2002年5月12日

 「 夏目漱石展から 鎌倉漱石の会へ 」


漱石展  神奈川近代文学館   

鎌倉漱石の会 
四十周年  円覚寺塔頭 帰源院




4月28日、京都から 足をのばして みました
ここが近代文学館とか ヤフートピの常連の方が手引きしてくださいました まだ私 目は少し見えますけれど あきません




花はいま評判のハーヴのようで・・・

漱石展 感動の連続で ございました




夏目漱石遺品受贈記念

「夏目漱石展」 −21世紀へのことば−」

◇会  期 :2002年(平成14) 4月27日(土)〜 6月9日(日)
◇会  場 : 県立神奈川近代文学館 展示室   横浜市中区山手町110 (TEL 045-622-6666)
漱石が門下生の野間真綱、林原耒井にあてた書 簡、養子縁組関連の証文、卒業証書類、留学・教職に関する辞令類、故夏目栄子氏(漱石 三女)から寄贈された書画などの漱石関係資料、さらに1999年 6月、夏目嘉米子氏(漱石長男・故夏目純一氏夫人)から寄贈された漱石の遺品約250点。これは漱石終焉の地・漱石山房(早稲田南町)に残されていたものである。東京帝大 講師時代の講議をもとにした『文学論』の原稿、松山、熊本から東京の親友正岡子規に送 り添削を受けた「子規へ送りたる句稿」、飼い猫を描いたといわれる「あかざと黒猫図」など の直筆資料をはじめ、文机、喫煙具、落款印(らっかんいん)など、漱石の生活が 偲ばれる貴重な遺品類の受贈をうけて他に類を見ない、より充実した漱石コレクションと なっている。
 
【会場構成】

プロローグ 漱石山房という空間
一 部 漱石山房での日々
二 部 漱石山房の人びと
エピローグ 漱石の書画


わびすけの感想、  百聞は一見にしかずと申しますね。まさにこのひとことでございました。関心のある方はご自分で足を運ばれ是非ご覧になってくださいませ。漱石の書いた原稿・書簡・書画、いずれも飾らない気品に満ちています。その思想は人間への誠実に基づき、愛と苦悩を見据え、自然界の昇華へと読者を誘(いざな)うかのようです。漱石が選んだ調度品もすべて重厚で立派なものでした。また漱石はオシャレだったようで渋い上質の着物も展示され、好みのゆかしさを知ることができました。何にもまして現役の大作家であること!・・・ファンとしては、「漱石は不滅です」といわざるを得ませんねぇ(微笑)。





文学館から すこし 足をのばしますと〜
ここ ミナトヨコハマ でっしゃろか
あの旧い歌を くちずさみました♪









生きてるネコは一匹も見ませんでした
 いろいろネコの銅像があるのは 
大仏次郎記念館










翌 29日 円覚寺に おまいりしました
ここ居士林 在家の修道者が 座禅をするようです
私は漱石もここで座禅したと 思い違いをしていました






あのモミジを撮っておくといいですよ
とミモザさんがいいました 
自分を写されるのがお嫌いで
 そんなことをおっしゃいます 
これから 漱石が止宿し参禅した
塔頭(たっちゅう)帰源院へ向かいます





白鹿洞 シャッターチャンスを狙っていたところへ 坊やが出てきました プロ写真家いわく シャッターチャンス賞贈呈! へぇ そんなん 聞いたことおへん







黄色の牡丹を撮っているところです
私の知らぬ間に ミモザさんが 
「写るんです」でパチリ 
あ〜 あられもない格好で〜





 

いよいよ 帰源院へ


漱石28歳の明治27年15日間ここに滞在したという。彼は神経衰弱に苦しみ、親友の菅寅雄に相談。 既に円覚寺の名僧・今北洪川に就き参禅し居士号を貰っていた菅は、洪川没後その弟子釈宗演に就いていた。漱石から相談を受けた菅は釈宗演に紹介。漱石は大きな期待を抱いて円覚寺の山門をくぐったという。この時の体験は15年後、小説『門』の中に再現されている。
その後明治30年、3年ぶりに帰源院を訪ねている。
それから10余年、大正元年9月の二百十日にも漱石は鎌倉に来て、参禅以来、釈宗演に会い、この事を『初秋の一日』に書いている。

また、漱石の家に滞在していた若い雲水に或る時など漱石は「私は円覚寺で座禅をしたように言うが、私には何も出来ていません。全く唯の凡夫です」と、甚だ謙虚で真摯な求道者の態度を持しているので、却って二人が恐縮したそうである。

