鼠害を防ぐ守りとして、いっしょに渡来したのだ。 この国には三味線という動物の皮をはる楽器がある。楽器をあつかう人から猫皮は上等で犬皮は安いんだと聞き、この点ではよその国より受難の生きものだと思った。 伝統音楽・民俗芸能は千年以上ものあいだかれらの犠牲と貢献があってなりたってきたのだ。猫に感謝し慰霊する行事があったことはいまだ聞かない。 猫は人を騙さないがこの国に安らぎをもたらし悦びを伝えてきた。 センセイは「この子とは相性がいいわ」と言い、「野生が強いな」と言いながら手なづけようとするのだが、近づくといまだにファーっと威嚇の息を吹きかけられる。 人がひるむ隙にドラは出されたチーズのかけらをひょいと前足でとり寄せ、数歩しりぞいてから食べるのだ。 センセイは懲りもせずいつか必ずこの手から食べさせて見せると、藪のなかへ心かわらずおとずれる。 あまりの愛想のなさにこの家のあるじは、「お前なあ、昔の人間は一宿一飯の義理ってえものがあったんだぞ」とドラに語りかけるが、猫のほうは後ろ足でしきりに耳を掻いている。 6 センセイがやって来そうな時刻になると、音もなく家をぬけだし、藪のなかの同じ場所の切り株の上で寒い風の吹く日も雪の日もじっと待っていたドラの姿を、私はこっそり見て知っている。 もう3年あまり前の冬のことだ。 センセイは病気で外出できない時期があった。何週間かつづいた。或る日センセイは自分の家の前に据わり込んでいた猫をみつけ、歓声をあげた。 「ドラ!!来てくれたの!!」 その時の緊急電話で私はセンセイからこの話をきいた。 しかし、それはたった1度きりのことだった。 「あの子にしたら長年の態度をね、いまさら変えるわけにいかないと思ってるのよ、きっと」。 その時はその時。いまだに表向きは無愛想な態度をこのドラ猫はとり続けている。 私は思うのだ。あんたさんはやっぱり日本猫だ。ホンモノの雄はここにいるよ。 |
数年前センセイ写す |
ことし わびすけ写す |