2003年6月6日
平成十五年六月五日 建仁寺開山忌 献茶式 裏千家十六代 坐忘斎家元 奉仕
今日庵席 担当 金沢宗維業躰
石畳の道を あるいて まいります |
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1 今日庵席は 茶室東陽坊の ある寺院 清涼軒 |
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2 献茶に参列 するために 閑散とした 床机に 木漏れ日 |
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3 待合から見る 中門 みどりの 屋根かわら |
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4 坐忘斎家元 一行 |
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5 ヤハズススキ ほか |
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6 くわら 香合 |
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7 賜物 |
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8 水指 六閑斎在判 認得斎箱 |
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9 玄々斎好 煙草盆 今風にいえば ワンセット |
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10 席主 金沢宗維業躰 金沢業躰家としては 四代目 そして弟君ともに 家を盛り立てる |
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11 おいしゅうございました |
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4人だけの客のために 席主は 点前をもって もてなしてくださいました 「見事な茶杓ですねえ 樋が1本つらぬいていて…すばらしい!ご銘がまた」」 「銘が 小槌というんですわ 打ち出の小槌か 出る杭(くい)は打たれるか どっちかな? 出る杭は打たれるほうなら これから やっていけへん(笑) 」 「いいえ これからきっと よき茶人を 次々と打ち出される ことでしょう!」 「そうだといいんですが」 「お父さまの宗也先生は 理論家でいらっしゃいました」 「まあ 理論というか 理屈屋でしたな」 「お祖父さまの宗推先生のことも 私には思い出がございます」 (金沢宗推名誉教授披露茶会には かの銘碗「東陽坊」が出されたことを覚えています) 「そうですか…」 父君宗也先生が急逝された後 このご長男が 家を背負って 活動されています まだお若く 京都男の京都弁まるだし ちょっと らんぼうな響きがあるやも知れません 率直なさっぱりとした ご性格 これも京都人の一面 です 今後さらに 成長されましょう。 |
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12 大叔父の 宗打(そうてい)師 水屋には 有望なよき弟君あり 一家総出で 弟子を育てる 茶道の家 |
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13 温厚篤実な お人柄 金沢宗打名誉師範 ことし92歳 貴重な存在です |
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14 写真を 私に送って いただけますか? はい もちろん! よろこんで |
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15 主茶碗 黒 替 あんなん 絞 |
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16 箱書 |
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17 箱 水指 花入 |
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18 客が退却 したあとの 広間 |
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まさに 漁夫生涯竹一竿(ぎょふしょうがいたけいっかん) そして家元は その想いを この業躰家代々の方々に 感謝しつつ贈られたのでしょう 四代続く家は 稀であります 三代なら俗に こういうようですな 親辛抱 子楽 孫貧乏 けど 四代なら なんというのでっしゃやろか〜〜(微笑) |
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19 アザミの花 なぜか 蓮の花の ふぜい ですな そうでした 建仁寺開山 栄西禅師を おもうて いやはりますのでっしゃろ〜 栄西禅師の語録を もう一度拝読して 味わってみたいですわぁ ☆ ご参考 建仁寺方丈の裏に「東陽坊」と呼ばれる茶室があります。 「東陽坊」は天正15年(1587)に北野天満宮で豊臣秀吉が開いた大茶会に際し、 東陽坊長盛が紙屋川の土手に建てたと伝えられる茶室で、 大正10年(1921)に現在地へ移されたそうです。 喫茶養生記 きっさようじょうき 鎌倉時代の禅僧栄西の著。1211年の初治本と1214年の再治本の2度にわたって成立。 1214年,時の将軍源実朝が宿酔(ふつかよい)で苦しんでいるとき一服の茶とともに本書を献じたと 《吾妻鏡》は伝える。漢文体で上下2巻。上巻は五臓に対する茶の効能,茶の栽培や製法などを説き 下巻では五病に対する桑の効能について記している。→関連項目 茶経 リンク http://www.ochakaido.com/rekisi/jinup/jinup01.htm |