2003年5月1日











松ヶ岡御所寺

の石碑










境内 参道わきに

十二単
(ジュウニヒトエ)

の群落










そそりたつ山の

斜面に

シャガの花々










閑棲 禅定師の

住まい

玄関の前に

白山吹と

スズラン










みずから和尚さまに

案内されて

水月堂へと


うるわしい

水月観音











鈴木大拙書

水月堂のために

禅定師に

おくられたとか











東慶寺

寒雲亭

もと久松家に

あったものが

人を経て

寄進された

よし










寒雲亭

内部

おおもとは

申すまでもなく

裏千家宗家に

あります










宗旦好み

櫛がたの

欄間








10

書院








11

千 宗旦



寒雲








12

露地を

背に

閑栖 井上禅定和尚








13

真行草の

天井も

約束通り

この場所は

草の舟底天井












14

竹杖をついて

墓苑に案内して

くださいました

92歳の方とは

到底思えません



歴史を尋ねる

拝観の客へも

丁寧に説明

されました








15

鈴木大拙の墓

ベアトリス夫人

と ともに









16

西田幾多郎の墓

号 寸心










岩波通りと 俗に呼ばれるような 墓も 並んでいます
「西田幾多郎の葬儀委員長として来山した岩波はこの寺が気に入り、
安倍能成と私の三人で墓地に行き、「西田先生を囲んで両側に墓を作ろう。
俺はここにする。お前はどうする」と岩波がいうと、安倍は「どうするもこうするも、
お前そちらならこちらより外ないじゃないか」ということで、角から岩波、西田、安倍の順に
墓地が決まったのである。」   井上禅定『東慶寺と駆込み寺』より

ほかに 野上豊一郎 野上弥生子 和辻哲郎 谷川徹三 小林秀雄 高見順なども








17

東慶寺中興開山

釈宗演老師の墓所


この近くに
後醍醐天皇皇女
五世 用堂尼の墓が
ありました

松ヶ岡御所とも
いわれるお方


そして
東慶寺開山
覚山志道禅尼
(北条時宗夫人)

悟道の人であると共に
不幸な女性たちを
救済されたお方
でした



これから先は 禅定師の 話です




鈴木大拙は戦前から こういっていた 

アメリカと戦争やっても 勝てるわけがない!

ここに墓がある高木惣吉は 海軍参謀だったが 戦争には否定的だった
最後まで 対米戦争終結に 努力した人だ
終戦で戦地からわたしが生きて帰れたのも この人のおかげだ


今の天皇さまが 皇太子時代に墓参におみえになった時のこと 
安倍学習院院長の後ろにある墓は 誰のか とお尋ねになったことがあった
 自分が高木惣吉氏の名前をいった途端 殿下は 「高木惣吉閣下!」と威儀を正された





禅定和尚のお話は 淡々として 尽きることが ありませんでした




関連ページ 鈴木大拙と夏目漱石のこと

            東慶寺ホームページ

            
Link 大塚英良ウェブサイト   文学者掃苔録図書館


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