2003年7月22日


桐蔭席 2003年夏 兄と弟と


あんさんが兄? 弟かって? い〜え、それは後で わからはります〜

桐蔭会例会  平成15年6月2日 高橋宗健業躰
               7月2日    淡敬会



先ずは今月 7月2日 桐蔭会は 淡敬会 担当
    

 以下 不出来なスナップですが ご披露いたしましょう。
点心席で少しだけお手伝いをしました。写真もいいかげん。

クリックしていただくと写真は大きくなります

1
待合 床


2
煙草盆


3



4
柴折り戸


5
本席 突き上げ窓


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床 玄々斎和歌


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唐物螺鈿 せきれい


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竺叟 直書き在判 
ひさご掛け花入れ


9
チョロギの花


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しまいつけ 竹蓋置き 在判


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にじり口の近く


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広間席へ


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床 祇園祭りの絵


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青磁香炉


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唐物大籠


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昔ふうクーラー


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箱 棗の袋と


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書付


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茶杓は坐忘斎家元

20
会記

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裏にまわって撮影
 ここは貴人口




兄と 弟と


兄と弟が ここに いてはりました。はい、竺叟(ちくそう)さんと一燈さん。
裏千家八代叉玄斎一燈宗室のお兄さんがこの竺叟(ちくそう)さんです。
実はこのご兄弟、表千家からご養子にこられたお方のようです。

表千家・如心斎の二番目の弟が、裏千家七代竺叟宗乾。25歳の若さで急逝。
そして三番目の弟が裏千家八代叉玄斎一燈(ゆうげんさいいっとう)。

このご兄弟の合作ともいうべきものは、今日のこの一会にご覧頂けます。
花入れと箱書き。そしてさらに、棗と箱の書付。

極めつけに覚々斎の外箱が出てまいります。
裏千家八代一燈と表千家六代覚々斎。
この方は如心斎の父。おなじく竺叟・一燈兄弟にも父に当たるお方なのですね。


養子といいますと昔、「こぬか三合養子に行くな」とかいわれたもんですけど、
こんな立派なご養子はんがいてはったもんと深く感じ入ります。

なお「如心斎と一燈は兄弟であるとともに、利休の伝統を守る二つの千家を担う人であった。」と
筆記された表千家関係の貴重なウェブサイトをみつけました。
「如心斎と一燈をどうぞクリックしてくださいますよう!

http://www.geocities.co.jp/Foodpia/1095/cha/ittonyosin.html

お時間のない方にはここでその一部を引用させて頂きましょうか。


 兄の如心斎が弟の一燈宗室のところへ茶に行ったときのこと。一燈に請われるまま、
如心斎は炭をついだ。同席していた水雲という一燈の弟子が見ていて、如心斎が帰るや
こんなことを一燈に言う。「如心斎という方は花は上手ですけれど、炭は下手ですね。」
一燈は笑って答えた。「そんなことはないよ。私は花はまずまずやるほうだが、炭は下手だ。
だからそれを隠すのに炭点前にアヤをつけるのさ。
兄が炭点前を何なく平々凡々にやってのけるのにはとても及ばないよ。」
 一燈宗室の言葉に謙遜の意味が含まれるのは言うまでもないが、
茶の湯にとって当たり前にすっと済ませることは一番難しく、一番大切なことである。










平成15年6月2日 高橋宗健業躰 担当


桐蔭会は会員制になっています。2日と18日と月に2度開催。
私は2日の会員ですので、この日はゆっくりと午後に参りました。


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透木釜


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本席 前家元一行


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浜豌豆


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花灯口が開いた時に


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席主がすべて点前を


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柔らかい表情


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ご子息 半東


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会記 宗健師の筆跡


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玄々斎画すずり箱


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箱のいろいろ


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新旧の書付


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点心席の花








席の うったえる もの

私は、この茶会に ある一つの主題を 感じました。
ここに写真がなくて残念ですけれども 待ち合い掛け物が 方広寺住職のの画賛。
「貰ったものです。」とご亭主のお話。ただ、物としての貰い物でないと思いました。

では、半僧坊とは?
寺伝によれば、その姿が僧のようであって、完全な僧の姿をしておらなかったので、
開山の禅師から「半(なか)ば僧にあって僧にあらず」といわれ、
「半僧坊」と 名付けられたといわれます。

 禅師が遷化された後は、「民に利益を与えよう」と言って、姿を隠したとも。

 また開山無文元選禅師が中国天台山において石橋にお茶を献じられたと
記録されてもいるようです。 半僧坊と茶! それが誰を指しているのか
半僧坊の本紙をかいた人には、わかっていたのではないでしょうか。

さらに、待合掛け物と本席掛け物とは共通した心的せかいであり、
おなじく花と花入れも、別なものではないところ、ひとつ私は学びました。

茶の道を一筋にあるく…。
その実績をこの場で表現することこそ、茶人の生きがいといえましょう。

日暮れて いまだ道遠し の自分を反省した わびすけでございました。
こうしたよき夏の日々への出会いを、心から感謝しつつ…。






桐蔭席は 阿弥陀が峰 山麓に あります 下の画像は2002年2月 その門の前で
後輩の方がシャーッターを押してくださったものです。

関連ページ 
2000年春の桐蔭席



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