2003年9月9日






九月七日 今日庵第十四世 無限斎(淡々斎)宗匠の ご命日
追善の釜は 例年 直門・志倶会が 担当させていただきます ことしも 全国各地からご参拝の
 同門の方々を 心して お迎えいたしました



場所 大徳寺山内 三玄院   道具は 志倶会 当番の持ち寄りにて








私たちの席 三玄院にほど近く 法要が行われる聚光院が あります
九時 法要がはじまりますので そちらに 参りました

坐忘斎家元 ご一族のご列席のもと 法要が厳修されます その後
今日庵席へ 一同 お茶をいただきます 







ご参考
http://www.nhk-p.co.jp/jukoin/index.html





聚光院(じゅこういん)

【由緒】大徳寺聚光院は、大徳寺山内塔頭のひとつで本坊の西隣に位置している。
織田信長が台頭するまでの京都で実権を握っていた三好長慶の菩提を弔うために、
養子義継が大徳寺第107世の笑嶺和尚を請じて開山とし、永禄9年(1566)に建立
した寺で、長慶の法号・聚光院殿前匠作眼室進公大禅定門から、寺名を「聚光院」とした。
また、笑嶺和尚は、千利休の参禅の師であった関係により同院は茶道三千家の
菩提寺となっている。
この方丈内部にある襖絵は水墨画を主としたもので、桃山時代の代表画家・狩野永徳と、
その父松栄の作で、いずれも国宝の指定を受けている傑作である。
同院は、方丈・襖絵・庭園・茶室といずれも貴重な文化財で、そのすべてが
完全な形で保存されている。


千利休は三好長慶の異母妹を最初の妻として、実子道安をもうけたと伝えられる。






案山子 という ご銘でした 茶杓の作ゆき ご推理を
いずれ 公の場で 記載されましょう


菓子は 初雁 松屋常盤製 「ことしは雁が少なく 引っ込んでしもうて」とT業躰
黒砂糖いりの葛のなかに 雁に見立てた百合根が ちらっと みえます

「ちゃんと 雁が飛んでいます」 「1羽 あ 2羽もいてます」

ほんとうにいいお味でした 菓子将軍と いわれた由緒ある老舗ですね さすが!





そして ふたたび もとの 持ち場 三玄院・北門に 戻りました






マツムラソウ シュウカイドウ キブネギク ワレモコウ ススキ

 今日の取り合わせに マツのつくものが はて いくつあったでしょう?
クイズって 申しましたら あきませんか〜〜

 淡々斎宗匠のことを 水屋でおしのびしながら いつしか時間が流れました

青年部の大会と日程が重なったようで お家元はお越しに なりませんでしたが 次の機会に!

諸先輩・後輩の方々 ありがとうございました おかげさまで




関連ページ (2001年)無限忌ある日本のファミリー






他の方の肖像には 公開すると差しさわりのある場合もあり 無許可で出せる友人に
絞られてきます 中宮寺の日野西光尊さまとは なんの気兼ねもなく 意思が通じ
ますので、この日ごいっしょに 水屋で働いた証拠(?)に 一枚貼らせていただきます
気のいい男性Tさん(淡交会大阪支部幹事長)がシャッターを押した一枚です
出家と俗人の差が はっきりと出てますよね



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