『門』に出てくる老師は釈宗演であるが 宗演は漱石がなくなった後 彼の感想を語った中で 「漱石氏については余りよく知らない・・・禅の修業は大したものではなかったが 氏の性根は仏教乃至東洋思想の根本に触れていたとは考えられる ”則天去私”と云うのが氏の最後の頃の思想だったとのことだが それは明らかに大乗仏教の真精神である」と云っている。鈴木大拙は「夏目さんは十日ばかり坐ったんでは、悟れはしなかっただろう。しかし禅心ー禅の心はあったなあ」と語っている。

鎌倉漱石の会発行 『夏目漱石と帰源院」』より

漱石が彼らに宛てて書いた書簡は数多く、その相手富沢敬道師は後に帰源院住職となられ、現住職は敬道師のご子息だとおききしました。



漱石が若い雲水・富沢敬道に宛てた 巻紙







昭和37年 帰源院に 鎌倉漱石の会の有志が合議して 12月9日の「漱石忌」を期して句碑を建てることとした 石は京都清滝川周辺の谷底からひき上げられた石であったという

漱石の句碑  富沢珪道書
仏性は白き桔梗に こそあらめ






講演の一つ 「漱石山脈とは何か」 
半藤一利さん
夫人の父上が漱石門下の松岡譲
ってことは 松岡陽子マックレインさん
とは ごきょうだい
「漱石より子規のほうがいい弟子を
つくってるんじゃないかと、
そんな気がするんですな」





無事 おひらきになりました 本堂に溢れるばかりの漱石会会員 約三百名 私のような臨時会員もふくめ・・・










世話人さんも ご満足のようですね 
ありがとうございました









 

三千円の会費ながら 美味しいちらし寿司のお弁当と 記念のお饅頭を いただきました







帰源院の山門
茅葺の屋根がおもむきがございます〜
石段を下りてくる会員のかたがた 
上でヨタヨタ下りてくるのはだーれ?




 

東慶寺へお参りしたいと 念じておりますと これはこれは 閑栖の井上禅定師が!
すぐにファンの方々が近寄っていきます
東慶寺は むかし駆け込み寺として女人の救済に貢献した寺でした 駆け込んだら離縁できる道が開かれていた場所 世界に二つしかなかったとか (この一枚ミモザさん写す)





東慶寺境内にある植木鉢
見るなり 『それから』の三千代
のエピソードを 話し合いました
花はスズランです







漱石 『初秋の一日』にある 「連れション」にちなむ石碑 ユーモアがありますね 誰でもクスリと 笑うに違いありません

「平成6年は、漱石が鹿山(円覚寺)に来参して百年にたちましたので、『初秋の一日』と宗演の手紙の一部を碑に刻んだ「漱石参禅百年記念碑」をつくって、その命日の12月9日に除幕式をいたしました。東慶寺への来山者が少しでも漱石文学への興味を抱いてくれるとともに、釈宗演のこともあわせて知っていただきたいとの思いからです。」
 井上禅定著 『東慶寺と駆込女』より

たしかです!現に小泉八雲のお孫さんがここに来られみんなの求めにより 石碑の前で一緒の記念撮影に応じて下さいました









境内は みごとな景観 

仏像の彼方は 鈴木大拙の「松ヶ岡」文庫
  東慶寺の中興開山釈宗演の門下である
大拙と井上禅定師とは法の叔父・甥の
関係 といえましょうか
宗演の法を継いだ古川尭道の愛弟子
であり 歴史の貴重な生き証人
 と 拝しました
91歳とはとうてい思えません











水月観音がまつられた 水月堂
鎌倉に 見るべきものは 大仏と うるわしい水月観音

上の扁額は 鈴木大拙の揮毫







ああ もったいないこと!
観音さまのみまえで 禅問答?










左 ミモザさん 右 老師のお手











後で 禅定老師のご著書を 贈っていただきました
私のかつての参禅の恩師は 井上禅定師と共に ここ円覚寺で修行した方でありました 青蓮の道号は私に30数年前恩師が下さったもの・・・深い深いえにしに ・・・胸があつくなりました





私の前にある ノート型 
パーソナルコンピューター 
その横には 『漱石展』で求めた
記念の本 
夏目漱石と対座しての おしごと 
あ〜なんて贅沢なことでしょう。
道楽にしては フトドキだ(笑)




 

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